彦根城の「ひこにゃん」騒動


 国宝・彦根城(滋賀県彦根市)の築城400年祭で爆発的な人気を呼んだキャラクター「ひこにゃん」が、考えもしなかった騒ぎの主人公になってしまった。
 原作の「ひこにゃん」に尻尾をつけたり、得意技は「ひこにゃんじゃんけん」「でんぐりかえし」などと、デザインした大阪市の男性イラストレーターが意図しないことを、彦根市と400年祭実行委員会が黙認、管理を放置したと批判、話がこじれてしまったのである。
 デザイナーは彦根市と400年祭実行委員会に対し、祭典終了後の商標の使用をやめ、指定されたデザイン以外の使用承認取り消しなどを求め民事調停を申し立てた。祭りは11月25日に終わり、双方の和解に向けた話し合いが近く行われるようだが、この騒ぎを単なるイベントのいざこざと片付けるべきではない。行政と民間の微妙な関係を表しているからだ。

 400年祭は今年3月に開幕した。そのシンボルキャラクターは企画会社10社のコンペにかけられ、その中から大阪のデザイナーの「ひこにゃん」が選ばれた。彦根藩2代目藩主の井伊直孝を豪徳寺(江戸)に手招きして、藩主を雷雨から救ったとされる猫がモデルである。「赤備え」と呼ばれる赤い兜をかぶっている。
 キャラクターの愛くるしい「ひこにゃん」は、いわゆる「ゆるキャラ」。子どもたちの人気を集めて、またたくまに祭りの主役となったが、せわしない世の中を映すように大人の人気も集めた。
 祭りの期間中は1日3回、着ぐるみの「ひこにゃん」が城内を駆け回った。人気ぶりは、入場者数が当初目標の入場者を大きく上回る76万人という実績にも表れている。祭り関連のグッズの売り上げも好調で業者はさぞ満足だったろう。 
 彦根市や実行委員会が公募、著作権も持っているのだから、公募に応じた提案者が異議を差し挟むのはおかしい、というのが当局の当初の言い分だった。
 同市はキャラクターについて、民間・住民にキャラクターを自由に使うことを認めた。そこに、デザイナーが異を挟む製作意図の変更が現われるのは当然だろう。彦根市は当初、「法的根拠のない不当な要求」とイラストレーターの主張に反論した。市の言い分には確かに根拠がある。だが、問題は市が言うような「法的根拠」だけで済むだろうか。
 彦根城400年祭は、市にとって重要なイベントだ。とはいえ、広く話題を集めるような特別な催しでもない。それが、「ひこにゃん」人気で、あれよあれよというまに地元を超えた祭りとなり主催者も驚いたのである。

 両者は和解に向けて動き出したが問題は残る。
 イメージキャラクターに対する行政と実行委員会の問題意識である。実行委員会は地元商工会幹部が名を連ねるが、事務を取り仕切るのは彦根市だ。「ひこにゃん」関連グッズの申請は1000件を超えたという。事務局といえども、1件1件チェックできなかった。グッズ関係業者のちょっとしたアイディアが原作者の心象を傷つけたのだろう。
 イベントを盛り上げる知恵を公募して、住民とともに新鮮さを求めるのはいい。それは、行政が自らの感覚・常識を超えた新しさを取り入れることにもつながるからだ。「開かれた行政」を志向する住民との「協働」は、まさにそのことを意味する。
 彦根市の対応は、この「協働」の意識が少しばかり弱かったと言われても仕方がない。提案者が大阪市在住と地元彦根市の住民でなかったが、提案者の意図はともかくとして、「ひこにゃん」は彦根市のイベントの宣伝塔となるものだ。そして、その市の狙いが当たった。
 提案者が彦根在住か、そうでないかは大きな問題ではない。「協働」の精神が、「行政の言葉」としてだけでなく、実態面で試されたと受け止めるべきだろう。「法的根拠」といった杓子定規の扱いこそが、行政の融通のなさを象徴する。

 「官」と「民」の話ではないが、似たようなものに、今年2月発覚した歌手森進一さんの歌「おくふろさん」をめぐる泥仕合を思い出す。
 森さんが、作詞家の川内康範氏の書いた歌詞に、歌の冒頭で原作にはない「語り」を入れたことが発端だった。原作のイメージが壊された、と川内氏が怒るのは当然だった。「作詞家同士なら盗作も同じ。(森さんは)人間として失格」とまで川内氏は言い切った。
 「おふくろさん」と「ひこにゃん」は同じ土俵では論じれない。だが、原作者の意図と、それを使う立場の者がわきまえなければならない基本的なものがあるはずだ。契約や文書には記されないが、当事者同士の「倫理感」と言えるかもしれない。
 人気に乗じて、安易に脚色することを許すならば、原作の意図は思わぬ方に独り歩きしかねない。あどけない仕草で子どもたちを喜ばせる「ひこにゃん」が、大人の世界に投げ掛けた問題は小さくない。
 
 彦根市は08年、日米修好通商条約締結の150周年記念事業を控えている。「ひこにゃん」にも引き続き活躍してもらいたいと願う市当局の気持ちが通じるかどうか。
 行政は謙虚でありたい。住民サービスを業とする組織であることをわきまえなければ、住民と自治体が共に手を組んで求めなければならない「地方分権」も絵に描いた餅になってしまう。(07年11月28日)