【五輪と甲子園と沖縄と】

◎大口をたたくことが強さではない

 悠久の文明と壮大な歴史絵巻で世界の度肝を抜いた北京五輪は終わった。金メダルの数で米国を大きく上回った中国の「国力」を否応なく見せ付けた五輪だったが、日本も精いっぱいの力を出し切った、と選手らの健闘を称えたい。

だが、後味の悪さはあった。前回のアテネ五輪のメダル数を12個も下回る25個では、最大規模の選手団を送り込んだ意味がないのではないか。
 いまさら試合内容を論評しても詮無いが、メダル確実と思われた男子柔道と野球は、女子の活躍に比べると完敗である。夕刊紙によると、野球、男子サッカー、マラソンの「惨敗3種目」は言い訳ができない体たらくである。五輪の重圧は計り知れないほどだろうとは思うが、柔道は今や世界のスポーツとして国際試合は頻繁に行われている。世界のヒノキ舞台での緊張は何度も経験してきたはずだ。

野球はどうか。国内では子供たちがジュニアチームで野球を覚え、さらに甲子園を目指して春夏の大会を熱狂させる。そして東京・神宮球場で大学野球が覇を競う。プロ野球は、その上に位置づけられる国民スポーツと言ってもいいくらい定着している。
 そのプロ野球の各球団から、選りすぐりの選手でチームを編成したのが日本代表だ。星野監督は「最強のチームだ」「金(メダル)しかいらない」と大口をたたき、自信満々、北京に乗り込んだ。
 予想もしなかった日本の敗退だが、テレビで見ている限り日本チームに熱気がなかった。監督の覇気が空回りしているようで、選手の表情には勝とうとする気概が全く感じられない。
 ある野球評論家はルールの変更を敗因に挙げていたが、プロの選手には、そんな言い訳は通用しない。歴戦のプロならそのルールに溶け込むべきだ。そして、「大学同期の仲良し3人組」と揶揄される監督とコーチの作戦がお粗末だったし、チームリーダーがいなかったのが誰の目にも明らかだった。

「反町ジャパン」にいたっては、コメントする気にもならない。

人気と豊富な資金にモノを言わせて選手村に入らず、トップクラスのホテルに泊まった選手たちのセレブな北京五輪は、世界に通用しない経済大国日本の独りよがりなスター気取りが、勝つか負けるかの勝負の世界では相手にならないことを明確にした。
 そして、よせばいいのに、民間テレビ放送局がスポーツとは無縁な人気タレントをメーン司会者に担ぎ出し、競技の行方を予想してみせたり論評するのだから、五輪を見ているのか芸能番組を見ているのか分からなくなって白けてしまう。
 スポーツが芸能に毒されているのは、近年のスポーツの悪しき風潮である。ノリのいいタレントが競技を見ながらはしゃぐ映像を見せられると不愉快になる。放送メディアの公共心不足が、有望な選手の成長の足を引っ張っている事実が分からないのだろうか。
 スポーツと芸能の境を明確にしなければ、日本のスポーツ界に未来はない。

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米国に次ぐ野球王国日本のプロ野球の「予備軍」は高校野球だ。毎年、数々のドラマを生む春のセンバツと夏の甲子園は、球児たちの純真で最後まで試合を諦めない一途さが感動となって迫ってくる。
 今年の第90回全国高校野球選手権大会は、出場回数が多い有力校に交じって沖縄から浦添商業が甲子園に乗り込んできた。今年のセンバツは沖縄尚学が優勝している。ひょっとすると浦添商が勝ち進んで、沖縄が春夏を制する画期的な年になるかもしれない――そんな歓喜の夢を見た沖縄県民が少なくなかった。

浦添商は97年に準決勝に進出している。順調に勝ち進んだ浦添商は慶応(北神奈川)を延長で破り、11年ぶりの4強入り準決勝に進出した。沖縄代表の春夏連覇が現実味を帯びた。
 その準決勝は、昨春の優勝校で強打の常葉菊川(静岡)。序盤に猛打で9点を奪い、執拗に追いかける浦添商の反撃をかわした。
 最大の見せ場は6回だった。
 その差5点を追う浦添商が無死満塁でエースの伊波が放った鋭いピッチャー返しが常葉の2塁手に好捕される。センター前に抜けて当然の打球だったが…。抜けていれば間違いなく試合は振り出しに戻り、勢いづいた浦添商に勝利の女神が微笑んだはず。
何とも惜しいチャンスを逃したものだ。
 浦添商は2度目のベスト4。春のセンバツを2度制した沖縄尚学、夏に2年連続準優勝の沖縄水産。
 沖縄が本土復帰する前の米軍政下にあった1958年、首里高校が沖縄県勢として甲子園に初出場して50年。沖縄勢の活躍は、米軍政下、復帰という時代状況を背景に本土の同情的声援が集まった。
 だが、今は明らかに沖縄代表の強さに対する声援に変わった。不思議なことに、沖縄勢が勝ち進むと地元以外からの声援が大きくなる。他の代表校では見られない光景だ。

何故、声援が試合ごとに高まるのか分からない。
 沖縄からの出場校は、全国から生徒が集まるような本土の有力校と違って、部員のほとんどが県内出身だ。いわゆる「野球学校」ではない、普通の高校生たちのチームである。
 甲子園で活躍する沖縄勢の強さの秘密を解く鍵があるとすれば、それは野球に特化した生活ではない、普通の学校生活を歩んでいる、ある種の「柔軟性」かもしれない。
 野球技術を超えた、県民のおおらかさが潜在力として本番に力を発揮するのではないだろうか。
 それと、沖縄が好感をもたれるのは「大口」をたたかず、着実な結果を見せることである。
 この球児たちのしぶとさ・強さと比べるつもりはないが、沖縄県の政治と行政の腰の定まらない元気のなさが思い遣られる。
 ここは、甲子園の活躍を見習って基地問題、経済振興問題、地方自治問題で、しぶとく、したたかな交渉術を学んではどうだろう。毎年見せる沖縄代表校の健闘は、大人の世界に足りない「何か」を伝えているような気がしてならない。

08826日)