【大地の息吹】

◎農山村と都市の協働

 都市生活に慣れきった体をうっそうとした自然の大地に移し置くと、都市と農村の絶妙なバランスに思い当たる。山あいの蛇行する道から遠く望む農村の集落は、登熟期を前にした水稲が暑い日差しをいっぱい浴び、みずみずしいまでの緑色に輝いていた。
 先日訪ねた新潟県で、久しぶりに農山村の奥深く、すべてを包み込むような包容力の大きい光景を目の当たりにした。リゾートホテル・マンションが連なる越後湯沢から、穀倉地帯である魚沼地方を走り抜け、目的地の十日町市の当間高原に向ったのだが、途中の豊かな自然林も鋭角的な人工林とは一味違う安らぎを感じさせる。
 山々の切れ目に姿を現す田園は広くはないが、耕作者が黙々と長い年月をかけてつくり上げた成果を誇っている。間もなく黄金色に色づく水田は、消費者においしいコメを届けてくれるだろう。
 「散居」と呼ばれるような、屋敷林に囲まれた農家が絵に描かれたように広がる光景を目にすることはできなかった。だが、整然とした水田の中に農家が点在する原風景は、訪ねた都会人の心を癒してくれるはずだ。

×       ×

こんな見てくれのきれいな自然の裏で、今、全国の中山間地の疲弊が都市生活者の足元を脅かすような事態が静かに進んでいる。地域の荒廃が生活のサイクルを狂わせ始めている現実に、どれほどの国民が気づいているのだろうか。
 農山村と都市は、いわゆる「川上」と「川下」の関係にある。川の上流域が不健全な状態になれば、下流域の都市はその影響をもろに被ってしまう。
 中山間地に点在する集落の高齢化率は止めようもない。住民の半数以上が65歳を超える地区は「限界集落」と呼ばれ、この先集落の消滅さえ懸念されている。
 十日町市の松代地区では、限界集落と、その一歩手前の準限界集落を合わせると全集落の8割を超えるという。先日行われた市長との地区懇談会でも、住民代表は市の乏しい財政を気遣いながらも、行政のてこ入れを懇請した。
 高齢化に加えて、医療・福祉・教育の各分野で取り残される事例が住民を不安がらせているのである。

新潟県の南端に位置する十日町市と隣の津南町は「越後妻有地域」と呼ばれる。
 面積は東京23区より広い760平方キロ、そこに
7万5000人の住民の生活の営みがある。日本有数の豪雪地帯で、東京から上越新幹線と在来線を乗り継いで十日町駅まで約2時間かかる。
 妻有地域に残る景観、生活、コミュニティーは四季に彩られた里山として地域に潤いをもたらしている。この地域資源を自治体の枠を超えて芸術を媒介として掘り起こし、その魅力を世界に発信しようという壮大な試み「越後妻有・大地の芸術祭」のプレイベントが行われている。

大地の芸術祭は「里山の魅力と世代・地域・ジャンルを超えた人々の協働、都市住民による新しい故郷探し、美術のもつ固有の土地に流れる時間の発見、および美術の人と人を結びつける力を示し、都市の時代であった20世紀から地球環境時代ともいえる21世紀に向けた地域再生の可能性を拓き、多くの人たちの参加と共感、協働をもたらした」とディレクターのメッセージにある。
 2000年から始まった3年に一度の芸術祭は、これまで多くの発見と都市と農村の協働を実現した。妻有地域には約200の集落があるが、それぞれの集落が持つ自然、生活がイベントの舞台になっている。廃校も芸術の場となった。
 中越地震、2年続いた豪雪被害、そして昨年7月の中越沖地震の際にはアーティストや都市サポーターの復興支援活動が目覚しかったという。

役割が大きいにもかかわらず、効率化を追求する風潮の中で中山間地は取り残されてきた。山あいの地域の崩壊が進む中で、全国の中小自治体が結集して立ち上げた「水源の里協議会」は、地域の惨状に目を向けてこなかった政治と行政に対する抗議である。
 穀倉地帯と言えども、減反・生産調整は例外ではない。猫の目のような農政の荒波にもまれながら農村は我慢強く自己の存在を保ち続けている。そんな厳しい現実を、のどかな農村風景は語ろうともしない。
 段丘を上手に使った棚田は傾斜地の土壌崩落を防ぎ、自然環境の保持にも極めて有効だ。狭隘な土地を有効利用した棚田は、農業土木の技術の高さを超えた芸術をさえ連想させる。

世界的な穀物価格の高騰で、わが国の食料自給率の低さが論議を呼んでいる。39%という先進国の中で最低の自給率になった大きな原因の一つは、驚異的な経済成長で上り詰めた経済大国日本が、自給を忘れて食料輸入を増やし続けたからだ。
 国内生産よりも安い輸入食料の方が、経済合理性に合ったからなのだが、戦後の復興・復旧が工業生産力の増強に的を絞った結果が今日の事態を招いたと言っていい。
 1次産業よりも2次、3次産業の強化が高度経済成長の推進力だった。昭和30年代後半からの高度経済成長が農村からの労働力流出、その結果としての農村の疲弊につながった。そして今、私たちに突き付けられているのが食料問題であり、その成否を占う1次産業の位置付けである。

地方分権の確立の名の下に自治体は行政の効率化の道をまっしぐらに進んでいる。分権改革は、地域自立のため避けて通れない苦しい歩みかもしれない。
 半面、顕在化している地域の格差、疲弊は、今進められている地域自立の処方せんに欠けたものがあることを提起している。
 自然の雄大さの裏に潜む社会の病巣を考えさせる越後の旅だった。

0888日)