「宮崎は道路空白地帯だ」。公開討論会で道路特定財源の維持を訴える東国原知事(08年2月19日、東京・紀尾井町のホテル)

【道路財源の公開討論】A

◎根拠があいまいな道路中期計画

 道路特定財源の是非とガソリンの暫定税率の問題がこれほど大きくなったのは、1つには政治状況の変化がある。昨年の参院選で自民・公明の与党が大敗、野党が参院の多数を占めた。野党が多数を占めなかったら、今回のような道路問題は起きなかった。
 特に「道路族」と呼ばれる議員は、歴代自民党の枢要なポストをこなし、霞が関、とりわけ国交省に対する影響力は大きい。公共事業に大ナタが振るわれる中でも、しぶとく蘇生したのが、昨年暮れに閣議決定した「道路整備中期計画」である。

×       ×

 小泉元首相が主導した道路特定財源の改革は、安倍内閣で一応引き継がれたものの、「余ったら一般財源として使う」という、何とでも解釈できるように後退した。ところが、福田内閣になると、これまで「死に体」と思われていた「1万4000キロ」の道路整備計画が完全に息を吹き返し、それが、政治状況の変化で急浮上した。
 道路特定財源の不透明な使われ方、整備路線の中身、コスト計算の根拠はいずれもあいまいで、東京湾アクアラインなどは莫大な資金を投入しながら想定利用を大幅に下回る、完全な需要予測の間違いが明らかになっている。道路公団民営化の中で取り扱いが難航した本四連絡3橋の赤字、接続ルートの未整備も明確な需要予測、展望がないまま完成した巨大プロジェクトだ。

 こうした仕組みの問題に目をつぶって、当面の予算編成ができなくなる、道路整備が中断するから現行制度の維持を求めるのは正しいのか。
 東国原知事も全国知事会の麻生会長も「透明な整備基準」を求めることでは菅氏の言い分を認めた。東国原氏は「国交省に文句を言う」と怒って見せたが、現行制度の維持を前提に文句を言ったところで、その場限りで終わってしまうのは明らかだ。東国原氏はどんなに県内の支持率が高く話題の人物でも、永田町や霞が関への影響力は期待しないほうがいい。
 麻生会長は、今見直すと言っても新年度まで1カ月半しかないと言ったが、仕組みの不透明さを脇に置いたままで見切り発車することは、政治的には問題の先送りでしかない。
 道路財源をどうするかは、昨日今日の話ではない。古くて新しい問題なのである。


        ×            ×

 道路整備中期計画にある事業資金「59兆円」は、基幹道路が23・3兆円、生活道路7・6兆円、渋滞対策21・6兆円…などである。
 59兆円の根拠をただされた福田首相は「あくまでも上限、毎年予算編成時にチェックする」と苦し紛れの答弁をしているが、従来の実績を見れば、整備計画は予定に程遠い。実現不能な計画を立てて、必要資金をはじき出す予算計画は、毎年「見直す」ものではなく、最初から作り直すべきものだろう。
 「閣議決定したから」では理由にならない。いかにも説得力に欠ける。計画の前提となる交通需要予測が過大に見積もられていたことなど、社会状況の変化が組み入れられた計画とは言いがたい。そんな計画が何の疑問もなく閣議決定されるシステムを続けているシステムは思考停止状態と言っていい。
 そんな具合だから「小泉改革」を評価した先進主要各国が、手のひらを返したように日本を見ていることが、金融・株式市場の「日本売り」に表れている。

ところで、地方のほとんどの関与がないまま国交省や主要道路の整備内容を決める「国土開発幹線自動車道建設会議」(国幹会議=旧国幹審)が決定した中期計画なのだが、地方の意見を反映させる努力がなされたという話は聞かない。
 幹線道路は国土軸の問題で、その限りでは国が一元的に建設することは当然だ。しかし、国土軸、幹線道路は地方にとっても重大な施策であり、「お上」が決めたから、ただそれに従う式の問題ではないはずだ。地方には、地方の事情がたくさんある。ましてや、今は地方分権改革の途上にあることを忘れたわけではあるまい。
 知事経験者であれば誰もが経験するのは、霞が関の思惑である。旧建設省(国交省)の道路と農水省が担当する農道が同じ方向に併走している現実が1例だ。農道と言っても、2車線の立派な道路だ。建設省に陳情した路線がままならないのに、農水省から農道整備という名の補助金交付の誘いがくる。
 公共工事を餌に地方自治体支配をもくろんだ中央支配はしぶとく生き延びている。
 08223日、続く)