【川辺川ダム】

◎国は時代の風を見誤るな

 熊本県球磨川水系の川辺川ダム事業に蒲島郁夫知事が下した結論は「現行計画を白紙撤回」だった。そして、「ダムによらない治水対策と地域振興」を国に求めた。
 四十二年もの間、迷走を続けた巨大ダム事業に待ったを掛けた知事の判断は重い。苦渋の選択と言っていい。退陣まで秒読みに入った福田康夫首相だが、「地元の意向は優先、尊重されるべきだ」とすぐさま反応した。谷垣禎一国土交通相も知事の判断を踏まえて計画を再検討すると語った。
 動き出したら止まらないのが巨大公共事業の常なのだが、状況は変わったと言うべきだろう。諫早湾干拓事業の見直しを迫る六月の佐賀地裁の「潮受け堤防開門」判決に続く、国の事業に対する「ノー」の判断だ。

窮迫する財政で大型公共事業に対する逆風は風速を増している。川辺川ダムの総事業費は当初の約十倍の三千数百億円近い金額と推計されている。一九九〇年代後半からの公共事業見直し論の中で、二〇〇一年の田中康夫前長野県知事の「脱ダム宣言」は、ダム建設の是非を地方自治体が初めて国に突き付けたものである。
 国交省によると、九六年度以降中止された国のダム事業は二十件に上る。
 川辺川ダムに中立の立場だった蒲島氏は知事就任後に第三者機関の有識者会議を設置、自らも建設予定地に足を運び流域の自治体や住民、県議会各派などと接触している。
 川辺川ダム事業を見る関係者の意見は様々だ。地域振興と治水を期待する声がある一方で、逆に猫の目のように変わるダム事業に対する反発と不信が渦巻く。関係者の思惑を超えた判断を知事がどう下すかだった。

知事の判断を最終的に引き出したのは、最大の受益地とされる人吉市と建設予定地の相良村の計画反対だった。そして、国の方針に翻弄され続けてきた歴史に終止符を打ち、地方の意思を明確にしようという「地域自立」の意識が働いたことも事実である。時代の風を見誤ってはならない
 川辺川ダム計画は当初の多目的ダムから大きく後退、最終的に主目的は「治水」だけとなった。この間、事業計画をめぐって違法な手続きが発覚するなど、計画の変更に関する訴訟が続いた。
 蒲島知事は、人吉・球磨地方にとって球磨川はかけがえのない財産であり、「守るべき宝」だとし、さらに「ローカルの価値観を尊重したい」と地域の自主性を訴えた。
 知事の撤回発言は、確かに法的拘束力はない。だが、九七年の新河川法は「地元意見の反映」を明記している。事業計画は手続き面でも、自治体の協力を抜きに前に進まない。その自治体が計画に反対したのである。

知事の決断は大きな政治的責任を伴うことも意味する。だからと言って、国が免責されるわけではない。国は状況の変化から目をそらさず、ダムに頼らない治水と地域振興に関係自治体と協力して取り組まなければならない。

(08年9月17日付)