【諫早湾干拓開門】

◎国営事業への警鐘だ

 長崎県諫早市の多良岳の中腹にある「いこいの村長崎」から東に諫早湾が一望できる。対岸の雲仙市吾妻町にかかる延長七キロの潮受け堤防で仕切られた諫早湾干拓地は昨年十一月完成、干拓地での営農が始まった。
 佐賀地裁の神山隆一裁判長は、この潮受け堤防にある南北二つの水門を五年間常時開放するよう命じた。司法が完成した国営干拓事業の見直しを迫る異例の判決である。
 水門開放の準備に三年間は開門を猶予するが、有明海の漁業不振と潮受け堤防の閉め切りの因果関係を否定してきた国が、根本的な施策の転換を迫られるのは間違いない。
 若林正俊農相は「判決は想定外」として控訴する意向を示しており、水門開放はさらに上級審で争われるだろう。

 判決は、漁業被害と堤防閉め切りの因果関係はデータ不足で「疫学的に認めることは困難」としたが、「諫早湾内とその近場の環境変化との因果関係は相当程度の蓋然(がいぜん)性の立証はされている」と認定した。
 その上で、被告の国が公害等調整委員会などから求められていた中長期の開門調査に応じないのは「立証妨害」であり、訴訟上の約束にもとると断じた。
 干拓工事をめぐっては、佐賀地裁が二〇〇四年、原告らが工事の差し止めを求めた仮処分申請で漁業被害を認め工事差し止めを命令、工事は九カ月間中断した。
 工事は〇五年の福岡高裁の取り消し決定で再開されたが、同高裁も閉め切りが漁業被害と関連がある可能性は認めている。さらに、国の委員会報告でも漁業被害が指摘されていた。

 一九九七年四月に堤防が閉め切られて以来、赤潮の大規模な発生、二枚貝やアサリ漁の被害が問題となり、二〇〇〇年暮れに発覚した養殖ノリ異変は政治問題化した。
 原因究明に当たる農水省の第三者委員会が行った〇一年の提言を受けた翌年四月の水門開放調査はわずか一カ月。世論の逆風に抗しきれない政治的なつじつま合わせだった。
 当時、長良川河口堰(ぜき)、中海干拓事業など大型公共事業が世論の批判にさらされていた。動きだしたら止まらない公共事業の象徴として、諫早湾干拓事業は手を替え品を替え生き延び完成した。

 常時開門となれば営農への影響は避けられない。農水省は判決に反発しているが、「不当な判決」と言うだけでは問題は前進しない。農水省の環境影響評価の努力不足は明らかだし、特に綿密な環境調査が必要な閉鎖水域の環境調査を怠った責任は問われなければならない。
 総事業費は約二千五百億円。長崎大干拓構想から五十六年。判決は、聖域とされる国営事業への警鐘である。

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