時の流れに身を置くと、その遅さに我慢できないことがある。ところが、その流れから離れると、逆に時の過ぎ去る早さに驚く。沖縄が本土復帰して30年目を迎える。私にとっての時間の経過は後者である。7年前に起きた米兵による少女暴行事件を契機に沖縄問題の取材にかなりのエネルギーを投入したが、それでも時間の過ぎ去る早さを感じてしまう。30年で沖縄の何が変わり、何が変わらないのか―をあらためて直視せざるをえない。

核心評論「沖縄復帰30年」

◎自治意識の変革がカギ 

 政治潮流変わった沖縄 

 「沖縄の戦後はまだ終わっていません」
 「沖縄は一つの大きな転換期にきました」

 自民党の機関紙「自由民主」の復帰三十周年記念沖縄特集号に掲載された稲嶺恵一沖縄県知事との特別対談で、野中広務元自民党幹事長はこう語っている。
 野中氏は、風化しつつあるといわれる沖縄問題の現実を突いている。「米軍基地」「経済振興」―溶け合うことのないこの難題に沖縄は向き合い揺れている。野中氏は、こんな状況を指摘しているのである。だが付言すれば、沖縄の政治潮流が変わりだしている視点も忘れてはならない。
 沖縄は十五日、日本復帰三十周年を迎える。
 沖縄は保守化傾向を強めたかのようだ。一九九八年十一月の知事選で稲嶺氏が当選、暗礁に乗り上げた那覇港湾施設(那覇軍港)返還・移設を占う浦添、那覇両市長選も保守が奪回した。中小首長選でも革新候補が次々と敗退している。
 だからと言って、県民が「保守」を選択して「革新」を拒否したとは断定できない。特に近年、沖縄では保革の区別が付けにくくなっている。復帰後、県民は状況に合わせるように県政を選んだ。その経験に照らせば、いずれかじ取りはまた交代するかもしれない。
 基地を守るのが保守、基地撤去を追求するのが革新、という旧来の構図は薄れた。中央直結で国にお願いして予算を持ってくるという感覚は若手の自民党政治家にはなくなった。逆に沖縄をどう位置付けるか、新しい役割は何かといった視点にスタンスを移している。

 基地問題では、一世代前の政治感覚を取り去った、陳情政治からの脱皮である。国政、県政選挙を問わず、保守系候補が無党派層を引き付ける背景がそれだ。
 復帰準備から沖縄問題に深くかかわってきた有力官僚OBは、「若い世代にとって沖縄戦は“語り”の歴史だ。米兵は友だちでしかない」と指摘している。純粋に基地問題を主張する考えには関心がないということだ。
 若い世代に限らない県民意識の変化は、普天間飛行場移設決定をテコとした、この数年来の国の経済振興策が不況の中で着実に浸透した表れと見ていい。
 基地縮小を望む県民の基本的認識に変わりはないが、今の革新にこんな風潮をはね返す求心力は乏しい。不況と世代替わりが複雑に絡み合った結果であろう。

 復帰に当たって当時の為政者や県民は「本土並み」「自治」を求めた。その意味するものは経済的な豊かさであり、運命を自ら決する権利だ。その前段に基地問題があったのは言うまでもない。
 社会資本は充実したが豊かさは依然道半ば、自治も国との関係を抜きには語れない、が現実である。
 四月上旬、那覇市で開かれた地方自治関連のシンポジウムで、財政依存体質が自治をむしばんでいるという意見があった。自治とは自己決定権を持つことだが、過去も現在も沖縄にそれがあるとは思えない。
 そんな中で今、真剣な自治論議が繰り返されている。
 一国二制度を盛り込んだ沖縄振興特別措置法が沖縄振興にどう寄与するか、すぐさま答えは出ない。国の枠組みを超えるものを沖縄は求めるが、そのための内発型の地域経済・社会システムをつくる知恵と情熱がなければ自治は夢に終わる。
 政治潮流や県民意識の変化が自治と結びつくのか。沖縄の今後を占うカギである。

02514日付