雑記帳

2011年6月28日

◎何をなそうとする人事なのか(ブログ)

=政権延命の狙いだけが見える=

 菅首相の27日夜の記者会見で、首相は何を言いたかったのだろう。
 閣僚の入れ替えを含む今回の内閣の人事は「大震災の復旧・復興を進めることと、その態勢をつくることに尽きる」と首相は言ったが、事前に国民新の亀井代表から進言されていた内閣の大幅入れ替えができなかった内輪の事情を隠す一方で、震災対策への意欲を強調してみせるパフォーマンスとしか言いようがない。
 その上で、自らの退陣時期の「メド」として、震災対策の第2次補正予算案、本年度予算の執行に欠かせない公債特例法案、さらには原発事故で急浮上した長期的なエネルギー政策の基となる再生エネルギー法案の3つの成立を明言した。中でも再生エネ法案は、電力供給の基本に関わるエネルギー基本政策の大転換に道筋をつけるものだ。それも退陣の条件としたことは、首相の政権維持の意欲が一段と強まったということである。

亀井代表が大幅改造を求めたのは、政治経験の豊富な自身の政治キャリアから見て震災から3カ月半も過ぎるというのに、法律も含めて対策の具体的効果が少しも表れないことが我慢ならなかったからである。もちろん亀井代表が国民新の存在を「忘れるな」とねじ込んだ意図も忘れてはならないが、迷走政権を思えば修羅場を幾つも潜り抜けてきた自負がそうさせたと見て間違いない。
 結果はどうだったか。
 党内から大幅改造に反対の声が高まり、かといって何もしないわけにもいかず環境相を兼ねる松本防災相を復興担当相に横滑りさせ、細野首相補佐官を原発担当相に充て、環境相を江田法相の兼務とし、亀井氏と行革担当相の蓮舫氏を首相補佐官としたのである。
 亀井氏には「副総理」を打診したが断られている。「暴れん坊」の亀井氏が修羅場を知らない若い政治家らと一緒に仕事をするわけではなく、首相の「相談役」といった存在となるはずだ。蓮舫氏は閣僚ポストが増やせないための引退だ。体良く、可もない不可もないポストに移されたということである。
 つまり、亀井氏の提案に乗って政権延命をもにらんだ内閣の大幅改造は、蓋を開けてみればどれといって「何かを期待させる」ものではなかった。特に巷間取り沙汰された霞が関に睨みの利く大物復興相の誕生はなくなり、松本防災相の横滑りとなったことは、松本氏が震災以来担当してきたとはいえ、各府省にまたがる復旧・復興を取り仕切る力量を期待するのは無理がある。
 松本氏も自分の器量を知っていたし、菅政権の先行きにも大きな不安を持っていたから、首相の再三の要請を断ったが、終いには根負けして引き受けた。

 もう一つ見逃せないのは浜田和幸氏(参院・自民)の復興担当の政務官登用だ。
 首相はねじれ状態の参院に一石を投じようとしたのだろうが、野党議員を一本釣りしたことは、これからの国会審議で野党、特に自民党を刺激する「禁じ手」であることは間違いない。
 自らの退陣時期の一つのメドとする公債特例法案などの処理を考えるまでもなく、今後の政局を考えれば野党を刺激することは厳に慎まなければならなかったのに、それをしなかった。
 今回の内閣の人事は、首相が言うように震災対策の強化と言えないわけでもないが、それを支える人選は政策実行の期待には沿わない。震災対策は永田町一流の駆け引きで済まされるようなものではない。「復興構想会議」が提言したように「被災地の心を一つにし、希望のあかり」となるべき国家的な課題なのだ。

 首相は延長国会の混乱を自ら呼び込んだようだ。国会が混乱 して何を生むというのか。審議がいたずらに延びて国政が混乱して被災地の復旧・復興を遅らせ、結果として被災地の人々をさらに苦しめるだけである。何も得るものはない。
 国政の混乱は延命を狙う首相に利するからもしれないが、それが国政を預かる首相の心根とすれば誠に悲しむべき菅政権の政治である。
 首相の統率力のなさと党内抗争が続く民主党政権は、亀井氏が言うように「混ぜご飯」から「おかゆ」になった。全く歯ごたえがない。強力な政治を実践する土台を築くことはできない。

 今回の内閣人事はいずれも、岡田幹事長や枝野官房長官ら党や内閣の要職にある者が同席しない異例の形で進められた。首相主導と言えば聞こえはいいが、首相が勝手に思い描いた人事である。会期延長で散々振り回された党執行部はまたも出番のないまま儀式は終わった。

 菅政権の度し難い政治でこの稿を終えるのは本意ではない。最後に「フクシマ」に触れる。
 昨日(27日)再稼動した第1原発の循環注水冷却が、またも停止した。再稼動して1時間半で止まってしまった。原子炉建屋や浄化装置、貯蔵タンクなどを結ぶ配管の継ぎ手部分が外れて水が漏れたためだ。
 循環冷却は増え続ける汚染水を再利用して原子炉を冷やす当面の最重要な仕事。事故収束に向けた工程表で、7月中旬の「ステップ1」を終了させる柱が、この循環注水冷却だった。

 フクシマの事故収束作業はトラブル続きである。いつになったら収束の見通しが立つのか全く分からない。政府と東電は当初言い続けた「燃料が一部損傷」はその後メルトダウン(炉心溶融)と訂正され、圧力容器を破るメルトスルー(溶融貫通)の可能性も認めている。メルトスルーとなると地下水汚染も避けられない。被害は想像できないほど広がり、深刻さを増すかもしれない。

 1979年制作の米国の映画「チャイナ・シンドローム」のストーリーを思い出させるようなフクシマである。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)