インタビュー

「農山村再生の道」

「人、土地、ムラの空洞化に続いて、買い物難民という形で『生活条件の空洞化』が押し寄せてきた。高齢化は都市部で著しい。それが、都市と農山村の分裂・対立につながないか心配だ」

明治大学農学部教授・同大農山村政策研究所代表  小田切徳美

聞き手……尾形宣夫「地域政策」編集長

【略歴】

小田切徳美(おだぎり・とくみ)
1959(昭和34)年、神奈川県生まれ。
東京大学農学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。農学博士。東京大学農学部助手、高崎経済大学経済学部助教授、東京大学大学院助教授を経て、2006年より明治大学農学部教授(地域ガバナンス論研究室)、同大学農山村政策研究所代表。
国土審議会政策部会・特別委員(国交省)、過疎問題懇談会・委員(総務省)、緑の分権改革推進会議・委員(総務省)、全国地域リーダー養成塾・主任講師(地域活性化センター)、日本学術会議・連携会員等を兼任。

▽都市と農山村を襲う4番目の空洞化

尾形 中山間地の疲弊が目立ちますが、地域の空洞化は地方に限ったものではないようです。現場主義のフィールドワーカーとして、現状をどのように見ていますか。

小田切 私は、三つの空洞化が段階的に押し寄せてきているという言い方をしています。過疎が問題になったのは1960〜70年代ですが、80年代中頃に土地の空洞化現象が起き、農地の潰廃現象が顕著になりました。その引き金となったのが90年の農業センサスで耕作放棄地の急増が報告されたことで、農業界は大騒ぎになりました。その時に「中山間地域」という言葉ができました。
 「過疎」も「中山間地域」も、どちらも造語です。そして90年代に入ると、「ムラの空洞化」という言い方がされるようになり、集落機能の本格的な脆弱化が押し寄せてきました。いわゆる「限界集落」も91年の造語です。
 つまり、農山村で段階的に生じている現象を、人々は言葉を作って問題提起しました。そして、中山間地域の最も奥深い、いわゆる行き止まりの集落では集落の消滅現象がいよいよ始まり、それに伴う生活上の問題として生活基礎条件の空洞化という4番目の空洞化が押し寄せてきたという認識を持っています。そして今は「買い物難民」という造語が登場します。

尾形 気がつかないうちに、深刻な事態に入ったと。

小田切 今までは中山間地域の生活上の問題は、主として教育・医療の問題とされていましたが、これは子どもとか親の世代、あるいは高齢者を中心としたライフサイクルのある一局面に主として関わる問題でした。ところが、買い物難民という現象は生活するすべての時期に関わる問題。生活上の問題がいわばユニバーサル化してきたという現象が生じてきていると思います。
 この現象は、中山間地域の奥深いところではかなり顕在化しています。
山梨県高知県などで見聞きしている事例はすさまじい。例えば、農協が撤退してAコープがなくなると移動販売車が出てきますが、高齢化が進んだ地域では少ない年金で生活するわけだから、売り上げは伸びず逆に減っていく。すると、移動販売車もいずれ撤退していく。
 そういう地域で何が起こっているかと言うと、わが耳を疑ったんですが、宅配便で遠くに住む子どもに生活物資を送ってもらって生活しているという実態が存在していたのです。生活の基礎的条件が奪われた形です。中山間地域くまなく生協が配達できるはずもなく、そのために(家族からの)宅配便が一種のライフラインになっています。生活基礎条件の空洞化、暮らしの空洞化という局面が表れていることは間違いありません。

尾形 「4番目の空洞化」ですか。

小田切 そうです。しかし、この4番目の空洞化は、都市と農村がほぼ同時に直面しているという特徴があります。経済産業省の買い物弱者を巡る研究会報告では600万人ぐらいの買い物難民が存在すると推計しています。そのほとんどは都市だと思います。この問題は都市と農村が知恵を交換しながら乗り切ることが求められています。

▽「他出規範」―出て行くことが当たり前?

尾形 中山間地の疲弊・空洞化は、高度経済成長と符節が合います。農村から若い労働力が大都市に流れ人の空洞化が表れ、農業後継の労働力が少なくなり土地の空洞化が進んだ。
 生活の空洞化という現象は非常に刺激的ですが、もう一つ先生が指摘していますが、農業生産をやることの意欲や誇りがなくなっている。そういう意味での空洞化ですか。

小田切 おっしゃるとおりです。今申し上げた空洞化というのはいずれも現象面のものです。この現象面を巡って、それなりに政策は打たれてきましたが、あたかもそれが賽の河原の石積みと言うか、石を積んでも崩れてしまうのが今までの歴史でした。
 その背景にはより、奥深い空洞化、つまり「誇りの空洞化」があります。ここで「誇りの空洞化」と言っているのは、次の世代が地域に住み続けるか、あるいは仕事を終えて古里に戻るタイミングはいろいろあると思いますが、その時に「戻って来い」ということがなかなか言いがたい。地元に仕事がないということが一つの原因ですが、それだけではなく、胸を張って自分の土地を誇ることができなくなっているのは確かです。
 私が地域に住むお年寄りに話を聞くと、こんなところに生まれた子どもは可哀想だとか、こんなところに人が残るはずがないだろうとか、あるいはここから出てもらうために学を付けたんだとか、そういう言葉がポンポン出てくるのです。
 農業の言葉で「他出後継ぎ」という言葉があったので、それを私は「他出規範」と表現したのですが、(古里から)出ていくことが当たり前になっている。裏返して言えば「誇りの空洞化」なんですが。役場や農協の職員といった特別な条件がないと、出ていくのが当たり前で、残ること自体が特別なんだという社会規範が地域の中に定着してしまった。

▽都市部と農村部の対立再現の懸念も

尾形 2007年12月、東京で「全国水源の里連絡協議会」の設立総会が開かれ、全国の中山間地の首長が集まりました。いわゆる限界集落が全国で7,900程あります。効率化社会の中で取り残された集落はいずれ消滅の運命にある、と首長さんたちは悲壮でした。「限界集落」はあまりにも刺激的だと、協議会の名称を「水源の里」としました。政治・行政は、これにどう応えているのでしょう。

小田切 政治政策レベルと国民レベルの議論の二つに分けると分かりやすい。
 政治政策レベルで言うと、2007年の参議院選挙で自民党が敗北しました。小泉政権の延長線上の安倍政権で「都市再生」が言われていましたが、福田政権になって「地方再生」が重要だと内閣に地域活性化統合本部ができました。
 さまざまな主体が地方疲弊の問題を提起しましたが、選挙結果が大きかったと思います。参院選の結果を受けて、当時の政権与党の自民党の命令一下、各省庁とも概算要求に向けて限界集落対策とか地域再生を巡るさまざまな対策をひねり出しました。
 例えば内閣府の地方の元気再生事業です。政治性の強い窮余の一策でしたが、政策は使途の自由度が極めて高い。政策目的は地域に任されている。しかも複数年度の支援で、なおかつアドバイザーを派遣するような予算があって、当時、「補助金から補助人へ」と、単なるカネでなくて人の支援が必要だということも言われたことに軌を一にして、特徴ある事業ができたと思います。

尾形 もう一つの国民レベルではどうなのですか。

小田切 これは非常に微妙です。「限界集落」というインパクトのある言葉で、国民が地域の問題に気が付き始めましたが、限界集落を支援する気持ちを持ち続けられるかどうかは、政治的なさまざまなアクションで変わってくる可能性があります。
 これからは都市の高齢化が本格化する時代です。都市部の高齢化がすごいスピード進んでいます。高齢化率は都市部ではまだ低いのですが、高齢化率の伸びや高齢者数の増大は農村部とは桁違いです。こういう問題が提起された時に心配されるのは、都市部の問題の原因を農村部の責任に結びつける風潮が表れ、再び都市と農村の分裂の時代が来るのではないか。あるいは、そういった分裂に手を貸すようなイデオローグが出ることです。
 つまり、国民が農村部にある種の共感を持って地域が大切だと認識する力と、再び「農村憎し」という綱引きの状況が今後出てきます。だから、都市と農村の共生を改めて言うべき重要なタイミングになってきたと思っています。

▽「東京一極滞留」

尾形 農山村と都市の共生が求められるのに、逆の現象が…。

小田切 私の杞憂であればいいのですが、ここ1、2年の最大の心配はそこです。都市の高齢化に農村の今までのさまざまな高齢化を巡る対策、あるいは地域の知恵は必ず役に立つと思います。その点では、高齢化先発地域としての農村が都市に向けて教訓を投げかけ、お互い知恵を寄せながら新しい対応策を考えるチャンスです。都市の混乱が起こる時に、農村叩きが起こるという歴史的経験則を当てはめて見ると、(分裂・対立が)起こるということで心配です。

尾形 東京一極集中はかつて問題化した頃とは違う形で進んでいますが、平成の大合併で巨大な行政区域が出現しています。そこでは域内の都市と農山村部の乖離が問題化しているのではありませんか。

小田切 市町村合併に伴う中心の旧市に対する行政の集中現象は進んでいます。その結果、農山村で起こっていることが市の中心部に情報として伝わっていないという現象が起きています。市町村合併の典型的な弊害だと思います。
 私が全国町村会などの検証作業を手伝いながら大変驚き心が震えたのは、西日本のある市のことですが、合併で総合支所になった前の役場の職員は下ばっかり見て、住民と目を合わせないとお年寄りから聞いたことです。
 同行した市の職員の解説だと、総合支所にはろくな決裁権もない、声をかけられても困り事とか悩みとか、相談したいことに有効な対応ができないから目を合わさないようにしていると言っていました。お年寄りにすれば、合併で自分たちは見捨てられたと思ってしまう。

尾形 地域内のミニ集中もありそうですが。

小田切 人口レベルでは多分集中にならないような状況、ダムに例えれば決壊してしまうような状況もまた起こっています。2008年の住民基本台帳調査によると、地方部の3〜5万人の市の人口減少率が1%を超え始めた。かなりの減少率です。城下町や商都、あるいは港町であったり、固有名詞としてどこでも聞くようなまちの人口減少です。人口動態を見ると、人が戻らなくなっているというのが実態です。
 今は戦後3番目の東京一極集中期です。高度経済成長期、バブル期、そして現在です。人口の東京圏への純転入が非常に大きい。年間15万の純流出、純流入ですから、バブル期とほぼ同じです。バブル期と違うのは、人々が地方部から出てくるのではなく、逆に戻らなくなった。結果的に人が溜まってしまっているのであり、それは「東京一極滞留」です。東京一極集中という言葉が当てはまらない、国土構造の変化も今までとは違う局面に入っています。

▽自立圏構想の2つの狙い

尾形 市町村合併でせっかく広域行政体ができたのに、人口がまた大都市に流れてそこに滞留してしまう。定住自立圏構想は地方に拠点をつくって自立できる圏域にしようというものです。

小田切 定住自立圏構想には二つの意味があって、一つは広域連携の新しいタイプを作り上げるという、自治制度としての側面があると思います。
 それからもう一つは、特に私が強調したいのは、地域振興面からの意味です。地域振興のポイントは地方中小都市に対する支援策です。中小都市だけではなく、圏域としてその地域を守るんだという発想です。地方の中小都市を巡る地域振興策というのはかつてほとんどなかった。都市政策は人口30万以上とかいうイメージが付きまとって、中小都市を支えるという施策は、国としてもほとんど位置付けがなかったと思います。本来は国土交通省がやるべきものを総務省が代わって支えています。
 定住自立圏構想にいろんな議論はありますが、地方中小都市に対する支援策は、その地方中小都市だけではなく、やはり圏域として考える解答が用意されなければなりません。

尾形 行政主体でいつも問題になるのは、地方制度調査会の専門委員会の中でもいろいろ議論になっていますが、市町村は総合行政主体なのかという点です。

小田切 合併推進の入り口で市町村は総合的行政主体と位置付けられたのは確かだと思います。逆に言えば、広域的な連携を否定的にとらえて、市町村それぞれが総合的行政主体だというふうに位置付けました。分権が進めば市町村はそのような基礎条件を持たなければならず、そのために大きくなくてはいけないというのがスタートだったと思います。
 広域的連携の議論を否定したということがボタンの掛け違いであれば、そこをきちんと議論することが29次地方制度調査会の一つのポイントでした。そこは不十分ながらも議論できたと思う。いずれにしても合併だけではない、広域的連携の仕組みをいろんなバリエーションで作る。定住自立圏構想自体は新しい自治制度を作ったものではありませんが、考え方としてはこういうものがあるんだという一つのオプションとして示すことができたと思います。

▽準備不足だった平成の大合併

尾形 今年の3月で平成の大合併は一応終止符を打ちました。平成の合併が良かったのか悪かったのか両論があります。全国町村会の報告書などを読むと、地域の良さがなくなったとか否定的な見方が強く、一方、総務省の研究会は問題点を挙げながらも、「評価をするには時間が足りない」言っています。

小田切 町村会の検証に私も加わりましたが、やはり今の段階ではネガティブな要素が前面的に出ていると思います。勿論合併にはいろいろな理由があったにしても、合併をした後の住民自治、地域振興の仕組みが十分に整わないまま、あるいはそのノウハウの蓄積が十分に共有できないまま進められたという問題があるのではないでしょうか。
 地域自治区あるいは合併特例区という制度ができても使いにくい。またこのような地域自治組織と同時に、コミュニティ組織も同時に振興されるべきだったのですが、その十分な準備できなかったという問題があります。もう一つは、合併のタイミングです。ムラの空洞化の段階で合併が生じたというのが致命的です。人の空洞化の段階であれば合併は違った様相になったでしょう。

尾形 ということは。

小田切 中山間地域では約7割の自治体が最終的に何らかの形で合併しましたが、そこではムラの空洞化が進みつつありました。この段階では地域の中で「ここではなにをやってもだめなんだ」という「諦め感の広がり」が一番の問題です。しかし、合併のよる周辺部行政の後退により、「やはり見捨てられた」という思いから、このような諦め感が地域の中に一挙に拡がってしまった可能性があります。

尾形 小泉構造改革が、弱体化する農山村になだれ込んだ感じがありました。平成の大合併に拍車を掛けるように「1000自治体」論や「300自治体」のような「数値目標」が大手を振って歩いていました。地方分権のためには基礎自治体を強化するがうたい文句でしたが、合併論の後ろに必ず「道州制」がついていました。要するに道州制を睨みながら市町村合併論です。肝心の住民を脇に置いての行政区域の大再編に酔いしれた感じがました。
 合併が住民の生活レベルからどう必要なのかどうかという議論を欠き、基礎自治体も無防備でした。

小田切 住民不在の合併だったというところが最大の問題点で、その点では合併の検証は徹底的に住民の声を聞くということが必要だと思いますね。地方制度調査会でも、総務省の合併総括の中に住民の声がほとんどないことを、当時の片山善博副会長(慶大教授)が問題にして、本来、クライアントである住民の評価があるべきだと強く批判しました。

▽「資源インフレ」下の農政の課題

尾形 全国町村会が平成13年に出した提言「日本の農業は非常に大切だ」の精神はどう引き継がれていますか。

小田切 私の意見を申し上げれば、2008年に食料・エネルギーの「資源インフレ」というふうに言われました。あの当時のことを思い出してみると非常に象徴的ですが、農山村が作り出している資源は食料、エネルギー、それから水も重要な供給材だと思いますが、最近ではこれにCO2吸収源の森林が入ります。あの当時はこの四つの希少資源のいずれも価格が高騰し、一種の国際的戦略物資化したと思っています。
 もともと食料は「第三の武器」と言われていたわけですが、その傾向が投機的なグローバルマネーの動きもあり、より決定的になったと考えると、国際的な動向の中で、農山村は国内戦略地域であるなという認識を都市住民とともに共有することが必要です。あるいは、そういう戦域で起こっている高齢化を教訓として、双方が共生することが必要だと認識すべきです。

尾形 先進国中最低の食料自給率を上げようという声が大きくなっています。世界的には食料争奪の時代です。日本農業の技術力の高さを使って、輸出も含めて農産物を戦略的商品にできないのでしょうか。総合安全保障、食料安保の観点からの議論も不足しています。

小田切 農産物輸出を巡っては、農水省が5、6年前からその推進に力を入れていますが、問題は為替レートです。為替レート変動し、特に円高が進むと、まさに今産業界が直面しているように、長年のコストダウンの努力がわずか1日で消えてしまうことも覚悟しなければいけません。為替変動に強い農産物輸出という体制が作れるのかどうか私は疑問です。輸出自体は奨励すべき、伸びていくのが望ましいと思いますが、それが救世主になるとは思い難いですね。

尾形 農業の育成強化が言われますが、経済界は元々、農業にも市場原理をと主張しています。大規模農業と市場原理、一方で小規模農家をどうするかも難しい問題です。

小田切 その話になると戸別所得補償制度をどう評価するのかとも絡みますが、私は現在の農業の最大の問題は担い手の問題だと思っています。マーケティング力、あるいは輸出まで展望するような力をどのようなプロセスで付けていくのかということは将来的な課題ですが、当面は担い手の問題。そのために戸別所得補償がどれだけの力があるのか。
 自民党農政がいわゆる護送船団方式から大規模農家を特定化した政策に大きく転換をしたわけですが、それをもう一度揺り戻したのが戸別所得補償と考えて、言わば担い手選別型がいいのか、担い手を選別せずに一律15,000円を支払う戸別所得補償がいいのか。私は「答えは中間にあり」と思っていています。
 市場原理でお米が余ってる状況のもとで、米価が急速に下がっている。米の消費減退や転作政策がうまく機能しないということもありますが、担い手の足の部分に「岩盤」を入れて立ち上がれるようにする考え方は正しいと思います。
 但し、同時にすべての担い手・農家に対する一律ではなくて、将来展望がある農業者をサポートする路線もなくてはならない。つまり、全農業者を対象とするような対策と、特別な農業者を対象にするような対策の両方を打つのが重要です。自民党も民主党も、その片方だけでバランスが取れていません。
 問題は、特定の農業者をどう選別をするのかです。自民党の農政はここで行き詰り、戸別の農業者では4f以上、集落営農で言えば20fとか一種の外形基準で選別を行おうとしました。これは明らかに間違っていた。
 日本の農村はどこを歩いても、例えば集落単位で10年後に農業をやっている人は誰ですかと聞くと、異口同音に同じ名前が出てくる。あるいは、誰もやっていないとか、そういうほとんど同じ回答が返ってくる。そういう意味では、一種の歴史の流れの中での選別はもう終わっていて、10年後には誰が残るのかというのはみんな知っています。
 そうであれば、特定の農業者を誰にするのかは地域に任せ、その人には手厚く支払う仕組みが必要です。その点では戸別所得補償プラス地域特任加算と言うか、地域が担い手を特定化するような加算があって、自民党農政と民主党農政の中間に答えがある。それを選挙の中で「右か左か」という議論をしてしまったことが間違いだった。

▽格差是正と内発的発展の二兎を追う

尾形 民主党は、何かと言うと全国一律です。分かりやすいが、やろうとすると難しい。

小田切 いわゆるベーシック・インカムの発想があるのかもしれません。しかし、その政策手法で危ういのは、直接給付型の政策には、もらえる人ともらえない人の分裂が必ず付きまといます。子ども手当も、もらえる人は賛成、もらえない人が反対。言わば1本の線で心を二分しています。
 戸別所得補償もそうです。直接給付型の政策というのは、もらえる人とそうでない人のある種の憎悪の関係を生み出す可能性がある。これは先ほどの都市と農村の対立の一つの引き金になる可能があると思っています。

尾形 中山間地の支払い制度は、荒廃が進む農山村を持続可能な生産・生活の場として再生しようという、都市生活者にとっても大切な制度です。

小田切 制度の見本は1975年にイギリスが当時ECに加盟した時に持ち込んだ、いわゆる条件不利地域支払い制度が原型となって、日本では四半世紀遅れて2000年にスタートしました。しかし制度の根幹に集落を位置づけたように、その中身はものすごく日本的な制度です。
 この制度は総額で年間約500億円、国費ベースで約250億円ですから、過疎対策などに比べると小さな金額です。従来から過疎対策や山村振興対策はあったのですが、直接支払ってこなかったために農家へのメッセージ性がなかった。補助金や過疎債では得ることができないメッセージ性がこの制度の中に付いているのです。
 例えば、5年間は耕作放棄を出さないような農業生産を続けてくださいという要件ですから、もらったお金の裏には、その時々の首相の名前でこの制度で頑張って農業を続けてくださいとメッセージがついて、それが対象者に届いています。だからこそ、農家のお年寄りは困難な状況にもかかわらず頑張ってやろうという気持ちがそこから出ていると言うんですね。

尾形 地域振興の基本は格差是正の視点と、地域の内発的発展の二兎を追うことだと強調していますね。

小田切 二つの理念は、政局あるいは選挙の中で大きく左右に振れました。小泉内閣の時には「格差是正」は時代遅れ、それを言うこと自体が守旧派だって言われました。ところが選挙に負けると、格差是正や限界集落対策こそ重要などとなる。格差を是正しつつ内発的発展を遂げる、この両方を実現するという当たり前のことが今までできていなかったんですが、中山間地の直接支払い制度は、この二つを実現している数少ない制度なんです。
 半分は集落でプールする、あとの半分は個人で使います。プールした分は、地域課題に応じて使う内発的な発展を遂げるムラづくり基金にもなります。農山村再生のためには、二兎を追うことを常に意識しながら制度を作るべきだと思います。

▽手触り感があるのは昭和の合併の旧村レベル

尾形 ドイツの景観形成活動から入って、行政と住民が一体になってやる「我が村を美しくする運動」や、フランスの気持ちが通じ合う小規模な地域こそが重要という「最も美しい村連合」の考えはヨーロッパで広がっていますが、日本ではそういう発想・運動はあまり聞きません。

小田切 日本の現状に当てはめると、自治体レベルでは大きくなりすぎてしまっていると思います。合併しなかった自治体よりもはるかに小さい、適正規模としては「昭和の合併」の旧村レベル、分かりやすく言えば「大字」とか旧小学校区といった単位の、手触り感がある範囲でのコミュニティ活動が(参考になる)。

尾形 市町村ではなく、集落単位ですか。

小田切 集落では多分小さすぎるので、集落と市町村の中間が大体のイメージになると思います。人口で言えば最大千数百人、世帯数で言うと300〜400とか、そういうレベルでのコミュニティづくりです。これがいわゆるソーシャル・キャピタルが蓄積して、お互いの信頼感あふれる、さまざまな活動が行える、そういう基盤になると思います。

尾形 棚田とか散居といった日本の原風景は健全な形で残さねばと思います。日本人はヨーロッパの田園風景に憧れますが、日本にもそれに劣らない風景があります。

小田切 景観と同時に残さなくてはいけないのは、人間の自然への付き合い方、「技」だと思います。例えば漁法一つ取っても、地域ごとに特性があって、特に内水面漁業ではその地域のルールの中で資源を維持するためにわざと効率が悪いような獲り方をしている。一種の漁労文化が残っています。農法についてもそれが持続的であるために、自然への対応策としてさまざまなものが残っています。
 地域それぞれの自然との個性的な付き合い方を守るような運動にしなければ、(日本の良さは)なくなってしまう。こういうところに都市住民が、グリーン・ツーリズム、農家民泊のために来訪し、そしてリピーターとなるわけです。景観と技の二つを維持、発展させるような仕組みは積極的に政策で手を打つべきだと思います。

尾形 それで思い出したのは、三重県志摩市和具の75歳の海女さんの話です。彼女らは今でも昔からの漁の仕方でアワビを獲っています。長時間潜れる方法もありますが、それをしない。獲り過ぎて資源がなくならないようにするためです。

▽若者と農村のマッチングを生かせ

小田切 農業の将来を考えると、若者と農村のマッチングをどうするかも重要です。若者が集落支援といった形で地域への関わりが増えています。それを私は三つに整理しています。一つは自分の居所を探す若者の「自分探し」派です。2番目は、都市の仕事が肌に合わず農山村で体を動かすことが性に合う仕事派です。3番目は、地域貢献派。今の農業・農村の状況に義憤を感じているグループが出始めている。人生は相対化し始めていますから、彼らは25歳まではいくらでもやり直しがきくと思っていますので、若い時期に何か自分の力をかけることができないかとの思いを持っています。
 私のゼミ生でも、休学して緑のふるさと協力隊に行くという学生が出てきています。

尾形 若者が行くための条件もあると思いますが。

小田切 地域貢献のための受け入れのNPOがあるとか、集落支援の募集をしているとかが条件となります。和歌山県高野町の例は有名で、去年の5月に募集したら、全部で履歴書が164通届きました。若者が農山村を目指す新しい現象を、地域がどこまで情報を持ち受け入れの準備ができるかがとても大切になっています。

尾形 受け入れにも難しさがあるでしょう。

小田切 受け入れる市町村が役割を与え、そのため徹底的に面倒を見ることが原則です。この仕組みを導入すれば自分の仕事が楽になるなどと思ったら受け入れはできません。若者なり外部の人間を受け入れるというのは大変手間がかかる、きちんとサポートをしなければ地域の方々にも刺激にならない。若者も挫折して戻ってしまう可能性があります。
 この10月(平成22年)に広島県の神石高原町が音頭を取って、「
地域サポート人ネットワーク全国協議会」をスタートさせます。全国の取り組みを一つの町が問題提起をして全国的なネットワークを作るという非常におもしろい事例です。このネットができれば、「サポート人をどうサポートするのか」とかさまざまなノウハウの交換が期待されます。

▽旧国土庁の役割復活を

尾形 省庁横断的に地域活性化に取り組む体制はありますが、どう機能しているのか見えません。

小田切 2001年の中央省庁改革の問題のひとつは、調整官庁の経済企画庁と国土庁を解体してしまったことです。経企庁は内閣府に移りましたが、国土庁は完全解体されメインの部分が国土交通省の一部局です。地域再生を巡る企画・調整省庁的なものは必要で、現在ではその一部を担っているのが総務省の地域力創造グループです。おそらく総務省は、分権、合併を企画促進する制度官庁から、制度官庁プラス地域振興官庁に大きくハンドルを切ったように思います。「国土庁の再建」という意味も含めて、応援したいと思います。
 国土庁はカネもない調整省庁で各省からの混成部隊で駄目だったと言う人もいますが、混成部隊でカネがないから職員がお互い議論し勉強し、地域再生のためにいろんなアイデアをひねり出したことを忘れてはなりません。