名張市

「再見わが町」名張市

◎今だから見てみたい乱歩の世界

 ♪♪「ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団」♪♪

 このメロディーを聞くと、中高年世代の人なら誰でも子どもの頃を思い出すのではないだろうか。兄姉のお下がりの質素な身なりだったが、子どもたちが胸をそらして歌うその声は、「怪人」と戦う探偵団になりきったように元気だった。そんな遠い記憶が私の中にもある。古い記憶が蘇ったのは、三重県名張市出身の江戸川乱歩の歩みを現代に呼び戻そうと頑張っている地元グループの活動を聞いたからだ。
 日本の推理小説を大衆文化に押し上げた乱歩が昭和10年代初め、子どもたち向けの「少年倶楽部」と「少年」に連載した「怪人20面相」「少年探偵団」は、多感な子どもたちの心をくすぐり、とりこにした。その頃の社会は、内も外もこの先どうなるか分からない不安な時代だった。国内では青年将校らによる2・26事件(11年)、外に目を向ければ日独防共協定の締結(同)、日中戦争の引き金となった盧溝橋事件(12年)が起きている。

独特な作風で乱歩が描く世界は、騒然としたこんな社会を忘れさせてくれるドキドキ、ワクワクに満ちていた。

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「著名人と出生地」。まちづくり、地域活性化に躍起の行政(自治体)が、わがまちのイメージアップに著名人を登場させる例は全国どこでもあるが、名張市の乱歩フアンによる「乱歩蔵びらきの会」は、考えること、やることが他とは違った。会を立ち上げてまだ6年だが、ありきたりのイベントはしない。
 「蔵びらき」とは、乱歩が残した大切なものがいっぱい詰まった蔵の扉を開けて、怪しい雰囲気を大いに楽しもうというわけだ。いい歳をした大人たちが、大真面目で「怪人20面相」になりきっている。シルクハットを被り、黒マントに目の部分を覆った黒マスクにタキシード姿で、狭い路地に現れたりする。ミステリアスな乱歩の世界を紹介する催しなのだが、本人たちは至って真剣だ。
 メンバーは自らプロデュースする「ソフト人間」たちだから、やることも半端でない。乱歩生誕の石碑が建つ百坪ほどの土地に、怪人にあやかって10b四方、高さ5bの黒テントを仮設し、「乱歩ひとがたり」の上演や、紙芝居を使って乱歩の世界を発信している。黒テントは昭和30年代によく見られた、サーカスや芝居を楽しむ見世物小屋から思いついたという。乱歩は見世物小屋や蔵が好きだった。
 「蔵びらきの会」の代表を務める的場敏訓さんの本業は、ホームシアターの音響・映像システムのプロデュース。故郷に戻った的場さんは「頑固に変わろうとしない」市民気質が嫌だった。世の中は効率的で便利さ、手軽さを求めるデジタル社会。その社会が疲弊し始めている。求めるのはアナクロではなく、アナログの柔軟さではないかと思ったと言う。
 元々、自分で何かをプロデュースすることが好きだ。乱歩の作品は時代の移ろいとは関係なく、黙っていても映画に舞台に、そしてテレビを通してフアンを引きつけている。ところが、「三重県名張市もこれを生かさなかった」。

乱歩の作品にはモダニズムがあるし、人間の深層心理、願望的なものも捉えている。「会」が発足した2004年は、小泉内閣の構造改革の真っ只中だった。全国的に「格差」が社会問題化していた。社会の歪みは広がる一方だが、こんな世情は乱歩が「怪人」や「探偵団」を世に出した時代の閉塞感とどこか似ている。そんな現代だからこそ、乱歩のドキドキ・ワクワクの怪しい世界が求められるのかもしれない。
 日本推理作家協会の著名な作家を毎年招いて異次元の話を聞く「なぞがたり」は、乱歩の世界をのぞこうというものだ。乱歩は名張にとって「得難い資源」だが、的場さんらが目指すのは、在り来たりの活性化ではない。「蔵の扉を開けて乱歩が残したものをどう使うかは郷土愛。やるなら本質まで迫りたい。そうすれば、周りの人もピンとくる」

 名張市は城下町として、そして万葉の時代から大和と伊勢を結ぶ初瀬街道の宿場町として栄えた。中世期に能楽を大成した観阿弥が初めて座を建てた「観阿弥創座の地」としても知られる。まち中を名張川から引いた疎水のきれいな水が流れている。隠れ里のような自然や山々に囲まれた県境の町である。
 活字離れの時代に乱歩の世界を分かってもらうには、感受性の強い若い世代をいかに引き付けるかだ。「きっかけぐらいにはなるかもしれない」と的場さんは言った。 (尾形宣夫)