☆沖縄サミットを政治決断した小渕氏は、くしくも28回目の復帰記念日の前日亡くなった。後を継いだ森首相は突然の大役に頭も体も回らない。サミット決定の最大の意義を見出すべき沖縄の基地問題に対する認識はほとんどないに等しかった。

核心評論「沖縄復帰28年」

2回続きの(上)「政治の季節」

◎位置付け試される沖縄
 政治判断迫る「15年問題」

 今年二十八回目となる十五日の復帰の日を迎えた沖縄は、六月二十五日で固まった解散総選挙と中旬の県議選を前にした政治の季節に直面している。総選挙が終われば、七月の主要国首脳会議(沖縄サミット)である。沖縄の政治的位置付けが試される場面に県民が立たされている、と言っていいかもしれない。
 沖縄サミットという政治判断を下した小渕恵三前首相が、くしくも復帰の日の前日に死去した。森喜朗首相が小渕氏の遺志をどう実現させるのか、首相の真価が問われている。
 サミット開催は世界に「オキナワ」を知らしめるだろう。日米安保条約の柱石としてだけでなく、米国の世界戦略のかなめの存在として。このことは、沖縄の将来の役割を占う意味で注目していい。単なる日本での初の地方開催というわけにはいかない。

 昨年暮れ、日米両政府と沖縄県に重くのしかかっていた普天間飛行場の移設先が名護市と決まった。受け入れた地元の気持ちに応えるべく、政府は閣議決定で地元の条件を〃保証〃した。
 政府は普天間移設に伴う経済振興策に限らず、普天間代替施設の使用期限十五年問題にも前向きに応ずる方針を打ち出している。すべては、昨年四月末の小渕氏の決断で始まった。
 小渕氏に代わった森首相が、複雑な基地問題にどんな意欲を見せるのか注目していた。ところが、復帰の日を翌日に控えた首相の十四日の沖縄訪問は、サミットの準備状況を視察するのがほとんどの日帰り日程、稲嶺知事らとの会談も形式的なものだった。
 それと、今月五日の日米首脳会談の内容である。
 首相は普天間代替施設の使用期限「十五年問題」で、クリントン米大統領に沖縄の要望を伝えたにすぎない。一方の大統領は、県民との直接対話を希望、県民に対して「われわれはセンシティブ(敏感)だ」と応じた。

 大統領発言は日米同盟の重要性を強調した上でのもので、基地の整理縮小に向けたものと考えるのは早計だ。逆に、基地問題解決に当たっての日本側の取り組みの弱さを突いたと考えた方がいい。

 米政府が表立って対日批判をしないのは、基地問題を日本の国内問題としてゲタをあずけているからだ。しかし、日本政府が国民に十分説明していないことを米国が懸念しているのは確かだし、これが十五年問題に限らず日米安保の信頼性に傷を付ける可能性は否定できない。

 突然の首相就任、そして総選挙、沖縄サミットと続く政治日程で頭がいっぱいの首相に、基地問題を考える余裕はないようだ。
 野中広務氏ら自民、公明、保守の与党三党幹事長が今月二十四、二十五日そろって沖縄を訪問する予定だ。総選挙の協力態勢はもちろんだが、三党が足並みをそろえて沖縄問題全体にとりくむ姿勢を県民にアピールすることを念頭に置いている。
 政治日程から首相のサミット前の沖縄再訪問は難しい。そこで、与党レベルで首相の足らざるところを補おうという知恵だろう。

普天間問題は、普天間飛行場の返還跡地利用、移設先となる県北部地域の振興、代替施設の態様の三つの問題のパッケージで、どれ一つも欠かせない。
 国内的に処理できる振興策などと違って、代替施設の十五年問題は米政府の姿勢が極めて厳しい。
 だが、沖縄の意向を米側に伝えるだけでは交渉とはいえないし、問題解決にも近づかない。具体的に米側とやり合ってこそ、県民の不安に救いとなる。
 経済振興策と併せた基地問題解決のレールは敷かれたが、各論の難しさはさらなる政治判断を迫る。

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