☆沖縄にこだわり続けた橋本、小渕両首相の後を継いだ森首相の沖縄への認識は低いと言わざるを得ない。急きょ登板した森氏はサミットの準備視察を兼ねて沖縄に入ったが、日帰りの日程だった。なぜ、とんぼ返りなのか。

論説「森首相沖縄訪問」

◎沖縄の現実を体感すべきだ

 森喜朗首相が十四日、沖縄を訪問する。七月の主要国首脳会議(沖縄サミット)の準備状況などを視察するのが目的だが、日帰り訪問という。翌十五日は沖縄が日本に復帰してから二十八年目の日である。日程に幅をもたせる余裕がなかったのは残念としか言いようがない。
 首相の沖縄訪問の持つ意味は大きい。あらためて県民と対話する機会をつくって、沖縄はどう変わったのか、どこが変わらないのかを直に確かめるような視察をしてほしい。

 首相に思い起こしてほしいのは、一九九五年秋の米兵による少女暴行事件で基地問題が瀬戸際に追い込まれた事実である。
 事件が引き金となった「代理署名訴訟」は、最高裁で沖縄県の敗訴となり、嘉手納基地など米軍の主要基地の使用期限切れ問題で国は米軍用地特別措置法を改正、契約拒否地主の抵抗の手段を奪った。
 国と県のつばぜり合いの闘いは国政の最重要課題だったし、米政府も無関係ではあり得なかった。そして沖縄の基地問題が、七二年の日本復帰後もほとんど改善されなかった事実を国民に知らせることにつながった。

 橋本龍太郎首相(当時)が在任中に大田昌秀知事(当時)と十七回も会談、基地の整理統合や立ち遅れた経済振興策で可能な限りのカードを切ったのは、日米安保条約に在沖縄米軍基地が不可欠だったからだ。

 基地整理統合の象徴となった普天間飛行場返還の日米合意の背景に米政府のアジア・太平洋戦略があったが、反基地のうねりとなった日本国内の世論に、日米両政府が現実的な対応を示したという側面があったことも忘れてはならない。
 橋本氏に代わって一昨年七月首相になった小渕恵三氏は、サミット開催条件が最も不利だった沖縄での開催を決め、懸案の普天間飛行場の移設先として名護市東海岸を取り付けた。
 小渕氏は「ある意味でリスクを背負わなければならないが、沖縄をアジア、世界に知ってもらう絶好のチャンスと思って決断した」と語っている。
 その通りだと思う。しかし、小渕氏の「深い思い入れ」なくして沖縄サミットはなかった。これを支え、地ならししたのが野中広務官房長官(当時、現自民党幹事長)だ。

 橋本氏は普天間飛行場の返還に道筋をつけながら、九八年夏の参院選敗北の責任をとって退陣。小渕氏もこの四月、病気退陣した。沖縄への思い入れで甲乙つけ難い両氏は、不運にも途中退場を余儀なくされたのである。
 急きょ登場した森首相は、両氏が敷いた路線を完結に近づける責任を負うことになる。移設先が決まった今は、「粛々と問題解決に当たる」(政府筋)だけでいいかもしれない。
 昨年暮れの閣議決定で普天間返還に関する内閣の方針が打ち出され、移設先となる県北部の振興策や普天間飛行場跡地の利用対策などが決まっているからだ。
 とは言っても、代替基地の規模や工法を含めた態様次第では、返還に大幅な狂いが出てくることも予想される。日米特別行動委員会(SACO)で合意した米軍基地の整理・統合・縮小は、お世辞にも進んでいるとは言い難い。
 さらに、普天間移設の条件となった代替基地の使用期限(十五年)問題も、閣議決定があるにもかかわらず、政府の対米姿勢は腰が引けている。決して、粛々とはいきそうもない。

 首相に対する沖縄県民の感情は率直に言って良くない。首相就任直前の「君が代」をめぐる地元批判は、軽率のそしりは免れない。
 森首相は雄弁だ。国会答弁などでも、小渕氏を引き合いに出しながら沖縄への関心の深さを強調しているが、説得力に欠ける。首相として思うことを信念を持って言うことはいい。だが、言葉が走りすぎて「取り違え発言」が飛び出すようだと、県民の不信感を煽る結果になりかねない。
 首相は敷かれたレールを走るだけでは済まない。沖縄問題、とりわけ基地問題は総論から各論に入っており、これまで以上に政治判断を迫られることを覚悟しなければならない。そのために、頭だけでなく体で現実を感じてほしい。

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