☆小渕首相が4月2日未明、脳梗塞で東京・本郷の順天堂医大病院に緊急入院した。北海道・有珠山噴火、沖縄サミット、景気問題、教育改革など重要課題を抱えたままの緊急入院だった。
 首相が最も頭を痛めていたのは、政権基盤の安定を目指して手を組んだ自由党の連立政権からの離脱だったと言われている。
 首相は1週間前、完成間近なサミットの主会場となる名護市の万国津梁館を視察している。
 小渕氏の入院から3日後の5日、森内閣が発足した。小渕内閣の官房長官だった青木幹雄、自民党幹事長代理の野中広務両氏の切り回しだった。

核心評論「新内閣と沖縄問題」

◎地元意思尊重し対米交渉を
役割増す青木、野中両氏

 森喜朗内閣が発足した。
 新内閣は小渕恵三前首相の路線を踏襲するが、注目したいのは沖縄問題への対応である。
 青木幹雄官房長官(沖縄開発庁長官)と野中広務自民党幹事長のコンビで政府、自民党の態勢は保たれるが、内外の難問にすぐさま取り組まなければならない新首相に、時間がかかる沖縄問題の即効薬はない。
 青木、野中両氏の役割が一段と求められるだろう。首相も沖縄の声に粘り強く耳を傾け、地元意思が対米交渉に反映されるよう当たり前の方法に力を注いでほしい。

 橋本龍太郎元首相や小渕恵三前首相は沖縄への強い思い入れを政治判断のバネにした。
 橋本氏は一九九六年一月の首相就任時から住宅金融専門会社(住専)問題に直面したが、基地問題に没頭した。師と仰ぐ佐藤栄作元首相(故人)の沖縄返還実現を脳裏に刻みながら問題に取り組んだ。
 基地問題が沸騰している状況の中での大田昌秀知事(当時)との会談は計十七回に及んだが、橋本氏の心労は普通ではなかった。在任中、沖縄問題で首相談話を発表したり、米軍基地の整理・縮小や経済振興の大枠を閣議決定しているが、いずれも首相が陣頭指揮を執らないと問題の解決が前進しないとの判断からだった。九六年四月の普天間飛行場返還の日米合意の実現にかけた橋本氏の執念はすごかった。

 橋本氏の後を継いだ小渕氏は学生時代から沖縄の復帰問題にかかわりを持っている。
 昨年四月末、今年七月の主要国首脳会議(サミット)の沖縄開催を決断、懸案の普天間飛行場の移設先として名護市・辺野古沿岸域を決定する道筋を開いている。ほぼ同時に大枠が決まった経済振興21世紀プランや北部振興策は、いずれも高度な政治判断から下されたものである。
 橋本、小渕両氏に比べれば森首相は沖縄問題への関与はさほど深くないし、なじみも薄い。先の「君が代」をめぐる自民党幹事長当時の発言は、県民の心を傷つけた。森首相に求められるのは問題の本質を認識し、解決の熱意をどう示すかだろう。

 沖縄県民は政治の変わり目に敏感だ。加えて政治を厳しい目で見詰めるのは、過酷な歴史体験からだけではなく、ときとして不穏当な発言が飛び出したり、約束が政治の都合でほごにされた経験が続いたからだ。
 政府がこれまで下した高度な政治判断に基づく諸計画は、本来なら小渕前首相が責任を持って実行するはずだった。これら難問を引き継いだのが森首相である。
 問題はサミット後にくる。経済振興策は事務レベルの手に移っているが、息の長い作業になるだろう。普天間移設問題は、サミットが終了すれば代替施設の工法、規模をめぐって移設反対運動も新展開を見せるかもしれない。移設の条件とされながら、事実上不可能となっている代替施設の「使用期限十五年」をどうするのか。森首相の手腕が問われる。

 沖縄問題、とりわけ基地問題は「政治」そのものと言っていい。政府は沖縄と向かい合いながら、米政府との関係を気遣う。つまり、内政問題であると同時に外交問題の色彩が濃い。
 小渕前首相は緊急入院する前の三月末、野中氏と会談、沖縄の「慰霊の日」の六月二十三日、戦没者追悼式に出席する日程を決めている。沖縄へのこだわりだった。
 森首相も「慰霊の日」の訪問を検討中と言われる。県民が平和への誓いを新たにするその日を、新首相の沖縄問題の第一歩にしてはどうだろう。

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