インタビュー企画「当事者が語る『普天間の実相』」
4回続きの(3)村田直昭元防衛事務次官

◎米、機能維持を強く要求
 既にあったシュワブ案

 橋本首相(当時)が米側に普天間飛行場返還を求めた時、キャンプ・シュワブ沖合埋め立て案は既に事務レベルの俎上(そじょう)にあった。だが日本側の狙いは嘉手納空軍基地への統合だった。

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 ▽移設先

 「米軍基地を再編合理化して集約する作業の中で普天間は象徴的な存在だった。首相訪米前から全体的な移設計画は(内部で)進んでいた。その中で普天間を動かさないといけないというのはあった。問題はどこに移転するか、だった」
 「少女暴行事件(一九九五年秋)があったから普天間移設が浮上したと言われているが、そうではない。軍用地再契約の手続きはものすごく時間がかかる。契約(期限五年)の翌年から次の契約の準備を始める。何とか知事(大田昌秀氏)に手続きを進めてもらおうとしている中で事件が起きた。ちょうど知事の決断時期とリンクしてしまった」
 「われわれが最後に詰めていたのは嘉手納基地への集約だが、その前にキャンプ・シュワブの沖合を埋め立て陸上とつなぐ案もあった。だが、私の勘で言えば、防衛庁部内では嘉手納集約が有力だった」
 「普天間はヘリ基地だが大きい滑走路を持っている。それは何かの時(有事)に所要の部隊が来るということが念頭にある。(米側は)移った先でもそういう面での代替機能が満たされなければならないと主張した。その中で、双方が嘉手納基地を整理してもう一本滑走路を造って保証する話があった」

 ▽基地機能

 「米側は最初『ノー』だったが、そう言っては、にっちもさっちもいかない。向こう(米側)もその気になって(統合案が)検討課題となった。在日米軍も、いろいろ努力してはどうかなという気持ちぐらいは持ったという感じはした」
 「橋本総理が海上基地と言われたのは、移動可能だ、撤去可能だということと、海上は騒音とか被害などが軽減できるというメリットはあるからだが、事務的には詰めていなかった。これからの検討課題だなと思った。部内ではキャンプ・シュワブがいいという声はあった。海兵隊もいるし、北部は開発も遅れている、海上であれば航空機の進入にも問題なく受け入れやすいとの考えがあった」
 「米国は沖縄の基地の集約・削減(要求)に理解を示していた。一方で戦略的考えから何の軍事的意味合いもなしに削減に応ずることはなかった。彼らにすれば、軍事的機能は維持していく。基地問題の重みは理解するから、機能を損なわないで基地を減らしていく代替措置が必要というわけだ。そうであれば、戦略的に欠陥が生じない措置を講じる。その責任は日本政府が持つとなった」

 ▽返還の意義

 「戦略的には代替施設による(機能の)補完。政治的には基地問題の円滑な解決だ。市街地に(広大な)基地が存在するのを避ける意味でも、米国は出ていくのはやむを得ないと考えたと思う。日米安保の信頼性のためにも返還(の合意)は必要だった」
 「冷戦の終結で米国の旧ソ連包囲網が一応必要なくなったが、一方で多様な危機が出てきているおり、米軍基地の存在意義はいささかも減らない。沖縄基地は日本の防衛体制とも関連する。米軍の有事駐留など論外だ。(基地の)地域的偏在をなくし、沖縄の基地を減らしていくことが大切だ」

99121日付)