インタビュー企画「当事者が語る『普天間の実相』」
4回続きの(2)斉藤邦彦前駐米大使

◎返還合意は基地整理の流れ
 米、慎重に関与避ける

 普天間飛行場の返還要求を受け入れた米政府は注意深く日本側の動きを見詰めていた。日米安保共同宣言に始まる防衛協力態勢の強化は、基地合理化の作業と並行して進められていた。

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 ▽日米関係

 「総理(橋本龍太郎首相=当時)がクリントン大統領に促されて『普天間返還』を言ったというより、大統領に言うことを考えていたと思う。私は総理の発言に意外という感じはしなかった。サンタモニカの首脳会談から二カ月足らずで日米合意ができたが、米政府内部でいろいろ議論はあった。反対意見も軍を中心に当然あった」
 「普天間返還と言っても基地機能の移転がうまくいくんであれば、実態上のマイナスは起こらないと判断したと思う。住宅密集地にあれだけの基地があるのはいいことだと思えない感じが米政府なりにあったはずだ。特に、前年のレイプ事件(九五年秋の少女暴行事件)のような事件が再発すると日米関係が大変なことになる。しかし事件がなかったら、返還合意がなかったという感じはなかった」
 「沖縄基地の縮小・合理化の作業はずっとやっている。普天間返還は今までの流れと関係なく出てきた話ではない。今までの流れの中の一つの大きな出来事だ」

 ▽海上基地

 「(大田昌秀沖縄県知事=当時=が海上ヘリ基地を拒否したことで)米政府は随分がっかりした。政府と沖縄県の関係が悪化したことに不安はあったと思う。ただ、日本側で調整に当たるべきというが米政府の立場だった。米国は『国内問題』と言いながら、米国と関係ない話だとはもちろん思わないが、口を出せばマイナスしかないという認識があって、日本国内での進展を待つ態度だった」
 「(稲嶺恵一氏の知事当選に)米政府は全く無反応だった。内心どう思っていたかはいろいろあるだろうが、それは日本の国内問題だからわれわれには何も言わなかった」
 「米政府は日本政府と話をするという態度だから、(稲嶺氏が海上基地に反対と言っても)日本政府からの話でない限り特に反応はなかった。海上基地の話は、米政府は途中から必ずしも最上の案ではないという感じを持っていた」
 「沖縄の状況を知っている人は(キャンプ・シュワブが移設候補と)考えたかもしれないが、日本側に言ってきたことは一切ない。米政府は非常に慎重に行動している。何か言えばマイナスに作用し得るという認識が強い」

 ▽サミット

 「九六年暮れのSACO(日米特別行動委員会)合意から相当時間もたったし、そろそろ物が動いてもいいはずだという感じを米政府が強く持っていた。だが今春、沖縄サミットが決まったから(普天間移設の)早期決着と言い出したのではない。米政府は注意深く(言及することを)避けている」
 「(米大統領が未解決の状態では沖縄に行きたくないと言ったのは)基地があることによって米国に対する感情が良くない状況では行きたくないという当然の本音が出たのであって、普天間が解決しなければ困ると言ったのではない。基地問題全体の話だ」
 「九六年四月の日米安保共同宣言の結果、沖縄米軍基地の重要性が高まったという感じはしない。もともと、(沖縄は安保の)最重要の要素であるが、共同宣言で(重要性が)高まったということではない」

991230日付)