論説「普天間受け入れ決定」

名護市長決断で展望開くか

 岸本建男名護市長が普天間飛行場の移設を容認した。
 先月二十二日、沖縄県の稲嶺恵一知事は普天間の移設候補地として名護市東海岸の辺野古沿岸域を指定している。知事に続き名護市が受け入れたことで、普天間飛行場の返還問題は一九九六年四月の日米合意から三年八カ月ぶりに「決着」にこぎ着けた。
 来年七月の開催が決まっている主要国首脳会議(沖縄サミット)のためには、普天間問題はどうしても年内決着に持ち込まなければならないというのが日米両政府の共通認識だった。市長の最終決断で普天間飛行場移設は大きなやま場を越した、と言える。

 市長の表明に、移設に反対する住民は猛反発した。
 当然のことだ。どんな代替施設ができるのか皆目見当がつかない。地元が求める基地の使用協定もどうなるか分からない。地元紙などによる最近の世論調査では、市民の約六割が移設に反対、賛成を大きく上回っている。この世論調査から判断する限り、政府が約束している振興策は地元住民を説得する材料とはなっていない。
 だが市長は決断した。
 一昨年暮れ、当時の市長比嘉鉄也氏は海上へ基地の是非を問うた市民投票の結果とは逆に建設を承諾した。市長辞任と引き替えだった。住民意思とは違う二つの結論に共通するのは、名護市など県北部地域の経済振興以外にない。
 住民の多くが政府の振興策を評価しないのは、政策の中身が十分説明されていないからだ。目に見える振興策とその具体化を岸本市長は自己責任で成し遂げようと決意したようだ。
 自ら退路を断ち、政府にその保証を求めた結論に違いない。
 今年四月末に沖縄サミット開催が決定してから、普天間飛行場の移設問題は急転回を始めた。米側が問題の早期解決を日本側に迫り、政府も年内決着を県に強く要求した。

 今月中旬の沖縄政策協議会で示された政府の沖縄振興策は、文字通り満額回答といっていい。来年度予算の政府案でも裏付けられた。現在の財政事情を考えれば思い切った沖縄支援策だが、裏返して見ると、小渕政権にとって普天間移設がいかに緊急課題であるかということである。

 ところで、振興策と同じく地元が移設の条件とし、名護市議会の移設促進決議が求めている普天間代替施設の使用期限十五年は、あいまいなままだ。基地の使用協定もどこまで吟味されるかは疑問だ。市長は記者会見で決議の順守を求めたが、先行きどうなるか分からない。
 国際情勢の先行きは予測し難いのは事実だが、政府は地元の意向を熟慮して対米交渉に臨むべきだ。その努力を惜しむようでは振興策の効果も半減してしまう。
 普天間飛行場の全面返還を決めた日米合意から、両国の防衛協力体制は驚くべき速さで進んだ。
 日米合意は安保の効率的な運用を図る日米両国の作業の中で実現したものである。
 九五年秋の米兵による少女暴行事件は衝撃的で県民を反基地運動に結集させたが、普天間返還合意の決定的要因ではなかった。大田昌秀前知事が基地強制使用に必要な代理署名を拒否したのも、事件半年前の米国の東アジア戦略報告(ナイリポート)が十万人の兵力維持を掲げたことへの反発からだ。

 国際情勢に予断を持つことはできないが、九四年四月の日米安保共同宣言は「情勢の変化に対応した軍事態勢の協議」を明確にうたっている。沖縄の基地問題が正式に日米交渉のテーブルにのり、改善策が模索されている今こそ、軍略を超えた外交努力が払われなければ基地問題の前進はない。
 サミットに目を奪われた対応だけでは県民の真の共感は得られない。目前の課題に対処すると同時に、長期的視点に立つ努力の必要性を、普天間問題は教えている。

991228日付)