☆稲嶺知事の受け入れ表明に続いて、岸本名護市長が移設を容認した。国の出方を最後まで慎重に探った上での決断だが、市民投票で「拒否」した基地を受け入れるとした決断は、沖縄への強すぎる基地問題の重圧を浮き彫りにした。
 わずか人口5万人の名護市の市長が外交問題で答えを出さざるを得ない矛盾が沖縄にあったということである。核心評論と論説の2本の記事で問題を検証した。

核心評論「
名護市長の決断」

◎強すぎる沖縄への重圧
 基地縮小へ外交努力を

 岸本建男名護市長が普天間飛行場の移設を了承したことは、基地の島沖縄の現実を表してあまりある、と言えるのではないか。
 一つには県民が直面している基地問題と経済問題の葛藤である。どちらかを選択したということではない。
 岸本市長は普天間問題の年内決着を急ぐ政府に対し、沖縄本島北部の経済振興の具体策や基地問題に絡んだ環境問題を重視する姿勢を伝え、政府の出方を慎重に探った。
 当初は口約束の域を出なかった政府も、最終的には政府筋が「満額回答」と言うほどのメニューを示し、代替施設の使用問題でも配慮を確約した。稲嶺恵一知事だけでなく市長も高く評価。地元選出の代議士も手放しで喜ぶ内容だった。

 岸本市長が北部振興に固執したのは、経済疲弊が著しい北部の立て直しが急務となっていたからだ。普天間の代替施設を押し付けられるだけでは、何のメリットもない。沖縄で言われる「南北対立」は開発・振興が進む南部と、立ち遅れた北部の感情的ないがみ合いにまで突き進むことがある。
 昨年二月、前市長が突然辞任して行われた市長選では、選挙戦術もあるが、海上ヘリ基地反対を主張した相手候補に対し、岸本氏は経済振興を掲げて勝利した。その三カ月前の海上基地の是非を問うた市民投票は海上基地を拒否している。振興から取り残された名護市民は短期間に二つの違った判定を示したのである。この複雑な感情は、沖縄の基地問題の縮図と言っていいかもしれない。
 岸本市長はこんな市民の感情を十分計算した上で代替施設を受け入れた。優先順位が「振興策」か、あるいは「基地問題」だったかではない市長の言葉から読み取れるのは、基地の痛みを分かち合おうとしない本土への「抗議」である。
 来年七月の主要国首脳会議(沖縄サミット)成功に向けて年内決着を急ぐ政府の焦りは明らかだった。大盤振舞いの振興策は、政府の弱みと言えなくもない。
 そして、市長が基地使用に関する条件がほごにされるようなら、受け入れ撤回もあり得るとしたのは本心だろう。市長の結論は、政府の弱点を突いた沖縄の心情と考えた方がいい。

 もう一つは、人口五万人の名護市の市長が、日米関係に深刻な影響を与えかねない決断を迫られた事実である。市長の判断を超える高度な政治判断が求められる問題が、沖縄に現実に存在することを教えている。
 稲嶺知事は普天間飛行場の移設先を表明したが、前知事の大田昌秀氏は基地強制使用に必要な知事の代理署名を拒否、名護市での海上ヘリ基地にも反対した。いずれも苦しみ抜いた上での選択だった。
 普天間飛行場の県内移設問題は、一九九六年四月の日米合意に始まる。同時期の日米安保共同宣言で約束した両国の防衛協力は、在日米軍の七五%が集中する沖縄を抜きには語れない。
 日米合意以降、日米安保は明らかに新局面を迎えた。
 その沖縄の基地問題の象徴となった普天間問題は、一時期にしろ日米安保の根幹を揺るがす最大の政治課題となった。

 
名護市への移設は、手続き上は地元沖縄の意思表示の形が整っている。だが政府は「頭越しに(移設先を)決めることはない」としながら、早期決着で攻勢を続けた。
 首長が外交問題にまで深入りした決断を求められるのは、基地が集中する沖縄以外では考えられない宿命だ。
 基地問題で首長が何らかの意思表示を求められるのは避けられないが、沖縄の基地問題ほど地元に重圧となる決断を迫っていいものか。解決策は、元をたどるまでもなく、基地の大幅整理・縮小を可能にする外交努力以外にない。
 それなくして、沖縄の基地問題の展望は開けない。

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