論説「移設先正式表明」

◎基地問題の次の展望示せ

 稲嶺恵一沖縄県知事が米軍普天間飛行場の代替施設となる移設先の候補地として名護市のキャンプ・シュワブ周辺とすることを正式に表明した。
 知事の提示は予想通り、というよりは予定通りと言った方がいいかもしれない。知事は早速、地元名護市の岸本建男市長に協力を求めた。最終的には市長がどんな判断を示すかが残るが、普天間問題は日米合意から三年七カ月ぶりに決着に向け大きく動き出したことは確かだ。
 政府は「年内決着」に目指して県側と経済振興策などの調整に全力を投入、市長判断の環境整備を進める。ただ、県内移設に反対する運動が激しさを増すことも予想され、市長の最終判断はなお予断を許さない。

 十九日の沖縄政策協議会で、稲嶺知事が求めた名護市を含む県北部地域の振興策や普天間飛行場の跡地利用策への法的措置および協議機関の設置などは、県側が考え得るほとんどの処方せんを提示したものだ。政府も「知事の指摘を重く受け止める」と最大限の配慮で答えた。
 だが、政策協議会のやりとりはいわば総論の話である。各論は県側の具体的提示を待って次回の政策協で明らかになる。政府の回答がどのような内容になるか現段階では明らかでない。
 しかし、協議会の前も含めて、知事はかなり具体的に感触を得たようだ。そうでなければ、いち早く移設候補地を表明するのは危うすぎる。岸本市長の判断を早期に得るためにも思い切った施策が盛り込まれるだろう。

 一九九六年四月の全面返還合意から今回の稲嶺知事の表明までの道のりは、沖縄問題の複雑さをさらけ出した。一言で言えば、相反する命題である基地と経済自立の課題をどのように乗り越えるかの葛藤(かっとう)だった。
 大田昌秀前知事がまとめた国際都市形成構想は、二〇一五年までの基地全廃が目標。実現性のあるなしは別にして、沖縄経済の自立には基地の存在は避けて通れない。構想は沖縄のそうした現実を問い、問題解決の処方せん訴えたのである。
 沖縄本島の二割を占める米軍基地が経済発展の前に大きく立ちはだかっている。過密化が進む都市部に広大な米軍基地があっていいはずはない。事件、事故もいつ起きるか分からない。四年前の少女暴行事件はそのことを示し、海兵隊基地の普天間飛行場の存在に焦点が当たった。

 橋本龍太郎前首相が言うように普天間返還は沖縄側が言い出したことだが、初めから県内移設が条件だった。政府が取り得る選択肢は、緊張する東アジア情勢をにらみながら沖縄の基地問題を前進させる方法。つまり、県内での整理・統合を進める日米特別行動委員会(SACO)最終報告の着実な実施である。
 ところが、政府が最良の策とした県内移設は、新たな基地の建設と県民の目に映った。県内移設を認めることは、七二年の日本復帰後、沖縄が自らの意思で基地建設を認めることを意味する。大田氏は「沖縄の原点」を盾に最後まで首を縦に振らなかった。
 昨年暮れ誕生した稲嶺知事を待ち受けていたのが普天間問題の早期決着だった。それを督促したのが来年七月の沖縄サミット開催決定だが、那覇軍港の移転問題に示されるように主要基地の移設は容易でない。知事は「一日も早い決着」の要求に悩み抜いた。
 岸本市長の判断がどうなるか不明な段階では今後のシナリオは書きにくい。仮に早期決着がついたとしても、県内での移設反対運動次第ではサミットへの悪影響も否定できない。普天間飛行場の県内移設に反対する動きは、革新団体が沖縄の日本復帰に「核抜き・本土並み・無条件返還」を求めて抗議した状況と通じるものがある。

 沖縄の基地問題解決に奇策はない。普天間移設も同じだ。他の都道府県以上に不況に苦しむ
沖縄県への手厚い支援策が必要なのは当然だが、同時にSACO合意の先にある基地縮小の道筋を真剣に考えるべきだろう。将来展望を示すことが基地問題の不安を軽くし、問題解決を進展させる。

991123日付)