☆「沖縄サミット」開催決定で本格化した普天間飛行場の移設問題は、稲嶺知事が進めようとしていた「那覇軍港」の移設スケジュールに先行する事態を招いた。
 知事は官邸での沖縄政策協議会で、名護市のキャンプ・シュワブ周辺地域と正式に表明した。地元の名護市に先立つ知事の表明は、本命の名護市の成算があったからである。

核心評論「沖縄知事の危うい選択」

◎決着急がせたサミット開催
 新視点で沖縄基地の展望を

 米軍普天間飛行場の移設候補地に名護市のキャンプ・シュワブ周辺地域と正式に表明した稲嶺恵一沖縄県知事は、本人が言うように「苦渋の選択」だったに違いない。日米特別行動委員会(SACO)合意で普天間は県内移設と枠がはめられ、その中で米軍基地の整理・縮小をいかに実現するかが稲嶺県政の緊急の課題だった。
 代替施設の規模や工法が明らかになるのはこれからだ。辺野古域は米軍のキャンプ・シュワブであるが、基地の新設である。一九七二年の日本復帰後、初めて県民の意思で基地建設が行われることに対する県民感情は複雑だし、反対の声も多い。知事決断は、そんな状況を十分知りながら国の方針通り見切り発車した、と言えるだろう。

 知事就任直後の稲嶺氏は普天間飛行場の移設をがむしゃらに進めることは考えていなかった。雲行きがおかしくなったのは今年四月末、小渕恵三首相が来年七月の主要国首脳会議(サミット)を沖縄で開催することを決めてからだ。
 日米両政府から伝わってくる直接、間接の早期解決の要請に知事が「走れるだけのスピードで走っている。これ以上急げない」と不満を露にしたのは一度や二度ではない。
 稲嶺氏は昨年十二月、知事就任と同時に那覇港湾施設(那覇軍港)の移設を最優先課題とした。返還決定から二十年以上も移設先が決まっていない案件の解決こそが、普天間問題打開の糸口になると考えたからだ。
 思いもしなかった沖縄サミット決定で「次の課題」の普天間が前面に飛び出し、知事の戦略は組み替えなければならない事態となったのである。
 経済界出身の稲嶺氏は前県政時代、多様な経済振興策をまとめ、国や大田知事(当時)に提言している。経済通の稲嶺氏だが、政治・行政は素人。その人物に襲いかかったのが、高度な政治判断が求められる基地問題だった。
 就任間もないことはあるが、稲嶺氏の県庁内の足場は強くはなかった。行政を「部外の知恵」に頼らざるを得ない弱さがあった。一時期、政府関係者の中では稲嶺氏の指導力を疑う声さえ聞かれ、再三「指導力発揮を」と求められたのも、そんな背景があったからだ。

 普天間飛行場の移設候補地として、実現性が全くないところも含めると十地域を超える名前が出た。そのうち、海上案は今回のキャンプ・シュワブ周辺地域を入れて数カ所だが、本命は当初から「シュワブ案」だったと言っていい。
 九七年十二月の名護市民投票で海上ヘリ基地案が拒否され、大田知事も正式に国提案に拒否声明を発表した。だが、県政が代わり県内移設やむなしの状況の中では、稲嶺氏が公約した過疎化が著しい県北部地域振興と既存基地との統合が可能な名護市辺野古地区を外しては、普天間返還は実現不可能というのが国と県首脳らの共通認識だった。
 九六年九月、橋本首相(当時)が「海上基地案」に言及して以来曲折はあったが、今回の知事表明で普天間飛行場の移設先は、橋本氏や政府首脳らが想定した地域に造る方向で筋道ができた。

 今月十九日の沖縄政策協議会で知事が提示した振興策や基地跡地利用対策に国は十分に意を尽くすという。国の具体策は来月の次回政策協議会で示されるが、それを待たずに表明に踏み切ったのは、知事に成算があったことにほかならない。
 だが、初の地方開催となる沖縄サミットを前に欠いてはならないものがある。国が沖縄の米軍基地について新たな説得力のある展望を真剣に考えることが、基地への不安を軽減する近道と考える。

991123日付)