☆沖縄の本土復帰した27回目の5月15日がやってくる。沖縄の現状を「核心評論」と「論説」で検証した。

核心評論「復帰
27年・転機の沖縄」2回続き(上)「政治の役割」

◎複雑化した基地問題
 不可欠なきめ細かな施策

 統治する正当性や権利がないのを知らないで統治する、いわゆる「善意の統治」に似た例は歴史上数多い。欧米列強の植民地支配が典型的だが、かつて旧日本軍部が「王道楽土」を目指した旧満州国(現在の中国東北部)の建国もその一つだ。
 国家目的を実現するために、住民の意思が別のところにある事実に気付かないまま、異民族の民生安定を図ろうとしたことが悲劇につながった。米軍の沖縄統治にも類似点がある。

 沖縄はこの十五日、日本に復帰して二十七年になる。一九四五(昭和二十)年、日本が太平洋戦争に敗れ沖縄が米軍の占領下に置かれた期間と同じである。
 この間の沖縄を「政治」抜きに振り返ることはできない。同じことは今後についても言えるだろう。
 戦後の基地経済に浸食されたいびつな社会経済システムは、復帰暫定措置という名の特別措置と十年単位の三次にわたる長期振興計画で自立経済への地ならしが行われてきた。
 沖縄の変ぼうは確かに著しい。総額六兆円の国の財政支出は沖縄の社会資本を充実させた。そして、復帰記念にふさわしい主要国首脳会議(サミット)の沖縄開催が決まった。
 だが現実を直視すると、本土との格差是正や産業基盤整備は道半ばだし、在日米軍基地の大半が沖縄に集中、戦略的機能は基地の整理・統合・縮小を進める日米特別行動委員会(SACO)の最終報告が完全に実施されたとしても、経済基盤の弱い「基地の島」の実態に変わりはない。

 基地問題は米軍占領下では平和・土地・事故が中心だった。それが人権問題や女性問題、地方自治の問題に拡大したのは復帰後のことで、特に九五年秋の少女暴行事件は復帰二十五年という節目と重なり衝撃を倍加させた。大田昌秀前知事が基地継続使用に必要な代理署名を拒否したのは、この事件と政府の対応のまずさによるが、地方自治を国の機関委任事務より優先させたとして反響は大きかった。
 全国に広がった日米地位協定の見直しや海兵隊撤退要求が日本政府を窮地に追い込み、日米安保体制の根幹を揺さぶる事態になったのである。暴行事件が引き金になったこの状況こそが、基地問題の様変わりを示している。
 一方で九六年の楚辺通信所(象のオリ)の使用期限切れやその後に続く嘉手納空軍基地など主要基地の期限切れを控え、自民党内に高まった国防関係議員らの「特別立法」の動きは、「反大田」感情が抑えきれない状況に至ったことを物語る。
 梶山静六官房長官(当時)が、交渉相手の大田氏を「殉教者」にさせまいと強硬論を抑えたのも、政府の危機感を表している。
 しかし、普天間飛行場の移転先となる名護市東海岸の海上ヘリ基地をめぐって大田氏が反対の立場を鮮明にするに及んで、政府の不信感は後戻りできないまでになった。
 沖縄の歴史研究家でもある大田氏の言動は時として政府首脳らの目に極めて政治的に映った。だが沖縄問題の本質を考えると、逆に政治的な行動が求められる場合もある。大田氏の行動は、一般的な知事の役割を超えざるを得ない状況にあったのだ。

 昨年暮れ、大田知事に代わって稲嶺恵一知事が誕生し、国と県の歯車が順調に回転を始めた。サミット開催の決定が、宙に浮いたままの普天間問題を前進させる力となるかもしれない。米政府も普天間問題がたなざらしになったままサミットに臨むのは本意でないからだ。

 ただ、このことが米政府の対日圧力となって表れるのか、あるいは自ら基地問題を認識することになるのかは予測できない。沖縄サミットに日本政府の政治的意図があるのは当然だが、参加各国首脳らに口では説明できない現実を知らしめることは可能だ。
 またとないこの機会を沖縄問題の将来展望につなげるにはどうすればよいか。考えることは多々ある。

99511日付)