☆沖縄の基地問題は、政治レベルではさまざまな日米両国の協議がなされ、それなりの対策が講じられている。ところが、米軍の日常的な訓練は国レベルの関心とは別個の動きをしている。米軍の有事即応態勢と基地機能の維持が、住民生活とは無関係な次元で日常的に行われている。嘉手納空軍基地で実施された降下訓練は、まさにひとり歩きする米軍の姿である。

核心評論「在日米軍の降下訓練」

◎反感無視の日米友好はない

 軍事的要求強める米政府

 在日米軍が十七日早朝、沖縄の嘉手納空軍基地で実施したパラシュート降下訓練は、県民の神経を逆なでしたにとどまらない。それ以上に多くの県民が実感したのは、「願い」がいまだに通らない現実である。
 広大な嘉手納基地での訓練だから、米軍当局が言うように「危険はない」かもしれない。だが、問題は「危険」とか「安全」といった議論ではない。訓練に、どれほど大きな政治的意味合いがあるか、である。
 在日米軍は三月六日に予定していた嘉手納基地での訓練を日本政府の強硬な反対で取りやめた。高村正彦外相がフォーリー駐日米大使に直談判しただけでなく、小渕恵三首相までが懸念を表明した。
 首相がこの問題に強い関心を示したのは、着実な実施が求められる日米特別行動委員会(SACO)最終合意に穴が開きかねない懸念と同時に、待ち望んだ保守系の稲嶺恵一知事との間で基地問題の連携に手違いが生じかねない不安があったからではないか。
 野中広務官房長官も普天間飛行場の返還問題や、ようやく動き出した那覇軍港の移転問題への影響を心配したのは間違いない。
 万一、降下訓練をすんなり認めるようでは沖縄県との関係がおかしくなりかねないからだ。いら立つ米国への配慮はもちろんあるが、両首脳には単なる「訓練」にとどまらない案件と映ったはずだ。

 三月の降下訓練が中止になるまでの日米両政府のやり取りは、異例なほど激しかった。
 在日米大使館が三月四日発表した声明には「米軍は高度の能力を維持する必要がある」ことや、訓練ができないことによる「米兵の技量低下を深く懸念」ということがはっきりと示され、さらに、両国政府は将来の訓練計画作成を約束したとなっている。
 フォーリー大使や米軍首脳も訓練中止以降、再三嘉手納での訓練再開を求めていた。
 那覇防衛施設局によると、降下訓練の知らせが防衛施設庁から届いたのは前日の十六日昼前。
 「昨日の連絡で今日やる」だから、施設局員も驚いたと言う。
 政府は「例外的に実施される」(野中広務官房長官)と理解し、この旨、稲嶺知事に連絡したが、知らせを聞いた知事も相当びっくりしただろう。

 SACO最終報告は読谷補助飛行場(読谷村)での降下訓練を伊江島補助飛行場(伊江村)への全面移転を決めている。
 ところが、伊江島は気象条件など訓練面での条件が悪く、代わりの訓練場の必要性が米側から提起されていた。
 日米両国の外交、防衛実務レベルで長い時間をかけてまとまった最終報告が、「気象条件」という分かり切った理由で棚上げされ、代わりの訓練場を使わせてくれという言い分は正当でない。
 ミャンマー訪問を終え十七日昼帰任した宮城篤実嘉手納町長は、職員の報告で初めて同日早朝の降下訓練を知った。宮城氏は知事選で稲嶺氏を全面支援した間柄だ。
 その町長は言う。「米軍は私たちが”危険性“だけを心配していると誤解している。それより、嘉手納の使われ方がこれでいいのかだ」と。

 住民感情と軍の論理は相いれない。沖縄はこの相克の歴史だった、と言っていい。
 沖縄県民は時には「革新」を、また別の時には「保守」を選択した。基地問題に現実的な稲嶺氏だが、県民感情や他の基地問題への波及を考えれば心穏やかではないはずだ。
 政府は日米安保堅持の立場から、沖縄を横目に難しい選択をした。伊江島補助飛行場を補完する訓練地から嘉手納基地を外し、県外にも選択の対象を広げる考えだが容易ではない。
 米政府は沖縄で基地問題が噴出する度に「良き隣人」たらんと強調する。が、今回のような抜き打ち的な降下訓練は、そのせりふの空しさを県民に植え付けるだけだ。

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