☆稲嶺知事の基地問題に対する取り組みが本格化した。
 県のプロジェクトチーム「普天間飛行場・那覇港湾施設返還問題対策室」が31日発足、那覇軍港移設に最優先で取り組み始めた。これを受けて、移設候補地として決定している浦添市の宮城健一市長が8日行った市議会の施政方針演説で受け入れを正式に表明した。宮城氏は「移設反対・西海岸開発」を公約に当選している。方針転換の理由は‥‥

核心評論「那覇軍港移転」

◎日米安保占う那覇軍港移転
 予断許さぬ変化の胎動

 一九九六年四月、日米両政府が沖縄の米海兵隊基地、普天間飛行場の全面返還で合意してから間もなく三年になる。
 返還実現の見通しは立っていないが、浦添市の宮城健一市長が那覇軍港の移転問題で軍港の移転、受け入れに前向きな所信を明らかにしたことで、政府も沖縄県もこの機を逃さず軍港の早期移転に全力を投入し始めている。沖縄の基地問題が新たな展開を見せ始めた兆候と言えるようだ。
 日米特別行動委員会(SACO)最終報告に盛られた在沖米軍基地返還の柱は普天間飛行場と那覇軍港。軍港移転が今注目されるのは、沖縄の基地問題の象徴となった普天間飛行場返還と密接に絡み合うからだ。

 那覇軍港を浦添市に移転する計画は、県の国際都市形成構想が示す那覇港湾地区の国際ハブ港湾化で軍港機能を浦添市に移そうというもの。
 現在の軍港地区は那覇空港に近い沖縄の玄関口に位置し、後背地に広がる小禄地区は返還後、一大商業・住宅地域に整備され、返還跡地利用のモデル地区。那覇軍港移転が実現してハブ港湾化計画が動き出せば、基地問題は様変わりするかもしれない。政府も県もそれを期待している。
 昨年十一月の知事選で当選した稲嶺恵一氏が模索する普天間飛行場の県内移設はめどが立たない。しかし、基地の整理・統合・縮小を経済振興策と結び付けて解決しようとする政府と、基地問題で現実的に対応しようとしている稲嶺県政との間に溝はない。
 稲嶺氏が普天間飛行場の代替施設として公約した北部地区での軍民共用飛行場は、飛行場を核とした臨空型の産業振興を目指す。基地機能を取り込みながら国の全面支援で経済振興を狙うものだ。知事はその後「複数の候補地」とニュアンスを変えたが、普天間移転と経済振興を一体で考えていることに変わりはない。
 緊急性から言えば、那覇軍港より人口密集地に囲まれた普天間飛行場の返還が先だが、県内移転が避けられない現状では難問が多過ぎる。
 九五年秋の米兵による少女暴行事件は普天間飛行場返還合意をもたらした。だが、翌年の日米安保共同宣言発表以降、日米の同盟関係強化が進み日本の対米防衛協力の具体的内容が明確になった。不透明だった日米安保の双務性が現実化する中で普天間返還が位置付けられたのである。
 普天間飛行場返還が日米関係を左右しかねないのはこのためだ。

 日米共同宣言はアジア太平洋地域の安定確保のため米軍兵力十万人体制維持を確認した。宣言取りまとめに先立って、沖縄県は在日米軍兵力四万七千人の明記に激しく抵抗、宣言には記されなかった。さらに宣言は在日米軍の兵力構成に言及、将来の兵力見直しに含みを持たせた。いずれも少女暴行事件で沸騰した反基地感情に配慮したからである。
 日米両政府は日米安保体制のほころびを直し、安定的運用のためSACO合意の着実な実施を再三言明している。ところがSACO合意の実施は思うように進んでいない。逆にその形骸化さえ懸念されている。予測できない危険と隣り合わせの普天間飛行場の場合は最も深刻だ。

 今月初め、沖縄県の「普天間飛行場・那覇港湾施設返還問題対策室」が発足、これに呼応する政府の「支援検討グループ」も活動を始めた。作業は那覇軍港移転を優先するが、普天間問題を棚上げにするわけではない。港湾整備、返還跡地利用、軍用地主対策など難問が山積している。いずれも政治判断が避けられないものばかりである。

99年3月16日付)