☆国と断絶状態となった沖縄の針路を巡るさまざまな県内外の動きが激しくなる中で、大田県政以後を占なう知事選が告示された。保守系新人の稲嶺は、地元経済界はもとより国の強い働きかけで出馬に踏み切る。海外旅行を理由に地元から姿を消し引き延ばしていたが、実は選挙準備の時間稼ぎだった。

核心評論「
沖縄県知事選告示」

◎どう表れる民意の変化
 割り切れない基地と経済

 沖縄県知事選が二十九日告示された。
 三選を目指す現職の大田昌秀氏(73)と経済界出身の保守系新人の稲嶺恵一氏(65)の事実上の一騎打ちだが、これほど政治的色彩が濃く注目される知事選は過去に例はない
 際立った争点は普天間飛行場の返還問題だが、同時に沖縄の将来像を探るための経済問題が有権者に重くのしかかっていることを忘れてはならない。単に基地問題と片付けては民意を誤り、問題解決を遅らせることになりかねない。

 大田県政の二期目は米軍基地問題に多くのエネルギーを費やしたと言っていいだろう。
 三年前の米兵の少女暴行事件で県民世論が沸騰。大田氏は日米安保条約で知事に義務付けられた基地用地提供の代理署名を拒否、問題は最高裁大法廷まで持ち込まれた。
 そして基地の整理・縮小を問う県民投票。その後の基地強制使用に必要な公告・縦覧代行の応諾。最後は日米両首脳間で合意した普天間返還の移設先とされた海上ヘリ基地建設問題―。一九七二(昭和四十七)年五月、念願の本土復帰を実現した沖縄が抱えていた未解決の基地問題というマグマが一気に噴き出した時期である。

 これに政府はどう対応するか。村山富市、橋本龍太郎両内閣の対米関係をにらんだ緊急政治課題だった。橋本前首相と大田知事の前後十七回に及ぶ会談がそれを証明する。普天間返還が合意し、知事を加えた閣僚級の沖縄政策協議会が発足して具体的な沖縄振興策のメニューが出そろった。
 すべては順調にいくかに見えたが、普天間返還の条件となった海上基地案で地元の名護市民投票は建設を拒否。知事も正式に海上基地に反対の意向を表明、その後海外・県外への移転を強く求めだし、国と県の関係は感情的な対立にまで発展してしまった。

 三選を目指す大田氏の主張は変わらない。逆に、「平和・共生・自立」を基本に、真正面から基地問題に立ち向かう。経済問題でも二期八年の実績を強調、観光振興と雇用創出に力点を置いている。
 稲嶺氏は国と県の対立で出そろった振興策が凍結状態になった、として現在の不況は「県政不況」と厳しく批判している。稲嶺氏は普天間飛行場の「海上案」に反対の立場を表明。将来県民の財産として活用できる軍民共用の「陸上案」を提唱、米軍の使用期間を十五年と限定した。

 基地問題を核とした、沖縄のアイデンティティーを訴える大田氏の作戦は戦後沖縄の原点に立つ。稲嶺氏は現実を直視し「次善の策」で将来の自立経済の足場を築く戦略を描く。大田氏は現職の強みを持ち、稲嶺氏は経済振興問題で各論にたけ人脈も豊富だ。
 日米友好の基軸となる日米安保の根幹は、沖縄基地を抜きに考えられない。金融問題を何とか片付けた小渕恵三内閣の次の懸案は十一月の一連の首脳外交だが、沖縄の知事選を放って置けるはずはない。稲嶺氏は政府、自民党の支援を断ったが、日米両政府が重大な関心を持っている確実だ。

 経済閉そくで、結束を固める地元経済界の積極的な動きが目立つ。革新団体を選挙母体とする大田陣営は、政党、団体を網羅したかつての革新共闘にほころびが見える。政局の流動化が原因だ。
 住民意識の多様化も激しい。一足先に統一地方選の年となった沖縄の首長選挙で革新の現職敗退が相次ぎ潮流の変化をうかがわせる。地元テレビ放送局が世論調査で問うた知事選の争点は、経済・雇用対策が基地問題を上回った。
 八月の県内の完全失業率は九・二%で過去最悪。知事選で産業振興・雇用創出の経済問題がいままで以上に問われるは間違いない。
(98年10月29日付