☆大田知事が正式に海上ヘリ基地案に反対の立場を表明したことで、政府と沖縄県の間にできた亀裂は広がる一方だった。その状況を橋本政権、対米関係、そして沖縄の複雑な民意の3つの角度から企画を構成した。本稿は企画の締めとなる最終回である。修復なった国と県の関係が再び亀裂に至る背景をたどりながら、民意の複雑さに視点を当てた。

評論企画「迷走する基地」3回続きの(下)「ねじれた民意」

◎補佐役失い、全面対決へ
 表れた民意の「乱反射」

 沖縄が直面する基地問題の転換点となったのは、吉元政矩副知事の再任提案が県議会で否決された昨年十月だった。吉元氏は以後、県政の場から全く姿を消した。

 一九九五年秋の米兵の暴行事件を契機に噴出した基地問題で大田昌秀知事を支え、政府首脳らと対等に立ち回ったのは吉元氏である。知事を交え沖縄問題全般を話し合う閣僚級の沖縄政策協議会の発足や基地の整理・縮小に関する国会決議、沖縄振興に関する首相談話発表などに至る対政府折衝はほとんど吉元氏が路線を敷き実現した。
 その吉元氏の交渉術が地元では「頭越し」と映って批判を浴び、政治生命を断たれた。同時に政府との太いパイプもなくなった。
 「参謀」を失った大田知事の姿が際立ったのが昨年暮れの首相との会談である。
 海上基地容認を「激しく求める」(知事側近)首相に、知事は原則論で応酬する以外すべはなかった、という。関係筋は「会談の準備がないまま、まる裸で官邸に来たようなものだ」と証言している。
 副知事在任中、「理念の大田」に対して「実践の吉元」と呼ばれた。キャンプ・シュワブ(名護市)沖の海上ヘリ基地建設計画が浮上して以来、知事が「国と市町村の問題」として県の関与を避け続けたのも吉元氏の存在と無縁ではない。
 批判はあるが、知事の理念を可能な限り実現に近づける戦術・戦略を吉元氏は持っていた。

 昨年暮れの名護市民投票は海上基地反対派が勝利した。そして今回の市長選は、基地建設容認派の推す岸本建男氏が基地反対の玉城義和氏を小差ながら押さえ、当選した。
 知事には予想外の事態だった。同じ有権者が全く逆の判断を下したわけである。橋本首相や自民党首脳らの目に沖縄の民意がプリズム状に映ったに違いない。
 大田知事は既に海上基地反対の立場を正式に表明している。だが知事の反対表明が、「知事の判断に従う」として争点を外して振興策を前面に打ち出した岸本氏の勝利に結び付いたことは間違いない。結果的にしろ、態度表明の時期を誤った、と見られても仕方がない。

 沖縄には別に「南北問題」という難題が横たわる。
 発展が目覚ましい中南部地域に比べ北部地域の疲弊は深刻だ。基地に対する嫌悪感は基本的に同じだが、振興から取り残された感情が北部に根強い。特に名護市開催がほぼ内定していた九三年の植樹祭が、大田氏の知事就任で沖縄戦の激戦地だった南部の糸満市に変更となったことへの不満は名護市民の記憶に新しい。
 前市長の比嘉鉄也氏が市民投票直後に海上基地受け入れを首相に表明したのも県政への強い不信感からだ。
 名護市民が海上基地建設に反対であることは市民投票の結果が証明した。同時に市民は地域の振興を市長選に求めた。この「ねじれた民意」を解くのは容易でない。

 政府、自民党が手放しで岸本氏の当選を喜んだのは当然としても、「建設容認」と見て政府が短兵急に基地建設推進の働き掛けを強化したり、経済振興問題と絡めれば、市民の反発を呼ぶだろう。
 沖縄県民は米軍基地との共生を余儀なくされてきた。そこから生まれた本土では分かりにくい基地感情を抜きに二つの投票結果は語れない。
 同じ有権者がなぜ違った判断を示したのか。政府は民意の「乱反射」が何を意味するのかを十分検討しないと基地問題解決の糸口は見えて来ない。

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