☆名護市長が民意に逆らって海上ヘリ基地受け入れを表明した。07年の暮れも押し迫った東京・永田町の首相官邸で首相に伝えた。市長は中国明時代の「教え」を一枚の紙に記して、わが心とした。「六諭えん義」(りくゆえんぎ)である。

核心評論「名護市長の決断」

◎「国政」救った比嘉市長
  難航必至の普天間返還


 橋本龍太郎首相の前で、海上ヘリ基地建設受け入れを表明した比嘉鉄也名護市長に、首相は涙を浮かべ何度も頭を下げていたという。

 二十四日夕、橋本・比嘉会談に先立つ首相官邸での首相と大田昌秀沖縄県知事との会談は一時間四十五分に及んだが、首相にとって海上基地問題は見るべき進展はなかった。
 続いて首相執務室に入った比嘉市長は国益、県益、市益はそれぞれつながるものと語り、辞任という政治生命と引き替えに地域振興を求めた。市長のこの「遺言」に首相は感極まったのだろう。
 市長は二十五日帰任後、正式に辞任の意思を表明した。
 市長の辞意は地元関係者だけでなく、政府首脳らも全く予想しない突然のものだった。しかし、その持つ政治的意味は大きい。
 橋本首相はじめ政府首脳や自民党幹部は、事前に比嘉市長が受け入れを表明する感触はつかんでいたが、「辞任」は想定外だった。
 辞任は市長選につながり、改めて民意を問う手続きが必要となり、問題決着がそれだけ先送りになる。選挙の結果次第では海上基地建設が再び否定され、普天間飛行場返還は事実上凍結されかねない。
 大田知事が二十二日の首相との会談で示した来年一月半ば以降の再会談で最終判断を下す予定は市長選後にずれ込む公算も出てきた。

 市民投票結果について米政府筋は明らかに不快感を表しており、仮に反対派の市長が誕生でもすれば、橋本政権に決定的な打撃を与えかねない。
 もう一つ見逃せないのは人口約五万人の名護市の市長が示した政治決断の意味である。
 橋本政権の政策運営は金融、証券問題や財政構造改革で目まぐるしく変わり、国民に不信感を植え付け政局の流動化をうかがわせている。問題への対応が変わる度に責任問題が浮上するが、いつの間にか政局の渦に紛れてしまい、肝心の政治責任は見えなくなってしまっている。
 比嘉市長の辞意は、沖縄本島でも過疎化が著しい北部地域の振興に、職を賭(と)した決断だったのだろう。あえて市民投票結果に反する決断で「国政」が救われたと言える。
 市長をそこまで追い込んだのは基地問題以外のなにものでもない。政府は問題の本質をこそ冷静に見極め、現在の沖縄問題に対処する方策を真剣に考えるべきだ。
 
 市長は二十四日、官邸で琉球王朝時代に庶民道徳の基本とされた、中国の明時代の「六諭えん義」(りくゆえんぎ)の漢文と王朝時代の王子による恋文に自分の心境を託した文書を書き、自民党の野中広務幹事長代理に手渡した。
 六義は父母に孝、年長者を敬い、郷里は仲良く暮らすことなどを教えるもので、恋文は愛憎に悩む王子の心境をつづったものだ。
 市長は海上基地問題に置き換えて自らの現在の気持ちと野中氏に伝えようとしたに違いない。

 名護市民投票の行方は日米間の基地整理・縮小計画の合意が順調に進展するか否かを占う重要な意味を持っていた。
 自民党幹部は「投票結果は関係ない。知事が沖縄全体のことを考え(受け入れを)決断しなければならない」とこわもてに出ている。投票日当日には野中氏が現地入りし善後策を地元に指示している。当然、知事や市長は政府・自民党の「てこでも引かない」意志を感じたはずだ。
 今回の事態を意外性と見るか。あるいは、作られたシナリオと読むか。市長の「受け入れ」まではシナリオ通りと言えるが、「辞任」は市長が野中氏に手渡した文面が示すように沖縄独自の風土が根底にある。
 基地と住民。沖縄が戦後五十年、「共生」を余儀なくされた現実が、比嘉市長に東京・永田町では考えられない決断に追い込んでしまった。

07年12月26日付