人の性は悪なり
-性悪篇第二十六より-
I think; therefore I am!


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本文(白文・書き下し文)
人之性悪。
其善者偽也。
今、人之性、生而有好利焉。
順是、故争奪生而辞譲亡焉。
生而有疾悪焉。
順是、故残賊生而忠信亡焉。
生而有耳目之欲、有好声色焉。
順是、故淫乱生而礼義・文理亡焉。
然則従人之性、順人之情、
必出於争奪、合於犯分乱理、而帰於暴。
故必将有師法之化、礼義之道、
然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。
用此観之、然則人之性悪明矣。
其善者偽也。
人の性は悪なり。
其の善なる者は偽なり。
今、人の性、生まれながらにして利を好むこと有り。
是に順ふ、故に争奪生じて辞譲亡ぶ。
生まれながらにして疾悪有り。
是に順ふ、故に残賊生じて忠信亡ぶ。
生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好むこと有り。
是に順ふ、故に淫乱生じて礼義・文理亡ぶ。
然らば則ち人の性に従ひ、人の情に順はば、
必ず争奪に出で、犯分乱理に合して、暴に帰す。
故に必ず将に師法の化、礼義の道有りて、
然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰せんとす。
此を用て之を観ば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかなり。
其の善なる者は偽なり。
参考文献:MY BEST基礎からベスト基本問題集 漢文 阿部正路 学研 荀子上 藤道明保監修 戸川芳朗 関口順訳 学習研究社

現代語訳/日本語訳

人の本来の性質は悪である。
それが善である者は、人為の結果、そうなったのである。
さて、人の本来の性質は、生まれながらにして利を好むものである。
このままにすると、争奪が生じて、遠慮するということがなくなる。
人の本来の性質には、生まれながらにして憎悪の心があるものである。
このままにすると、他人に危害を加えるような行為をし、まごごろや誠実さが失われる。
人の本来の性質には、生まれながらにして美しいものを見たい、聞きたいという欲望、
音楽や女色を好む傾向がある。
このままにすると、人の道を外れた行為が横行し、礼や義や条理が消滅する。
これらのことが正しいとするならば、人の本来の性質に従い感情の趣くままに行動すると、
必ず争奪が生じ、条理が犯されて乱れ、秩序が崩壊することになる。
だから必ず正しい導き手、礼と義による感化があって、
その後に初めて遠慮の心が生まれ、条理に合致し、世の中が治まる。
以上のことから考えると、人の本来の性質が悪であるのは明らかである。
それが善である者は、人為の結果、そうなったのである。


解説

人之性悪。其善者偽也。
ひとのせいはあくなり。そのぜんなるものはぎなり。

「性」とは"本来の性質・本性"。
ここでいう「」とは、"いつわり"ではなく、「人為」のことである。


今、人之性、生而有好利焉。順是、故争奪生而辞譲亡焉。
いま、ひとのせい、うまれながらにしてりをこのむことあり。これにしたがふ、ゆゑにそうだつしょうじてじじょうほろぶ。

「順」は"そのままにする"の意。
「争奪」は"争いや奪い合い"。
「辞譲」は"遠慮する"。


生而有疾悪焉。順是、故残賊生而忠信亡焉。
うまれながらにしてしつおあり。これにしたがふ、ゆゑにざんぞくしょうじてちゅうしんほろぶ。

「疾悪(しつお)」は"憎悪する"の意。
「残賊」は"他人を傷つけたり、危害を加えたりする"。
「忠信」は"まごころ(忠)と誠実さ(信)"。


生而有耳目之欲、有好声色焉。順是、故淫乱生而礼義・文理亡焉。
うまれながらにしてじもくのよくあり、せいしょくをこのむことあり。これにしたがふ、ゆゑにいんらんしょうじてれいぎ・ぶんりほろぶ。

「耳目之欲」は"美しいものを見たい、聞きたいという欲望"。
「声色」は"音楽と女色"。
「淫乱」は"人としての道に外れた行為"。道徳が堕落することについてもいう。
「礼義」は礼と義、「礼儀」とは字が違い、意味も違う。
「文理」は"条理・礼儀・物事の筋道"。


然則従人之性、順人之情、必出於争奪、合於犯分乱理、而帰於暴。
しからばすなはちひとのせいにしたがひ、ひとのじょうにしたがはば、かならずそうだつにいで、はんぶんらんりにがっして、ぼうにきす。

「然則(しかラバすなはチ)」は
1.前節から後節においてある事態の出現を推定する。"そうであるからには""そうであるならば"。
2.逆接"しかしながら""そうではあるが"。
の二つの意がある。この場合は前者。
「犯分乱理」は互文と言われるもので、「犯乱分理(分理を犯乱す)」が元の形である。
「分理」は文理に同じ。


故必将有師法之化、礼義之道、然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。
ゆゑにかならずまさにしほうのけ、れいぎのみちびきありて、しかるのちにじじょうにいで、ぶんりにがっし、ちにきせんとす。

「将(まさニ〜セントす)」は、この場合は近い未来に事態が出現することを強調する意。
だから、意味は「必ず」とほぼ同じである。
「師法の化」は"正しい導き手(師)と法(規範)による感化"。
「道」は(みちびキ)と読む。


用此観之、然則人之性悪明矣。其善者偽也。
これをもってこれをみば、しからばすなはちひとのせいのあくなるはあきらかなり。そのぜんなるものはぎなり。

「此」は上記の事柄。
「之」は指す内容が曖昧だが、"人の性が何であるか"であろう。



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