晏子
I think; therefore I am!



本文(白文・書き下し文)
晏平仲嬰者、莱之夷維人也。
事斉霊公・荘公・景公、
以節倹力行重於斉。
既相斉、食不重肉、妾不衣帛。
其在朝、君語及之即危言、
語不及之即危行。
国有道即順命、無道即衡命。
以此三世顕名於諸侯。

越石父賢、在縲紲中。
晏子出遭之塗、解左驂贖之。
載帰、不謝、入閨、久之。
越石父請絶。
晏子懼然、攝衣冠謝曰、
「嬰、雖不仁、免子於厄。
何子求絶之速也。」
石父曰、
「不然。
吾聞、君子詘於不知己、
而信於知己者。
方吾在縲紲中、彼不知我也。
夫子既已感寤而贖我。
是知己。
知己而無礼、固不如在縲紲之中。」
晏子於是延入為上客。

晏子為斉相、出。
其御之妻、従門間而闚其夫。
其夫為相御、擁大蓋、策駟馬、
意気揚揚、甚自得也。
既而帰。
其妻請去。
夫問其故。
妻曰、
「晏子長不満六尺、身相斉国、名顕諸侯。
今者、妾観其出、志念深矣。
常有以自下者。
今、子長八尺、乃為人僕御。
然子之意自以為足。
妾是以求去也。」
其後夫自抑損。
晏子怪而問之。
御以実対。
晏子薦以為大夫。
晏平仲嬰は、莱の夷維の人なり。
斉の霊公・荘公・景公に事へ、
節倹力行を以て斉に重んぜらる。
既に斉に相たり、食に肉を重ねず、妾に帛を衣せず。
其の朝に在るや、君の語之に及べば即ち言を危くし、
語之に及ばざれば即ち行ひを危くす。
国に道有らば即ち命に順ひ、道無ければ即ち命を衡る。
此れを以て三世名を諸侯に顕す。

越石父賢なるに、縲紲の中に在り。
晏子出でて之に塗に遭ひ、左驂を解きて之を贖ふ。
載せて帰り、謝せず、閨に入りて、之を久しくす。
越石父絶たんことを請ふ。
晏子懼然として、衣冠を攝へ謝して曰はく、
「嬰、不仁と雖も、子を厄より免れしむ。
何ぞ子の絶たんことを求むるの速やかなる。」と。
石父曰はく、
「然らず。
吾聞く、君子は己を知らざるに詘するも、
己を知る者に信ぶ、と。
方に吾縲紲の中に在るや、彼我を知らざるなり。
夫子既に已に感寤して我を贖ふ。
是れ己を知るなり。
己を知りて礼無きは、固より縲紲の中に在るに如かず。」と。
晏子是に於いて延き入れて上客と為す。

晏子斉の相たりしとき、出づ。
其の御の妻、門間よりして其の夫を闚ふ。
其の夫相の御と為りて、大蓋を擁し、駟馬に策うち、
意気揚揚として、甚だ自得せり。
既にして帰る。
其の妻去らんことを請ふ。
夫其の故を問ふ。
妻曰はく、
「晏子は長六尺に満たざるに、身は斉国に相たり、名を諸侯に顕す。
今者(いま)、妾其の出づるを観るに、志念深し。
常に以て自ら下ること有り。
今、子は長八尺なるに、乃ち人の僕御たり。
然るに子の意自ら以て足れりと為す。
妾是を以て去らんことを求むるなり。」と。
其の後、夫自ら抑損す。
晏子怪しみて之を問ふ。
御実を以て対ふ。
晏子薦めて以て大夫と為せり。
参考文献:精選漢文 第一学習社 史記 明治書院

現代語訳/日本語訳

晏平仲嬰は莱の夷維の人である。
斉の霊公・荘公・景公に仕え、その倹約と努力によって斉で重用された。
斉の宰相となってからのことである。
食事には肉を二品以上出さず、妾の女たちには絹を着せなかった。
朝廷にいる時は君主の下問が晏子に及べば正論を述べ、
下問が晏子に及ばなければ、誠意をもって政務に励んだ。
国に正しい政治が行われていれば君命に従い、
正しい道が行われていないときは君命を検討し、行うべきことを行った。
このため、斉は三代にわたって諸侯に名声が響き渡った。

越石父は賢人だったが、牢屋の中に入れられていた。
晏子は、外出していたとき、越石父に道で遭遇し、
その場で左端の馬を代価に罪を免れさせた。
越石父を載せて帰ったが、挨拶をすることもなく、
門に入っても、そのままの状態が続いた。
越石父は絶交することを請った。
晏子は驚き、衣冠を整えてこう謝った、
「私は、不仁であるといってもあなたを懲役刑から免れさせました。
どうしてこんなに早く絶交したいと申されるのですか。」
越石父は言った、
「そうではありません。
私はこう聞いています、
君子は、自分を認めない者には屈するが、
自分を認めてくれる人には心のままに振舞う、と。
ちょうど私が牢屋の中にいたとき、私を捕らえていた者たちは、私を認めていませんでした。
しかし、あなたはすでに私に感じ悟って罪を免れさせています。
これは私を認めているということです。
それなのに、礼のある対応をなされないのは、
もとより牢屋の中にいたほうがましです。」
かくして、晏子は越石父を引き入れて上客とした。

晏子が宰相であったとき、外出したことがあった。
晏子の御者の妻は門の間から自分の夫を窺っていた。
彼女の夫は宰相の御者となって大きな傘を擁し、
馬に鞭打って意気揚揚として甚だ得意げであった。
外出から帰ってきてからのことである。
彼女は離婚したいと申し出た。
夫は理由を聞いた。
彼女はこう言った、
「晏子は、身長は6尺(約135cm)にも達されませんが、
その身は斉国の宰相であり、名声は諸侯に響き渡っています。
今、私めが晏子の外出される様を見ましたところ、思慮深そうでした。
そして、常に自らへりくだっておられます。
しかし今、あなたは、身長は8尺(約180cm)ありますが、下僕としての御者に過ぎません。
それなのに、あなたは自らこれで十分だと思っています。
私めはこのために離婚したいと申し上げているのです。」
その後、晏子の御者は自らへりくだるようになった。
晏子は不思議に思ってこのことについて聞いた。
その御者は事実をお答えした。
晏子はこの御者を推薦して大夫にした。


解説

晏平仲嬰者、莱之夷維人也。事斉霊公・荘公・景公、以節倹力行重於斉。
あんへいちうえいは、らいのいゐのひとなり。せいのれいこう・そうこう・けいこうにつかへ、せつけんりきかうをもつてせいにおもんぜらる。

「晏平仲嬰」に関して、「晏」が姓、「平」が諡(おくりな)、「仲」が字(あざな)、「嬰」が名。
「莱」は、斉の東、山東半島あたりにあった地方。
「事」は"仕える"、非常によく使われる言葉である。
「力行」は"力の限り努力して行う"。

宮城谷昌光氏は、晏子が莱の夷維出身であることに疑問を呈している。
詳しく知りたい方は、宮城谷昌光氏の「晏子」を参照。



既相斉、食不重肉、妾不衣帛。其在朝、君語及之即危言、語不及之即危行。
すでにせいにさう(しょう)たり、しよくににくをかさねず、せふ(しょう)にはくをきせず。
そのてうにあるや、きみのごこれにおよべばすなはちげんをたかくし、ごこれにおよばざればすなはちおこなひをたかくす。

「既に〜」という表現は、完了的意味合いではなくて、むしろ状況説明の意である。
「帛(はく)」は"絹"。
「食不重肉」「妾不衣帛」は、権力者がしそうな、肉を大量に食べたり、愛人・側室などに高級な衣類を着させたりをしないということで、贅沢ではなく倹約的であったということをあらわす象徴的な表現である。
「危言」は"正論を述べる"。
「危行」は"誠意をもって励む"。


国有道即順命、無道即衡命。以此三世顕名於諸侯。
くににみちあらばすなはちめいにしたがひ、みちなければすなはちめいをはかる。これをもつてさんせいなをしよこうにあらはす。

「道有る」とか「道無し」とか言った表現は、儒家関連の書でよく出てくる。
「道」とは"正しい道"ということである。
「衡」は"はかりにかける"という意味である。


越石父賢、在縲紲中。晏子出遭之塗、解左驂贖之。載帰、不謝、入閨、久之。越石父請絶。
ゑつせきふけんなるに、るゐせつのなかにあり。あんしいでてこれにみちにあひ、ささんをときてこれをあがなふ。
のせてかへり、しやせず、けいにいりて、これをひさしくす。ゑつせきふたたんことをこふ。

「縲紲(るゐせつ)」は"牢屋"。
「塗(みち)」は"道"。
「驂」は"三頭だての馬車"もしくは"四頭だての馬車の外側の二頭の馬"、ここでは後者。
「贖」は"金品によって刑を免れさせる"。
「閨」は"門"または"婦人の部屋"。
「絶」は"絶交する"。

「久之」の之は、おそらく"この状況"であろう。


晏子懼然、攝衣冠謝曰、「嬰、雖不仁、免子於厄。何子求絶之速也。」
あんしくぜんとして、いくわん(かん)をととのへしやしていはく、「えい、ふじんといへども、しをやくよりまぬかれしむ。なんぞしのたたんことをもとむるのすみやかなる。」と。

「懼然(くぜん)」は"おどおどするさま・驚くさま"。
「攝」は"整える・正す"。


石父曰、「不然。吾聞、君子詘於不知己、而信於知己者。
せきふいはく、「しからず。われきく、くんしはおのれをしらざるにくつするも、おのれをしるものにのぶ、と。

「詘」は「屈」に通じる。
「信」は"つかえずにまっすぐ伸びる"。


方吾在縲紲中、彼不知我也。夫子既已感寤而贖我。是知己。知己而無礼、固不如在縲紲之中。」
まさにわれるゐせつのなかにあるや、かれわれをしらざるなり。ふうしすでにすでにかんごしてわれをあがなふ。これれおのれをしるなり。おのれをしりてれきなきは、もとよりるゐせつのなかにあるにしかず。」と。

「方」は、ここでは"just"くらいの意味。
「夫子」は"先生"。
「感寤」は"感じ悟る"。
「固より」は"もちろん・本来"。


晏子於是延入為上客。
あんしここにおいてひきいれてじやうかくとなす。

「於是」は"かくして・そこで"とかいった意味。
「客」は、生活の保障の換わりに臣として働く者。


晏子為斉相、出。其御之妻、従門間而闚其夫。其夫為相御、擁大蓋、策駟馬、意気揚揚、甚自得也。
あんしせいのさう(しょう)たりしとき、いづ。そのぎよ(ぎょ)のつま、もんかんよりしてそのおつと(おっと)をうかがふ。そのおつとさうのぎよとなりて、たいがいをゐよう(よう)し、しばにむちうち、いきやうやうとして、はなはだじとくせり。

「従」は始点や経由点を表す。
「蓋」は"馬車につけられた傘"。
「駟」は"四頭立ての馬車"。
「得」は"満足する"。


既而帰。其妻請去。夫問其故。
すでにしてかへる。そのつまさらんことをこふ。おつとそのゆゑをとふ。

「請〜」は、[〜(せ)ンコトヲ-こ-フ]や[こ-フ〜(せ)ン]などと読み、
"どうか〜させてください"または"どうか〜してください"の意となる。
「去」は"離婚する"。


妻曰、「晏子長不満六尺、身相斉国、名顕諸侯。今者、妾観其出、志念深矣。常有以自下者。
つまいはく、「あんしはたけろくしやくにみたざるに、みはせいこくにさうたり、なをしよこうにあらはす。いま、せふそのいづるをみるに、しねふかし。つねにもつてみずからくだることあり。

「妾」は、女性の謙譲した一人称代名詞。 「志念」は"考え"。
「下」は"へりくだる"。

晏子の身長は135cmくらいで、極度に小さかった。
なお、晏子の同時代に孔子がおり、
晏子は景公が孔子を登用しようとしたのに反対して、
結局、孔子は斉には登用されなかったのだが、
その孔子が身長210cm近くある大男であったのとは対照的である。


今、子長八尺、乃為人僕御。然子之意自以為足。妾是以求去也。」
いま、しはたけはつしやくなるに、すなはちひとのぼくぎよたり。しかるにしのいみずからもつてたれりとなす。せふここをもつてさらんことをもとむるなり。」と。

「然」は逆接、"それなのに・しかしながら・そうではあるが・けれども"など。


其後夫自抑損。晏子怪而問之。御以実対。晏子薦以為大夫。
そののち、おつとみずからよくそんす。あんしあやしみてこれをとふ。ぎよじつをもつてこたふ。あんしすすめてもつてたいふとなせり。

「抑損」は"控えめにする・へりくだる"。
「対」は目上の人にこたえるときに使う。



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