劉邦の人柄
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本文(白文・書き下し文)
高祖為人、隆準而龍顔、
美須髯、左股有七十二黒子。
仁而愛人喜施、意豁如也。
常有大度。
不事家人生産作業。

及壮試為吏、為泗水亭長。
廷中吏無所不狎侮。

好酒及色。
常従王媼・武負貰酒。
酔臥、武負・王媼見其上常有龍怪之。
高祖毎酤留飲酒、讐数倍。
及見怪、歳竟、此両家常折券弃責。

高祖常繇咸陽。
縦観、観秦皇帝、喟然太息曰、
「嗟乎、大丈夫当如此也。」
高祖の為人、隆準にして龍顔、
須髯美しく、左の股に七十二の黒子有り。
仁にして人を愛し施しを喜み、意豁如たり。
常に大度有り。
家人の生産作業を事とせず。

壮なるに及びて試みに吏と為り、泗水亭の長と為る。
廷中の吏狎侮せざる所無し。

酒及び色を好む。
常に王媼・武負に従ひて酒を貰す。
酔臥するとき、武負・王媼其の上に常に龍有るを見、之を怪しむ。
高祖酤うて留まりて酒を飲む毎に、讐ゆること数倍す。
怪を見るに及びて、歳の竟に、此の両家常に券を折り責を弃つ。

高祖常て咸陽に繇す。
縦観して、秦の皇帝を観、喟然として太息して曰はく、
「嗟乎、大丈夫当に此のごとくなるべきなり。」と。
参考文献:史記二 明治書院

現代語訳/日本語訳

高祖と言う人は、鼻が高くて龍に似た顔つきをしており、
美しいひげを持ち左の股に七十二のほくろがあった。
おもいやりがあって、人を愛し、恩恵を施すのが好きで、度量が広かった。
いつも広い心をもっていた。
家族のする生産作業などの家事をしようとしなかった。

三十歳ごろになって、試しに役人になり、泗水亭の亭長になった。
役所の役人たちは皆高祖を軽んじ侮った。

酒と女色が好きだった。
いつも王媼と武負の店で、酒をツケで買っていた。
武負と王媼は高祖が酔いつぶれて横になると、その上にいつも龍がいるのを見て、不思議に思っていた。
高祖が酒を買って飲み、居続けるごとに、店の売上が数倍に上がった。
このような不思議な現象を見るようになってから、
この両家は、年の暮れにいつも、ツケの帳簿にしている板を折って酒の借金を帳消しにしていた。

高祖は以前、咸陽で労役に就いていたことがある。
そのとき、秦の皇帝である始皇帝を盗み見て、ため息をついてこう嘆いた、
「ああ、一人前の男ならこうなるべきよ。」

解説

高祖為人、隆準而龍顔、美須髯、左股有七十二黒子。
こうそのひととなり、りゅうせつにしてりゅうがん、しゅぜんうつくしく、ひだりのまたにしちじゅうにのこくしあり。

為人(ひととなり)」はだいたい"人柄"のような意。
「隆準(りゅうせつ)」は"鼻が高い"と言うことで、
「龍顔」は"顔が龍に似ている"の意。
「須」は、「鬚」のことであり"あごひげ"の意、
「髯」は"頬のひげ"の意。
まとめて"ひげ"と訳した。
「黒子」は"ほくろ"。
七十二と言う数字は、なんか火徳に応じた徴候らしいが、私にはよくわからない。
ラッキーナンバーくらいに思っていれば十分だろう。


仁而愛人喜施、意豁如也。常有大度。不事家人生産作業。
じんにしてひとをあいしほどこしをこのみ、いかつじょたり。つねにたいどあり。かじんのせいさんさぎょうをこととせず。

司馬遷は儒学を学んだことがあるので、「仁」は儒家の言うそれのことと考えて間違いない。
「豁如(かつじょ)」は"度量が大きい"の意。 私の感覚では、[意豁如也]と[常有大度]の意味が重なっているように思えるのでどう訳すか考えたが、
結局は普通に訳した。
「事とす」とは"従事する・実践する"の意。この場合は前者。


及壮試為吏、為泗水亭長。廷中吏無所不狎侮。
そうなるにおよびてこころみにりとなり、しすいていのちょうとなる。ていちゅうのりかうぶせざるところなし。

「狎侮」は"軽んじ侮る"の意。

「亭」というのは、十里(約4158m)ごとにひとつ設置された駅宿。
「泗水」とは沛県の東側にある地方。


好酒及色。常従王媼・武負貰酒。
さけおよびいろをこのむ。つねにわうあう・ぶふにしたがひさけをせいす。

「王媼」の媼は老いた女性に対する敬称や母親などの意味があるので、
まとめてひとつの固有名詞でないかもしれないが、そのまま使った。
「武負」も同様。 「貰す」は"ツケで買う"の意。
ツケとは、代金を後で支払う事にして帳簿につけることである。


酔臥、武負・王媼見其上常有龍怪之。高祖毎酤留飲酒、讐数倍。
すいがするとき、ぶふ・わうあうそのうえにつねにりゅうあるをみこれをあやしむ。
こうそかうてとどまりてさけをのむごとに、むくゆることすうばいす。

「酤」は、"酒を買う"の意。 「讐ゆる」とは"代金を支払う"の意。



及見怪、歳竟、此両家常折券弃責。
かいをみるにおよびて、としのをはりに、このりょうけつねにけんをおりてさいをすつ。

「歳の竟(としのをはり)」は"年の暮れ"。
「責」は、むしろ「債」である。
「弃」は「棄」と同じ。

「怪」とは、"高祖が酔いつぶれて寝たときに上に龍がいたこと"と"高祖が飲みつづけていると店の売上が数倍に上がったこと"。
「券」とは(わりふ)と読むこともある、"証書・証拠"の意。
なぜ「券を折る」のかというと、当時は紙がまだ発明されていなかったので、
板などにそういうものは書き付けていたからである。


高祖常繇咸陽。縦観、観秦皇帝、喟然太息曰、「嗟乎、大丈夫当如此也。」
こうそかつてかんようにようす。じゅうかんして、しんのこうていをみ、きぜんとしてたいそくしていはく、「ああ、だいじょうふ、まさにかくのごとくなるべきなり。と。

この「常」は、(かつて)と読み、意味も"以前"である。
文脈からすれば明らかであるが、まぎらわしくもある。
「咸陽」は秦の首都。
「繇」は労役・夫役。

「縦観」は"自由に見る"の意だが、この文に関しては解釈が二つある。
人民は皇帝を直接見ることはできなかった。
ひとつの解釈は、"自由に見る機会があった"というものである。
しかしこれは可能性が低いと思う。
直接見させたからといって何もいいことは無いからである。
わたしはもうひとつの、"盗み見た"という解釈をとる。

「大丈夫」は(だいじょう)とよみ、"意志の強い立派な男"の意。


総括

当時の中国では、皇帝を決めるのは天意と考えられていた。
だから、皇帝となるような人には、並外れた神秘性が必要だったのだ。



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