呂后との結婚
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本文(白文・書き下し文)
単父人呂公善沛令。
避仇従之客、因家沛焉。
沛中豪桀吏、聞令有重客、皆往賀。
蕭可為主吏主進。
令諸大夫、
「進不満千銭、坐之堂下。」

高祖為亭長。
素易諸吏。
乃紿為謁曰、
「賀銭萬。」
実不持一銭。
謁入。
呂公大驚、起迎之門。
呂公者好相人。
見高祖状貌、因重敬之、引入坐。
蕭可曰、
「劉季固多大言、少成事。」
高祖因狎侮諸客、遂坐上坐、無所詘。

酒闌、呂公因目、固留高祖。
高祖竟酒後。
呂公曰、
「臣少好相人、
相人多矣、無如季相。
願季自愛。
臣有息女。
願為季箕帚妾。」

酒罷。
呂媼怒呂公曰、
「公始常欲奇此女与貴人。
沛令善公。
求之不与。
何自妄許与劉季。」
呂公曰、
「此非児女子所知也。」
卒与劉季。

呂公女乃呂后也。
生孝恵魯元公主。
単父の人呂公、沛の令に善し。
仇を避け之に従ひ客たり、因って沛に家す。
沛中の豪傑の吏、令に重客有りと聞き、皆往きて賀す。
蕭可は主吏となり進を主る。
諸大夫に令して曰く、
「進千銭に満たざるは、之を堂下に坐しめん。」と。

高祖亭長たり。
素より諸吏を易る。
乃ち紿きて謁を為りて曰はく、
「賀銭萬。」と。
実は一銭も持たず。
謁入る。
呂公大いに驚き、起ちて之を門に迎ふ。
呂公は、人を相するを好む。
高祖の状貌を見、因って重く之を敬し、引き入れて坐せしむ。
蕭可曰はく、
「劉季は固より大言多く、成事少し。」
高祖諸客を狎侮するに因って、遂に上坐に坐し、詘する所無し。

酒闌にして、呂公目するに因りて、固く高祖を留む。
高祖酒を竟へて後る。
呂公曰はく、
「臣少きときより人を相するを好む、
人を相すること多かれど、季の相に如くは無し。
願はくは季、自愛せよ。
臣に息女有り。
願はくは季が箕帚の妾と為さん。」

酒罷む。
呂媼、呂公を怒りて曰はく、
「公始め常に此の女を奇とし貴人に与へんと欲せり。
沛の令公に善し。
之を求むれども与へざりき。
何ぞ自ら妄りに劉季に許与せし。」と。
呂公曰はく、
「此れ児女子の知る所に非ざるなり。」と。
卒に劉季に与ふ。

呂公の女とは乃ち呂后なり。
孝恵と魯元公主とを生む。
参考文献:史記二 明治書院

現代語訳/日本語訳

単父県の人である呂公は、沛の県令と親しかった。
仇を避けるため、県令に従ってそこに身を寄せた。
そのため呂公は沛県に住んでいた。
沛県の高官らは、県令に珍客がいると聞いて、皆県令のもとへ行き、その祝福の宴会をした。
蕭可は主吏という役目になって、宴会の祝儀を管理していた。
彼は来客らに、こう命令した、
「祝儀が千銭に達していない人は、堂下に座っていただきましょう。」

そのとき高祖は亭長だった。
日ごろから諸役人を軽んじていた。
そこで、名刺に偽ってこのように書いた、
「祝儀一万銭。」と。
実際は一銭も持っていなかった。
名刺が中に持っていかれた。
呂公はとても驚き、立ち上がって高祖を門で迎えた。
呂公は人相を見るのが好きだった。
高祖の容貌を見ると、高祖に敬意を払い中に引き入れて座らせた。
蕭可はこう言った、
「劉季はもともと大言をよく吐くが、ちゃんと成し遂げた事は少ない。」
高祖は来ていた諸役人を軽んじ侮っていたので、そのまま上座に座っても、
少しも屈するようなところが無かった。

宴会も終わりに近づき、呂公は目配せして、固く高祖を引きとめた。
高祖は酒を飲み終わっても、退出しなかった。
呂公は言った、
「私は若いときから人相を見るのが好きで、
たくさんの人相を見てきましたが、あなたの人相に及ぶものはありませんでした。
どうか自重されてください。
私に娘がおります。
掃除婦としてでもお使いください。」

宴会は終わった。
呂媼は呂公を怒ってこう言った、
「あなたはいつも、この娘を貴重と考え、貴人に嫁がせたいと考えておられました。
沛の県令はあなたと親しい間柄です。
そのお方が、この娘を嫁に欲しいと申し出られたのに、あなたは嫁がせませんでした。
それなのにどうして自分からむやみに劉季などに嫁がせようとするのですか。」
呂公は言った、
「これは女子供の知ったことではない。」
結局その娘を劉季に嫁がせた。

呂后の娘とは、呂后のことである。
この呂后が、孝恵帝と魯元公主を生んだのである。

解説

単父人呂公善沛令。避仇従之客、因家沛焉。
ぜんぽのひとりょこうはいのれいによし。あだをさけてこれにしたがひかくたり、よってはいにいえす。

「単父(ぜんぽ)」は地名で、当時は県であったらしい。
この名を持つ地名は二ヶ所ある。
ひとつは今の山東省あたりであるが、
この場合は、今の山陽県あたり、咸陽の東南東、函谷関の南西にある単父である。
ここで呂公は人を殺し、その仇を避けるため、仲の良かった沛の県令を頼った。


沛中豪桀吏、聞令有重客、皆往賀。蕭可為主吏主進。令諸大夫、「進不満千銭、坐之堂下。」
はいちゅうのごうけつのり、れいにじゅうかくありときき、みなゆきてがす。
しょうかはしゅりとなりしんをつかさどる。しょだいふにれいしていはく、「しんせんせんにみたざるは、これをどうかにざしめん。」と。

「豪桀」とはいわゆる豪傑ではなくて、"傑出した"ということ。
「主吏」は書記官のような官。

蕭可は、後の漢の宰相となる人物で、漢の三傑のひとりである。


高祖為亭長。素易諸吏。乃紿為謁曰、「賀銭萬。」実不持一銭。
さけおよびいろをこのむ。つねにわうあう・ぶふにしたがひさけをせいす。

「謁」は名刺。
「素より」は、"日ごろから"。


謁入。呂公大驚、起迎之門。呂公者好相人。見高祖状貌、因重敬之、引入坐。
えついる。りょこうおおいにおどろき、たちてこれをもんにむかふ。りょこうはひとをそうするをこのむ。
こうそのじょうぼうをみ、よっておもくこれをけいし、ひきいれてざせしむ。

接続詞「因(よって)」は、ひきつづいてその状況が起こることを示し、"そこで・すぐに・そのため・それによって"などと訳す。


蕭可曰、「劉季固多大言、少成事。」高祖因狎侮諸客、遂坐上坐、無所詘。
しょうかいはく、「りゅうきはもとよりたいげんおほく、せいじすくなし。」と。
こうそしょかくをこうぶするによって、つひにじょうざにざし、くっするところなし。

「固より」は"本来"。「素」の方は"日ごろから"の意。
「成事」は"成し遂げた事"。
「狎侮」は「軽んじ侮る」と同じ。
「遂に」は 1.そのまま 2.結局 3.あろうことか の意である。


酒闌、呂公因目、固留高祖。高祖竟酒後。
さけたけなはにして、りょこうもくすによって、かたくこうそをとどむ。こうそさけををはりておくる。

「闌(たけなは)」は、"たけなわ(酣)→最高潮"と意味が違い、"尽き果てようろする・終わりに向かう"ということ。
だが、日本では混同して使われることもある。
これは文法的には動詞である。
「目す」は目配せする。


呂公曰、「臣少好相人、相人多矣、無如季相。願季自愛。臣有息女。願為季箕帚妾。」
りょこういはく、「しんわかきときよりひとをそうするをこのみ、ひとをそうすることおおかれども、きのそうにしくはなし。
ねがはくは、きじあいせん。しんにそくじょあり。ねがはくはきがきしゅうのしょうとなさん。」と。

「自愛」は「自重」、自分を大切にするということ。
「箕」は塵、「帚」は掃。


酒罷。呂媼怒呂公曰、「公始常欲奇此女与貴人。
さけやむ。りょおうりょこうをいかりていはく、「こうはじめつねにこのじょをきとしきじんにあたへんとほっせり。

「呂媼」、呂公の妻。おそらく固有名詞ではない。しかし改めないでおく。
「奇とす」は、"優れていると考える"。


沛令善公。求之不与。何自妄許与劉季。」
はいのれいこうによし。これをもとむれどあたへざりき。なんぞみずからみだりにりゅうきにきょよせん。」と。

「自」はみずから、「妄」はみだりに。
「許与」はいずれも結婚の意。


呂公曰、「此非児女子所知也。」卒与劉季。
りょこういはく、「これじじょしのしることろにあらざるなり。」と。

「卒」は"結局"。(にはかに)と"急に"という意味で読むときもある。



呂公女乃呂后也。生孝恵魯元公主。
りょこうのじょとはすなはちりょこうなり。こうけいとろげんこうしゅとをうむ。

この「乃ち」は動詞で、断定の意。




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