|
上嘗従容問韓信諸将能将兵多少。 上曰、 「如我能将幾何。」 信曰、 「陛下不過将十万。」 上曰、 「於君何如。」 曰、 「臣多多益辦。」 上笑曰、 「多多益辦、 何以為我禽。」 曰、 「陛下不能将兵、而善将将。 此信所以為陛下禽。 且陛下所謂天授、非人力也。」 |
上嘗て従容として韓信に諸将の能く兵に将たるの多少を問う。 上曰はく、 「我のごときは能く幾何に将たるか。」と。 信曰はく、 「陛下は十万に将たるに過ぎず。」と。 上曰はく、 「君に於いては何如。」と。 曰はく、 「臣は多多益辦ず。」と。 上笑ひて曰はく、 「多多益辦ぜば、 何を以て我が禽と為る。」と。 曰はく、 「陛下は兵に将たること能はざるも、善く将に将たり。 此れ信が陛下の禽と為りし所以なり。 且つ陛下は所謂天授にして、人力に非ざるなり。」と。 |
現代語訳/日本語訳
高祖は以前、ゆったりとした様子で、韓信に諸将がどれくらいの兵力を率いる将軍となれるかを聞いた。
高祖は言った、
「私のような者どれほどの兵力を率いる将軍となれるか。」
韓信は答えた、
「陛下は十万を超える兵力を率いる将軍とはなれません。」
高祖は言った、
「君の場合はどうなのか。」
「私の場合は、多ければ多いほどうまく処理します。」
高祖は笑って言った、
「多ければ多いほどうまく処理するなら、どうして私の臣下などに収まっているのだ。」
「陛下は兵士を率いる将軍とはなれませんが、将軍の将軍となる技量があります。
これが私、韓信が陛下の臣下となっている理由です。
また、陛下の能力は、いわゆる天授のもので、単なる人間一人の能力ではないのです。」
解説
★上嘗従容問韓信諸将能将兵多少。
しょうかつてしょうようとしてかんしんにしょしょうよくへいにしょうたるのたしょうをとふ。
「上」は韓の高祖、すなわち劉邦(字は季)である。
「従容」は"ゆったりとした様子"。
「韓信」は劉邦の臣で漢の三傑の一人。
★上曰、「如我能将幾何。」信曰、「陛下不過将十万。」
しょういはく、「われのごときはよくいくばくにしょうたるか。」と。
しんいはく、「へいかはじゅうまんにしょうたるにすぎず。」
「幾何(いくばく)」は数量・時間・程度を問う言葉で、"どれほど"と訳す。
★上曰、「於君何如。」曰、「臣多多益辦。」
しょういはく、「きみにおいてはいかん。」と。いはく、「しんはたたますますべんず。」と。
「何如(いかん)」は様子・状態を問い、"どのようであるか・いかがであろうか"などと訳す。
★上笑曰、多多益辦、何以為我禽。」
しょうわらひていはく、「たたますますべんぜば、なにをもってわがとりことなる。」と。
「何を以て」は理由を尋ねる。
「禽」は、もともとは"捕らえる"なる意味である。これが名詞化して(とりこ)となっている。
★曰、「陛下不能将兵、而善将将。此信所以為陛下禽。且陛下所謂天授、非人力也。」
いはく、「へいかはへいにしょうたることあたはざるも、よくしょうにしょうたり。
これしんがへいかのとりことなりしゆゑんなり。
かつへいかはいはゆるてんじゅにして、じんりょくにあらざるなり。」と。
「所以(ゆゑん)」は"理由"。
「善」は元は形容詞で"すぐれた・立派な・正しい"等の意だが、ここでは連用化されている。
「且」は 1.また・しかも(並列) 2.その上(添加) 3.〜しながら の意味がある。
ここでは1.。
「所謂(いはゆる)」は読みが大事である。
意味は、"いわゆる"である。
いわゆるとは、"世間に言うところの"ということである。