はじめに

 「くすしきバラの花」(ローザ・ミスティカ)と名のられた聖母の出現についての本によって、わたしたちは聖マリアが司祭やすべての聖職者の刷新と聖化を非常に強く求めておられることを皆に知ってもらいたいのです。

 この理由のために著者は、この本の仕事をしている間じゅう、たびたびこのように祈りました。

 「神のおんひとり子よ、わたしはあなたの最愛なるおん母をたたえるために、この大変重要な仕事をあなたのみ手にゆだねます。どうか、この仕事の上に聖霊を注いでください。そして聖霊の光がわたしのすべての思考を導き、すべての間違いをとり除いてくださいますように……始めから終わりまで、この本の隠れた筆者となってください。この本には、教会の厳しい現状とキリスト教生活の刷新、そして特に尊い聖母マリアが与えてくださるおん助けに関したことが書かれるのです」。

 教皇パウロ6世は、聖なる年である1975年を重んじて、次のように発表されました、「キリスト教的生活の刷新、そして社会の刷新は、わたしたちの救い主の母、教会の母である、けんそんで、ほまれ高いお方の豊かなおん助けがなければできません。聖母マリアは、この希望、この偉大な計画の保証人であります」と。

 モンティキアリでの出現をもとにして書かれた本、「ローザ・ミスティカ」というこの本を教会の母にささげます。これは内的刷新のために大いに役立つことを、わたしは望んでいます。

 わたしはすべての読者が教皇の意向に従って、毎日熱心に祈るように願います。救いは、まことの刷新によってのみ得られるのです。しかし、刷新は、今までの教会の歴史を通してそうであったように、まず先頭に立つ教皇とこれに一致している司教たちから始まり、それから、すべての信徒に広まるべきことです。

 まず教会の牧者自身が刷新し、それから信徒の群れがこれにならうべきです。

 聖マリアの母としての愛は、全世界を包みます。

 この愛は、まず初めに聖なる教会とその子どもたちを包みます。教会は、今もなお、生き、愛し、働き、苦しんでおられるキリストです。そして今、ここでもキリストは奇跡を行ない続けておられます。

 聖書の公の奇跡は、カナで行なわれたと聖書に書かれています。主はおん母聖マリアの頼みに答えて、あの奇跡を行ないました。それは、変化の奇跡です。わたしたちは、それを聖マリアの奇跡と呼ぶことができます。「これが、最初の奇跡でした。イエズスはガリラヤのカナで、この奇跡を行ない、その栄光を示されたので、弟子たちはイエズスを信じた」(ヨハネによる福音書2・11)。

 最初の奇跡は、マリアの頼みに答えて行なわれました。──神だけ奇跡を行なわれるから──そしてこれで終わりではありませんでした。このような奇跡は、教会の中で、何度もくり返し行なわれました。何千もあるマリアの巡礼堂は、その証拠です。そして、それらは何世紀にもわたって聖マリアがお助けくださったことに対して、人々が感謝をしている証拠となるものです。世界で最も聖なる時間に、ゴルゴタで主が全人類にご自分のおん母を与えてくださいました。そしてマリアは、今まで特に困難な時代に一度も教会とその子どもたちを忘れたり見捨てたりしたことはありません。今わたしたちが生きているこの困難な時代にも、多くのおん助けを与えてくださっています。

 聖マリアはその子どもたちを、いつも忠実に守り続けておられるのです。教会は、ラサレット、ルルド、ファティマでの聖母の出現を事実であると認めました。そこで今も絶えることのない恵みが与えられています。これらの巡礼堂でひざまずいて祈ったことのある人は誰でも、その恵みを感じとることができるでしょう。

 教会はいつも、カリスマ的な人々によって救われ再建されてきました。そしてマリアに対して深い信心を持っているこのカリスマ的な人々の中から、多くの人が列聖されました。次に掲げる聖人だけでも思い出してみましょう。聖ドミニコ、聖ノルベルト、聖ベルナルド、聖ヨハネ・ユード、聖アルフォンソ・リゴリオ、聖ヨハネ・ボスコ、聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール、聖女カタリナ・ラブレ、聖女ベルナデッタ・スビルー、そして、他にも多くの聖人がいます。そしてまた、マリアの巡礼堂では、たいへん多くのカリスマ的で超自然的な事がらが起ってきました。すなわち病んでいる体をいやす奇跡、そして、もっとすばらしいのは、病んでいる霊魂をいやす奇跡も数多く起ってきました。

 カナでの奇跡のような奇跡があらたにされ、そして弟子たちの忠実さ、信頼、愛にふたたび生気が戻り、強められることが、マリアの巡礼堂ではよく行なわれます。

 マリアはわたしたちをイエズスのところへ導いておられます。

 しかし、中心となるのは、聖マリアではなく、おん子イエズス、とくにご聖体のうちにおられるイエズスです。マリアは、わたしたちをイエズスのところへ導いておられるのです。

 マリアは、ご自分の栄光ではなく、おんひとり子の栄光を求めておられます。マリアは特に、この落ち着きのない困難な時代に霊魂と教会の内的刷新という変化の奇跡をもたらす手助けをすることを望んでおられます。「隠れてはいるが、それでもなお世界の本当の首都は、聖母の巡礼堂である」とコンラド・アデナワー氏はいいました。

 教皇パウロ6世は、1973年10月7日、スエーデンの聖ビルジッタの帰天600周年祭の行事のとき、こういわれました、「主は、特にこの不安の多い時代に、考えられないほど寛大な心で神秘的な一致の恵みを与えてくださることでしょう」と。

 教会の歴史の中では、多くの聖マリアの出現が記録されています。多くの出現が、信じるに足ると認められています。そして、本当に多くの恵みが聖マリアの出現によってもたらされたのです。このわたしたちの時代だけでも多くの出現が発表されています。

 もちろん、教会はこのことについて用心深い態度をとっています。なぜならば、悪魔は常に小麦の間に毒麦をまこうと、忙しく働いているからです。

 教会法によると、こういう聖マリアの出現についての「信憑性」または「真実性」を注意深く調査する責任は、当教区司教にあることになっています。しかし、この教会法はこのような調査よりも前に人々がその出現に、ある程度の真実性を見い出して認めることを妨げるものではありません。もし人々がそういう場所で、祈り、犠牲やつぐないを捧げるなら、このことはよいしるしです。なぜなら、悪魔は人々を祈り、苦行、犠牲やつぐないの方へと招くようなことはありえないからです。

 これらのことは悪魔に対する最も強い武器です。「あなたたちは、実によって、それらを知るだろう」という主のみことばにもとずいて考えますと、もし本当の奇跡が、特に偉大な改心という形で、また聖なる教会への無条件の従順によって起るなら、聖母の出現の場所と巡礼堂は、信仰への強い呼びかけとなります。

 もし、このような出来ごとに対して、ある人はただ好奇心だけをもち、またある人はご絵やご像を売って金もうけをしようとしても、それは、真のキリスト者の信仰深い意向をさまたげることになりません。

 モンティキアリでの出現

 これから書くことは、イタリア北部での聖マリアの出現についての報告です。それは、教皇パウロ6世の出身地であるブレシア教区のモンティキアリで行なわれた聖母のことです。

 出現は1947年に始まり、長く続いていました。当教区の当時の司教ジャチント・トレーディチを含む6人の司教たちが、これらの事実を信じていると言いましたし、教皇ピオ12世も聖マリアのこの出現を大切にしました。

 しかし、最も大切なことは、メッセージの本質は聖マリアが、“ローザ・ミスティカ”(くすしきバラの聖母)として現われ、司祭や修道者の刷新をとくべつに望んでおられるということです。

 聖職者と奉献された人々の刷新

 教会のすべての刷新は、先頭に立つものから始まり、そして、それに従う信者によって成しとげられるべきです。つまり、牧者から始まり、信者の群れに広がるべきことなのです。

 今日、刷新は、今まで以上に必要とされています。もしわたしたちのおん母マリアが、モンティキアリで出現されたことが事実なら、それは、たださし迫った警告だけでなく、わたしたちにとって責任のあることでもあります。そしてさらに、この時代の最も痛々しく最も危険な教会の傷へのおん助けでもあります。

 わたしたちは、これらの出現の真実性についての、教会の最終許可を忍耐強く待たなければなりません。そして、まず、司祭、修道者や聖職者が聖母マリア “ローザ・ミスティカ”(くすしきバラの聖母)のお望みや要求に答えるようにするべきです。神を本当に信じているすべての信者──つまり、善良で、よく祈り、自己犠牲をささげ苦行する心をもっているような人──は、うれしいことにこのような人々は今なおたくさんいますが、そういう人たちも、司祭たちに協力すべきです。なぜなら、司祭たちは、今日の教会の危機に際して大きな危険にさらされていて、教会に対する忠実を示すよう、信者皆の手助けを必要としているからです。

 真の刷新は、牧者から始まり、それからキリストの群れ全体に広がるのです。

 モンティキアリの出現の特別な意味。

 このことは、小さき聖テレジアの祈りと苦行の生活によって、一番よく理解することができます。

 1899年7月14日、かの女は姉のセリーヌに手紙を書きました、「おお、セリーヌよ、わたしはイエズスさまがわたしたちに、霊魂、特に司祭たちの霊魂をかれにお捧げすることによって、かれの、のどの渇きを潤すように頼んでいらっしゃることを感じます」。

 1889年12月31日、「今年、わたしたちは、イエズスさまを愛している司祭たちのために特別に祈らなければなりません。その司祭たちとは、聖母がゆりかごの中のイエズスさまに触れられた時に感じたような愛を、感じることができるような人たちです」。

 1890年9月28日、「さあ、司祭たちのために祈りましょう。わたしたちは毎日、イエズスさまの友である司祭たちがどれほど少ないかということを改めて知らされます。聖職者たちは、まだ他のことに心を向けています。それで、イエズスさまは、かれらの恩知らずをみて、なおさら傷ついておられるのです」。

 1891年7月8日、「霊魂は苦しみによってのみ、イエズスさまの方へと導かれるのです。そしておどろくほど多くの苦しみが、わたしたちに与えられているのは、そのためです。天のおん父に捧げるのは、わたしたちの功徳ではなく、わたしたちの花むこイエズスさまの功徳です」。

 1897年8月19日、小さな聖テレジアは最後の聖体拝領を信仰を失ったひとりの司祭のために捧げました。この司祭は、1912年、85歳で死をまじかに迎えているとき、何度も何度も、「おお、最もあわれみ深いわたしのイエズスよ」という言葉をくり返しました。

 テレジアは司祭たちのために、次のように祈りました。

 「おお、イエズス、永遠なるほまれ高い司祭よ、あなたの司祭たちをあなたの聖なるみ心の避難所にお守りください。あなたの神聖なおん体に毎日触れるかれらの聖別された手を清らかなまま保ってください。あなたのとうといおん血で赤く染まるかれらのくちびるを純潔のまま保ってください。栄誉ある聖職者という崇高なしるしをもっているかれらの心を純潔に保ち、世俗的にならないようにお守りください。かれらがあなたへの愛と忠実をもっと強めることができるようにし、この世の汚染から守ってください。パンとぶどう酒を変化させる力とともに、心を変化させる力をかられにお与えください。かれらの仕事を豊かに実らせるおん恵みをお与えください。かれらがいつか永遠のいのちの王冠を得ることができますように。アーメン」。

 シェナの聖カタリナは次のように祈りました。

 この聖女は、現代の教皇から「教会の博士」と宣言された人です。

 「神よ、あなたの “はしため” であるわたしの願いにおん耳をお傾けになり、わたしの多くの罪からおん目をそらしてください。おん子の花よめである教会のしもべたち──司祭──の心と自由意志とを、あなたのほうに引きよせてください、かれらが、けんそんで柔和な神の小羊であるおん子に従って十字架の道を共に進むことができますように。かれらを人間の形をした天使にしてください。かれらは、あなたがこの世におつかわしになったおんひとり子のおん体とおん血を取りあつかい、人々に配らなければならないのですから」。

 この感動的な祈りは、真の聖職者たちがどうあるべきかをわたしたちに伝えるものです。司祭は霊魂を救う人でなければならないのです。

 聖人たちのことば

 聖クレメンス・マリア・ホフバワーは、次のようにいっていました。

 「聖なる司祭は多くの恵みをもたらし、堕落した司祭は、のろいと亡びをもたらします。だから、祈りなさい、神がわたしたちに聖なる司祭を送ってくださるように」と。

 また、聖ピオ10世は、こういわれました。

 「わたしたちは楽な生活をするために司祭になったのではなく、死ぬまで働き疲労するためです」と。

 「世の救い主になりなさい」──これは昔コンスタンチノープルの司教であった聖ヨハネ金口がすべての司祭に対してあてたさし迫った助言です。

 ほんのいく人かの聖人たちのこれらの言葉だけでも、この本にどんな目的があるかを表しています。モンティキアリの「くすしきバラの聖母」ローザ・ミスティカのお望みも、おもに司祭、修道者と奉献された者の成聖にあります。

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