14.愛の母のご返答、巡回の聖母の祝福

 長い間見かけなかった、聖母の出現に抗議するポスターが、ちょうど聖母のご誕生の祝い日に、ふたたびカテドラルのドアに貼られました。1974年9月8日の出現のとき、ピエリナ・ジリが、このことで悲しみに暮れていると、聖母はすぐに、かの女の心の痛みを理解されて、大変暖かく次のようにおっしゃいました、「このことについて、わたしはすでに何歩か前進しました。わたしは、いとしい子どもたちの心に語りかけ、かれらがふたたびわたしの愛と〔の?〕メッセージと、隣人愛の使徒になることができるように励ましました」と。そのとき、わたしたちは聖母がおっしゃった言葉の意味が、よくわかりませんでした。しかしすぐに聖母は “巡回の聖母” のことをおっしゃっているのだと、はっきりしてきました。

 当時のモンティキアリの主任司祭ロッシ神父は1950年に “くすしきバラの聖母” の美しいご像を作らせました。そのご像は、それ以来ずっと、モンティキアリのカテドラルにある最初の右横の祭壇に置かれています。それは、多くの巡礼者たちに大変尊ばれています。

 その後に、“巡回の聖母” のご像がつくられ、その姿はフォンタネレでご出現なさったときの姿につくられました。“巡回の聖母” のこの最初のご像と同じようなものがたくさんつくられ、まず北部イタリア、それからオーストリア、ドイツ、スイス、フランス、ユーゴスラビアにも送られるようになりました。

 この “くすしきバラの聖母”(ローザ・ミスティカ)の美しいご像は、ドイツから日本にも送られています。

 日本における連絡先は、878‐24 大分県津久見市中町2‐68 カトリック教会(電)09728‐2‐3416ディプリンシオ神父

 ピエリナ・ジリは、1974年11月5日の早朝、自分のチャペルで祈っているとき、はっきりと、「わたしが、訪れるすべての所に、主のおん恵みをもたらします」という聖母のみ声を聞きました。

 最初の巡回の聖母──今までで一番大きいご像──は、それ以来ずっと修道院や家庭の間で、長い巡回の旅をしています。その巡回の聖母が最初に訪れた南チロルの修道院は、ほんの一晩でしたが、それを喜びのうちに迎え入れました。そして、その聖母の前で、一晩中、祈りが捧げられました。その修道院に入る志願者は、この6年間ひとりもいませんでした。しかし、その巡回の聖母が訪れ、“くすしきバラの聖母” に対して、9日間の祈りが捧げられるとすぐ後に、ふたりの志願者があり、そのふたりは、1975年1月6日に正式にその修道会に入会しました。その後も、キリストのご聖体の日に、三人の新しい志願者がありました。そのシスターたちにとって、修道会に入ることは、祈りによって得た、確かな答えだったのです。

 第2の “巡回の聖母” のご像は、1974年12月8日、ピエリナのもとに置かれていました。すると、その朝、聖母がふたたび出現されました。このとき、ピエリナには天の光も見えました。そして、次のような聖母のみ声が聞こえてきました。「ピエリナ、すべてのわたしの子どもたちに、ここに祈りに来るように話しなさい。わたしが本当にここにいて、かれらの上に主のおん恵みを注ぐということも。それから、わたしが巡回するとき、特に大天使ラファエルの保護を願い求めるように話しなさい。そうすれば、わたしが天の恵みをもたらします」と。大天使ラファエルこそ癒しの天使、そして、悪魔の攻撃から守ってくださる天使です。

 聖母は、出現のときに、しばしばファティマの子どもたち──フランシスコとヤチンた──を連れて来られました。それに、大天使ラファエル、無数の聖なる天使たちや聖人たちを連れて来られることもよくありました。あるとき、聖母は次のようにおっしゃいました、「わたしは、巡回のくすしきバラの聖母として人々のところに迎え入れられるとき、天国の天使や聖人たちを連れて、そこに行きます。そして、わたしは、人々のそばにいてかれらを守り、祝福を与えます。同様に、わたしは、家庭、修道院や教区司祭のところに、喜びと愛をもって迎え入れられるときも、それらの家と、そこに住んでいる人たちを祝福します。特にかれらの臨終の際には、神の恵みと母としての愛をもってかれらのそばについていてあげます」

 巡回の聖母への荘厳な歓迎

 わたしたちの救い主ご自身は、次のような、感動的な言葉をおおせになりました、

「司祭、またはその代理者は、わたしの母、そして、あなたたちの天の母である聖母のご像を渡す時、わたしの名において祝福を与えてから、次のように言わなければならない、“助けを求めるあなたたちのところに、喜んで来られる尊い巡回の聖母を歓迎して、祈りなさい。犠牲とつぐないを捧げなさい。それは、世界中の教会と全人類のため、特に司祭たちやわたしの奉仕に身を捧げていながら、聖なる三位一体と、教会の母 “くすしきバラの聖母” のみ心をひどく傷つけた人たちのためです。

 巡回の聖母をお迎えするとき、まずお告げの祈りをとなえてから、聖母の七つの悲しみへの尊敬を表わすために、めでたしを七回と、栄唱を七回となえなさい。また、巡回の聖母が去られるときには、聖母の七つの喜びに尊敬を表わすために、ふたたび、めでたし七回と栄唱を七回となえてから、“聖母マリアよ、あなたのマントを大きく広げてください” と祈りなさい。

 それから、司祭、あるいはその代理者は、わたしの名において、祝福を与えなさい。

 また、次の祈りもたびたび唱えなさい、“無原罪のおんやどりであり、司祭と修道者の避難所である聖マリアよ、かれらのために、イエズスにお祈りください” と」

 大変多くの人々が祈り、犠牲、つぐないを捧げるためにこれらの巡礼に参加しています。巡礼は、ときどき勝利の行列になることがあります。そのご像は、多くの修道院に迎え入れられていますが、まだ、それを拒んでいるところもあります。巡回の聖母を拒む大きな理由の一つは、モンティキアリでの聖マリアの出現の真実性について、教会がまだ判断を下していないことにあります。

 「いずれにしろ、わたしたちは、今までもずっと聖母を賛えてきました。この巡回の聖母は、何を意味しているのですか?」という人々もいます。その答えは、次のように言ってよいでしょう。つまり、すべてのカトリック信者にとって、イエズスの母、天の元后は、ただひとりです。皆どこででも、聖母に向かって、完全な信頼をもって祈ることができ、聖母にすばらしいおん助けを求めて、それを頂くことができるのです。じっさい、この数世紀に渡って、聖母はしばしば、この悲しみに包まれた地上に降りて来てくださっています。今もなお、そうしてくださって、この特に困難な時代にさえ、大きな慰めとなってくださっています。

 教皇パウロ6世は、1973年10月8日のあいさつで、「教会にとって困難な時代は、常にカリスマにとんだ時代でもあります」と。もし、天の元后が、この罪に染まった世に降りて来られ、重大なメッセージを伝え、祈りと犠牲を求めておられることが事実だとすれば、これを簡単に無視したり、ましてや嘲笑すべきではありません。常にすばらしいおん恵みが差し出されているのに、それを拒むということは、重大な結果を招くのです。

 もちろん、モンティキアリでの出現について何も知らずに、または、その真実性についての教会の判断を待ちながら、聖母に対して善意をもって、すでに祈り、犠牲をささげている修道院や家庭もたくさんあることは、事実です。これは、ぜひとも必要なことであり、神のみ前では、確かに大きな価値があることです。大変多くの人々が、特に、“くすしきバラの聖母” のメッセージとご要求に心を打たれ、前よりもますます熱心に祈り、犠牲、つぐないを捧げるようになっているということは、人々の心の慰めになります。

 しかし、“くすしきバラの聖母” は、ただ多く要求されるだけではなく、それと同時に、人々が驚くほどの大きな約束もしてくださっています。もし、人々が熱心に祈り、犠牲、つぐないを捧げているにもかかわらず、献身的な家庭や修道院で、慎重な理由から、“くすしきバラの聖母” の巡回が拒まれるとしても、天の元后は、決してこのことをお怒りにならず、喜びのうちに、すべての犠牲と祈りを受け入れてくださるでしょう。しかし、もし聖母が喜びと愛のうちに受け入れられ、その結果、さらに多くの祈り、犠牲が捧げられるなら、このことは、聖母にとって、大きな喜びと慰めになることでしょう。

 わたしたちが巡回の聖母と共にしてきたことは、本当に有益なことです。

 1.たとえば、6週間に渡って、巡回の聖母が次々と家庭に回わされ、そのみ前で、祈りが捧げられたことです。ここで、次のような疑問がわいてきます。もし、巡回の聖母がなかったら、これほど多くの祈りが捧げられたでしょうか?

 2.聖母は、大変多くの人々に、慰めをもたらしてくださいました。すでに多くの、目を見張るような奇跡的な改心と、癒しが報告されています。ここに一例をあげてみます。看護婦さんたちの、次のような報告です。「神や祈りについて、何も聞きたがらない、死を間近に迎えた男の人がいました。わたしたちは、巡回の聖母をかれの部屋に置いて、“さあ、あなたは、聖母とうまくやってゆけるかしら!” といって、その部屋を出ました。後でわたしたちがかれの様子を見に行くと、かれは、まったく変わっていました。59年間神から離れていたかれは、やっとおんあわれみの神に立ち返る道を見つけたのです。そして、身も心も神にゆだねて、臨終の秘跡にあずかり、それから少し経って、神の平和のうちに、死を迎えたのでした。

 その後間もなく、わたしたちは、同じようなことに出会いました。その人は、30年以上神から離れていましたが、“くすしきバラの聖母” によって神に立ち返り、それからすぐに、完全な平和のうちに死を迎えました」。

 3.次のような報告も2件来ています。魔薬中毒の子どもを持って、失望していた両親が、“くすしきバラの聖母” に嘆願しました。すると、両親の願いは聞き入れられたのです。

 4.巡回の聖母を望んでいる人たちが、予想以上に多くいます。そして、彫刻家たちが受注でき次第、もっと多くの依頼が来るでしょう。大変多くの人々が、自分のためのご像を望んでいます。しかし、これらの依頼は、すぐには受け入れられません。なぜなら、まず最初に、いとしい神の母のお恵みが、かなえられねばならないからです。聖母は、巡回の旅をお続けになることを望んでいらっしゃいます。それは、修道院から修道院へ、教会から教会への巡回を意味しています。聖母は、ただ単に巡回することだけをお望みになっていらっしゃるわけではありません。「司祭、修道院、教会を救うために、わたしに協力してください」と、わたしたちにお頼みになることを望んでいらっしゃるのです。

 1975年10月7日、1mの高さ(第50番目)の巡回の聖母像が、教皇パウロ6世のところに送られました。それは、教皇にとって大きな意味をもち、聖母はすばらしいおん恵みをお与えになりました。

 巡回の聖母像は、今では世界中でお見受けできるようになっています。しかしながら、最も重要なことは、わたしたちが、“くすしきバラの聖母” のお望み、すなわち母としての聖母のすべてのご意向のために、祈り、犠牲、つぐないを捧げること、これを果たすことです。そうすることによって、聖母は、本当に大きな喜びをお受けになることができるのです。そして、聖母がおおせになるように、わたしたちは、聖母のおん子と聖母のみ心をお慰めすることができます。そして、そのことはきっと、わたしたちの臨終のときに、限りない慰めとなることでしょう。

1989. 7. 14

おわり

聖母マリアに賛美

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