13.その後の出現(1974年5月から1976年9月まで)

 1.1974年5月15日の出現

 ピエリナ・ジリは、次のように報告しています。「わたしはわたしのチャペルの中でロザリオをとなえながら、大きな心配にさいなまれていました。わたしは教区司教の指示があり、ブレシアのある修道院で数年間を過ごしました。わたしはそこで、わたしにとってたいへん助けになる信心深い善良な未亡人と知り合いになりました。かの女は今、瀕死の状態にあり、日夜多くの献身的な看病を必要としています。

 わたしはしばしばかの女の看病をして、夜はかの女のところに泊まりました。そしてまた、今度はわたしの家族が重い病気にかかってしまいました。わたしはどこにいても人を助けることで忙しかったので、普段の祈りや敬けんな信心業をいく分怠っていました。わたしはロザリオをとなえながら、この内的困窮によって不安に落とし入れられていました。するとまったく予期していなかったのですが、突然、栄光ある天の光の中に聖母がお現われになり、すぐに次のようにおっしゃいました。

「わたしのおん子イエズス・キリストのみ心の中で、失なわれるものは、なにひとつありません。隣人愛の行ないも祈りです。隣人への真の愛はまた、真の神の愛でもあります。地上の子どもたちが神の真の愛を悟ってくれるなら!

 真の隣人愛が実際行なわれるなら、どれほどの平和がこの地上をおおうことでしょう! 今日は、人間が自分たちの地位を神より高くしている時代になっています。そして人間は無宗教、無神論の中で生活しています。そして大多数の人間は、誤った考えと共にこの本当の悪の中に落ち入ってしまったのです。この誤った考えは世界中にまき散らされていて、その結果、ひじょうに多くの人たちが、失なわれてしまったのです」(聖母はたいへん悲しそうにこれらの言葉をおっしゃいました。しかしそれから、聖母のみ顔の表情は、大きな喜びに変わり、次のように続けられました)。

「しかし、沈黙のうちに祈り、犠牲、つぐないを捧げている霊魂があります。これらは主のおんあわれみを求め続けています。わたしは愛のメッセージを伝えるように、たびたび頼まれてきました。しかし、人々はこの自分たちの母の心からの願いに耳をふさいだままなのです」(このあとに多くの個人的なメッセージが続きました。聖母は去られるとき、次のようにおっしゃいました)。

「たいへん多くの祈りが捧げられ、たいへん多くの子どもたちが困難と悲しみをもって訪れるこのチャペルの中でわたしはいつもかれらのすぐそばにいて、わたしのおん子イエズス・キリストのお恵みをかれらに与えます」(そして聖母はまずおん手を合わせて、天の方に上げ、次のようにおっしゃりながら聖なる祝福を与えてくださいました)。「母としての祝福があなたとこの家の上に、くだるように。祈りなさい! 常に祈りなさい! そして他の人たちも多くの祈りをささげますように! わたしはいつも母としての保護をもってあなたのそばにいます」(そして聖母は消えてゆかれました)。

 2.1974年6月29日の出現(聖ペトロ、聖パウロの祝日と、ピエリナ・ジリの霊名日)

 ピエリナ・ジリは、次のように報告しています。

 午前10時にわたしはチャペルでロザリオをとなえていました。わたしはとくに数カ月間、重い病気で苦しんでいるわたしのすばらしい恩人マリアのために祈っていました。すると突然、祈りの最中に、聖母が出現されました。なんという喜びでしょう! 聖母はすぐにわたしの考えていることと、心配をお察しになり、わたしが何も言わないうちに、「かの女はまもなくわたしといっしょに天国に来るでしょう」と喜びとやさしさに満ちて、おっしゃいました。わたしのすばらしい恩人マリアは、それから数日後に亡くなりました。

 それから聖母はお続けになりました、「善意をもって捧げられるすべての犠牲と苦悩は、自分の霊魂のためにあふれるようなおん恵みを呼びます。それだけでなく、全世界のためのおん恵み、天の大きなほうびにもなります」

 それからわたしは、人々がわたしにたのんだ、病人たちの多くの心配、悲しみを聖母にゆだねました。これについて聖母は、「わたしは常に母としての愛をもってあなたのすぐそばにいます」とお答えになりました。

 このあとわたしは、次のように申しました、

 「いとしい聖母よ、あなたの出現の記念日である7月13日には、多くの巡礼者たちが来て、特に司祭、修道者やすばらしい召し出しのために、フォンタネレで祈りとつぐないを捧げることを望んでいます」と。わたしがまだ話している間に、聖母はわたしに人々の大群衆の絵をお見せになり、次のようにおっしゃいました、

「これらのわたしの子どもたちに、わたしがかれらを心から愛しているということ、そして愛の祈りと犠牲は、生きている間でさえ、すばらしいおん恵みによって報われるということを伝えなさい。しかしさらにかれらは、いつか天国で聖なる教会に対する自分たちの愛の奉献がすばらしく輝いているのを見て喜びに満たされるでしょう」

 ピエリナ・ジリは、次のように続けました、「突然、わたしの頭は1951年1月13日の、特に印象的な聖母の出現のことでいっぱいになりました。そのとき、聖母はアーチ型のドアのところにお現われになり、黄金の光をあびていらっしゃいました。そして輝く文字がだんだん見えてきました。それらは天地創造のときの神のご計画と、あがないのときの聖母のご協力を示すことばでした。そのとき、わたしはただこの輝かしい光景を見ただけでなく、聖歌隊のすばらしい歌声も聞きました。それでわたしは、

 「いとしい聖母よ、あのときわたしは聖歌隊のすばらしい歌声を聞きました。かれらは天の天使たちだったのですか?」とお尋ねしました。

 聖母は、次のようにおっしゃいました、

「はい、そのとおりです。かれらは聖なる天使たちでした。自分自身を自分の守護の天使にゆだね、その導きに従う人はしあわせです。なぜなら、守護の天使たちは、いつも自分にゆだねられた霊魂を気にかけて守っているからです。そしてその霊魂が功徳のほうびとして、天の永遠の幸福を授かるとき、守護の天使はその霊魂をむかえに来て、その霊魂は天使と共に全能の神と天の父の喜びのうちに、その天使たちの聖歌隊に入ることができるのです」

 これらの言葉をおっしゃると、聖母のマントが突然広がり、巨大な天のドームのようになりました。それはちょうどわたしが以前見たのと同じように見えました。すると急に無数の天使たちが現われて広がり、聖母のマントに代わって自分たちでその天のドームのような形を作り上げました。

 大小の天使、たいへん力強い天使たちもいて、かれらの列は下のほうに限りなく続いていました。かれらはすばらしい衣裳、王冠、レースや、すべての種類のふさわしい象徴を持っていました。かれらは聖母のマントを巨大な天のドームの上に広げました。その天使たちのすぐ下の大平原には、人間の大群衆がいました。

 かれらの中には、司教、多くの司祭、修道者たちと多くの男の人、婦人、子どもたちがいました。わたしはかれらの大部分を知りませんでした。しかし、かれらの中には、わたしがよく知っている人たち──特に、一人の司教と数人の司祭や他の人たち──もいました。天使たちと人間はみないっしょになって合唱していました、

 「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな!
 主の愛と賛美と栄光は世々に!
 神のおん母、恵みのみ母よ、あなたもまた、
 天と地で、賛美されますように!」

 ピエリナ・ジリは、次のことを付け加えました、「わたしは、この荘厳な天の光景が、どれくらいの間続いたかわかりません。わたしは大きな愛の炎の中で心を奪われていたので、もはや考えることも、何か他のことをお尋ねすることもできませんでした。しかし、わたしはそのとき、聖母がもうすぐ消えてゆかれることに気づき、いつものように、聖母に祝福を求めました。

 聖母はまず、み手を天の方にお上げになり、次のようにおっしゃりながら、右手で荘厳に十字架を切られました。

 “主の祝福があなたの上に、そしてわたしを愛しているすべての子どもたち、あなたが持ってきているすべての聖具の上にくだりますように。そして、この祝福がわたしの母としての愛と結びついて、特に熱心にロザリオを祈る人たちや、胸にわたしのメダルを下げている人たちの上に注がれますように”

 聖母は去られるとき、荘厳に “愛によって生きなさい”、つまり、神と隣人に対する完全な愛によって生きなさい──とおっしゃいました。

 わたしは、次のように申しました、「おお、天国はどんなにすばらしいところでありましょう! 主よ、わたしはあなたの満ちあふれる愛に感謝いたします」。

 3.1974年9月8日の出現

 ピエリナ・ジリは、次のように報告しています。

 午後1時になるところでした。わたしは自分のチャペルでロザリオをとなえていました。そのとき、全く予期せず、聖母がお現われになりました。聖母は、いつものように美しく、光とすばらしさに満ちていらっしゃいました。

 そして、わたしに次のようにおっしゃいました、「わたしは、マリア、教会の母です。この教会、教皇と司祭、教会のすべての子どもたちのために祈り続けるように切に願います。そして、その祈りによって人間の心に、主の真の愛と真の隣人愛がもどりますように!」

 わたしは申しました、「わかりました。いとしい聖母よ、わたしはあなたのおん助けによって、あなたの願いを果たし、あなたのメッセージを広めます」。

 突然、聖母はわたしに5つの丸いアーチのある大きな教会の正面をお見せになりました。その中央のアーチの上には、小さな柱、十字架のようなものがあって、その中心から輝く光線が遠い空の方に放たれていました。

 その中央のアーチは教会のネーブ(教会堂中央の一般信者席がある部分)をとり囲んでいました。左右の4つのアーチは、通路をとり囲んでいました。

 このようにして、全体は5つのネーブがある教会になっていました。その5つの入口がある教会の外側と正面を見たあと、わたしには、その教会の内部が見えました。そこは、白人、黒人、黄色人などすべての人種でいっぱいでした。わたしが聖母に、「いとしい聖母よ、どうか、この教会が何を意味しているのか教えてください」とお頼みすると、聖母は、次のようにお答えになりました、「わたしのおん子、主イエズス・キリストは、すべての人類におくり物をするためにわたしをおつかわしになりました。わたしは〔主は?〕フォンタネレに、このような教会が立てられるように望んでおられます。5つの丸いアーチとネーブとクポラは、ご自身のおん腕で、五大陸全部を抱きかかえるというそのお望みを意味しています」。

 少し沈黙されて、聖母はお続けになりました、「特に聖なる大天使ミカエルがすべての脅威的な迫害から教会をお守りくださるように、かれの保護を求めなさい。なぜなら現代、教会は今までにはないほどの大きな危険の中にいるからです。わたしはたえず教会のために願っています。この小さな場所からも、輝かしい光が放たれるのです」

 突然聖母は、さらに荘厳なお姿で、「確かに主の光が訪れるでしょう」とおっしゃいました。わたしはすぐに、次のように答えました、「いとしい聖母よ、わたしたちにあなたの大きな愛をすべて与えてくださって、感謝しています。しかしわたしは、あなたのお望みをどうやって、教会の権威者たちに知らせればいいのでしょうか?」

 わたしは急に声が出なくなりました。そしてのどがとても痛くなりました。なぜなら、ちょうど聖母のご誕生の祝い日であるこの朝に、聖母の出現を非難しているポスターがモンティキアリのカテドラルのドアに、また貼り付けられていたからです。少し前には、それらははがれてしまっていたのです。

 「モンティキアリの “くすしきバラの聖母” の出現の真実性に抗議するこのポスターは、真理、正義と愛のあらゆる概念に対する最も激しい攻撃です」とロッシ神父はいいました。

 とりわけ「聖母礼拝」という表現が、2度も使われているドイツ語のポスターは、単に聖母への崇敬に対するカトリックの教えへの、ひどいぶじょくだけでなく、聖母に対する真のぶじょくなのです。

 出現に対する特に激しい敵が、予期せずに突然消えていったことがありました。神はあざけりを黙って許してはくださいません。特に主は、そのおん母がぶじょくを受けることをお許しにはなりません。

 ピエリナ・ジリは、次のように祈りました、「いとしい聖母よ、たいへん感謝しています。わたしはあなたがすべての人からたたえられて深く愛されるようにと、どれだけ強く望んでいることでしょう! そのために、わたしはあなたにおん助けを請い願うのです」。すると聖母はおん右手で「わたしはあなたを助けてあげます」といって、愛情深く祝福してくださいました。

 4.1975年1月30日の出現

 ピエリナ・ジリは、次のように報告しています。自分のチャペルで祈っていると、21時30分頃突然、聖母が出現され、次のようにおっしゃいました。

「時代はどんどん悪化しています。恐ろしい危険がおそってきています。教会も大きな危険の中にいます……情勢はたいへん悪化し、人々はすべてが失われていると思うでしょう。しかしどんなことがあろうと、わたしは子どもたちを深く愛して、かれらを救う母なのです。それで、わたしは愛をもってかれらの保護をとりなしました。わたしは祈りを求めています。特に他の人のために喜んで犠牲とつぐないを捧げる静かな隠れた霊魂の祈りと犠牲を受け入れるために、いつも近くにいます。わたしは司祭の祈りも求めています。なぜなら、これらの愛の犠牲によって、わたしが今までよりも、もっとすばらしい方法で、教会に戻れるようになるからです」

 悲しみにみちた表情で聖母はお続けになりました。「あなたが見てきたように、人間の傲慢さは、けっきょく、教会の幹部級の人々に混乱をもたらしました。かれらは母であるわたしを聖なる教会から追い出し、わたしを子どもたちの心から引き離したがっています。しかし、わたしのおん子イエズス・キリストの愛は、光を送ってくださるでしょう。そして、それはたいへん光栄ある光で、おん子はご自身の栄光をあらわされるでしょう。そして、そのときに主のおん母に対する崇敬も以前のように、教会の中に取り戻されるでしょう」と。

 5.1975年4月8日の出現

 ピエリナ・ジリは、次のように報告しています。「わたしは朝の6時25分ごろ、自分のチャペルで祈っていました。するとまるで予期していないときに聖母がすばらしい美しさと、たいへん明るい光と共にお現われになりました。聖母はやさしく笑えまれながら、おっしゃいました、“わたしは今、たいへん喜んでいます。なぜなら、わたしが少し前に頼んだことの少なくとも一部がついに実現されたのです。つまり、わたしの像を行列でフォンタネレに運ぶようにということです”」。

 それから聖母は急に言いようのないほどの悲痛に包まれて涙をお流しになりながら、「おお、もしあなたがどれだけ多くのわたしの子どもたちが、滅びへの道をあゆんでいるか知っているなら……」と嘆き悲しまれました。

 しかし、それから少し経って、聖母はすばらしい光と共にお現われになり、大きな確信とともに、喜びに満ちて、次のようにおっしゃいました。

「しかし、たいへん多くの人々の祈り、犠牲と苦行は、神のさばきが人類の上に下ることを防ぐでしょう。わたしは常に愛をもって、わたしのおん子イエズス・キリストに嘆願しています。静かに、祈りと犠牲をささげなさい」

 1975年4月6日、白衣の主日の午前11時ごろ、“くすしきバラの聖母” のご像を運ぶ最初の苦行の行列が始まりました。激しい吹雪がアルプス地方をおそい、なだれが起きました。このために多くの巡礼者たちは、アルプスの山道を横断することができず、残念なことに引き返さなければなりませんでした。なだれが起こる前に、その山道を通り越していた人たちは、帰るときに多くの困難に出会い、長い間待たなければなりませんでした。その白衣の主日には、大部分の巡礼者たちが多くの困難に出会い、犠牲をささげました。それにもかかわらず、オーストリア、スイス、ドイツやイタリアから来た約200人の人たちがご像を運ぶこの最初の苦行の行列に参加することができました。

 その日の午後2時すぎに、フォンタネレから橋までを往復する約2kmのもうひとつの行列もありました。巡礼者たちは最初の行列と同じくらいおおぜいいましたが、雨が降っていたために、ご像を運ぶことはできませんでした。

 この白衣の主日の夕方5時ごろ、おそろしい嵐が西から東へと吹き荒れました。東方の空は黒みがかった青色になっていました。雨が激しく降り始めたとき、たいへん明るい日ざしが西から、この降りそそぐ雨の中に、さし込んできました。そうして2つのすばらしい虹が上下にできあがりました。それらは言葉では言い表わせないほど美しい色でした。

 後に、老人たちを含むそこの多くの住民たちは、今までこの場所でそれよりすばらしい自然のおりなすショーは見たことがないと断言しました。それは天のいとしい母のしるしを意味していたのでしょうか? まず第一に、それは、おそらくすべての犠牲、試練、子どものような愛とその当時の巡礼者たちがもっていた信頼に対する、聖母のお喜びのしるしだったことでしょう。

 しかし、それ以上におそらく、聖母に当然捧げられるはずの、愛と栄光を捧げなさい。聖母がのぞまれた祈り、犠牲、つぐないを果たしなさい。そうすれば、聖母は輝かしい勝利を得て、その結果、平和と一致が訪れるでしょうという要求と警告とともに、なぐさめと将来の希望のしるしでもあったのでしょう。それは、ちょうど聖母がファティマで約束してくださったことと同じです。ノアの洪水以来ずっと虹はおん恵みの天のしるしなのです。

 6.1975年7月3日の出現

 この出現のときに、聖母は、特に次のことをおおせられました。

「わたしの招きと、愛の祈り、犠牲、つぐないを心にとめているすべての人々に、次のことを告げなさい。つまり、かれらがそのためにあざけり笑われている時でさえ主はかれらを愛し、そしてわたしもかれらを愛しているということです。わたしは、わたしのこの心のかぎりをつくしてかれらに、豊かな天のお恵みと多くの霊的喜びを与えることを約束します。

 祈りなさい、祈りなさい、そして他の人たちが祈れるように助けてあげなさい。全宇宙の主である救い主のなさることを妨害し、滅ぼそうと戦っている悪魔の、無神論的ごまかしの影響で、現代は今まで以上に悲惨な状態になっています。今こそ祈りの時であり、よい模範、犠牲、忠実と勇気のある、努力の時なのです。教会の平和と一致を得るために、勇気をもって互いに愛し合い、働き続けなさい」

 7.1975年8月31日の出現

 この出現のときに、聖母は、特に次のことをおおせられました。

「わたしは、ほんとうに満足しています。わたしは主を賛美する聖なる天使たちの全軍団と共に行きます。わたしが巡回の聖母としてとどまる所に、わたしが求められている所に、そして多くの祈りが捧げられている所に、このようなすべての場所で、わたしのおん子イエズス・キリストは、天から、霊魂の中に特別なおん恵みをお注ぎになるのです」

 それから聖母は、もっと偉大な威厳をもってお続けになりました。

「前進しなさい、いとしい子どもたちよ、熱心に祈り続けなさい! 今こそ勇気ある努力の時です。教会と教皇を愛しなさい。忠実を守りなさい。あなたたちが、よい模範、真のキリスト者としての生活を示すことによって! 犠牲を捧げ、キリスト者としての徳を養いなさい、そしてこのためにわたしはあなたたちをもっと深く愛するでしょう。このようにして、教会に勝利が訪れ、そしてあなたたち自身は天の栄光を受けるでしょう。

 わたしの愛は、全世界を教会の腕の中に包み込むことを望んでいます。わたしはありのままのあなたたちを愛しています。それがわたしの母としての心の愛です。こういう理由で、わたしは教皇、司祭や修道者たちのために、祈り、犠牲、つぐないを捧げるようにと、すべての人に呼びかけます。

 巡回の聖母が迎えられるあらゆる場所に、わたしも、主を賛美する天使の大軍と共に行きます。なぜなら、そこにはわたしを愛したたえる忠実な子どもたちが大勢いるからです」

 8.1975年11月23日 王であるキリストの祝日の出現

 この出現のときに、聖母は、特に次のことをおおせられました。

「ほんとうにわたしは主の母、教会の母、人類の母なのです。ピエリナ、たいへん多くの人々が主にささげた犠牲と祈りは、すばらしいおん恵みを得ました。罪におぼれている世界は、大きな裁きを受けねばならなくなるところでした……しかし、主の偉大で限りないおんあわれみは、ふたたび勝利を得ました。善良なわたしの子どもたちよ、皆のために祈り、犠牲をささげなさい。人々はこれによって救われるのです」

 9.1976年1月6日 主の公現祭の出現

 この出現のときに、聖母は、特に次のことをおおせられました。

「ごらんなさい、現代の唯物主義の世の中は、人間をみじめな状態におき、主とわたしの名前を忘れさせています。

 わたしはイエズスご自身の愛をもってあなたたちを愛しています。イエズスの愛は計り知れないものです。わたしはあなたたち全員を救いたいのです。わたしは平和が世界を治めるように一致をもたらしに来ます。わたしは愛の母として、至るところでわたしのまわりに子どもたちを集めようと努めています。たとえ、かれらがわたしから遠く離れた所にいても、忍耐と主のおんあわれみをもって、わたしはかれらがわたしの所に戻ってくることを望んでいます。

 わたしの愛する息子である教皇パウロは、無原罪のおんやどりの祝日、信者に対する愛の言葉、尊敬と光の言葉を話しました。そしてその中で、かれはわたしの神秘的な偉大さをほめたたえ、キリストの神秘体である教会の母であることを宣言しました。

 そうです、わたしはマリア、くすしきバラの聖母、教会の母です! これこそわたしが数年前、わたしの愛する娘であるあなたに伝えたメッセージなのです」

 10.1976年2月13日の出現

 この出現のときに、聖母は、次のようにおおせになりました、「わたしは、あなたがわたしのメッセージをより広く、公けに知らせることを望んでいると話すために、ふたたび来ました。わたしは、何百年にもわたって、世界中の多くの場所に、何度も何度も降りて来ました。もし、わたしが被昇天以来ずっと、子どもたちをわたしの回わりに集めるために地上に何度も戻って来なかったとしたら、わたしの母としての愛ととりなしを失った世界は、主に対して、ひじょうに冷淡になっていたことでしょう。わたしの子どもたちには、この親密な母の愛が不可欠なのです。なぜなら、かれらは弱いので、すぐに主と、全能の神である父から離れて堕落してしまうからです。わたしは、こういう理由で遣わされているのです。わたしがこの地上に、愛のメッセージをもたらすために降りて来るたびに、全天国は、大きな花冠のようにわたしの回わりに集まって来る天使の大軍と共に、いっせいに動き始めます。しかしながら、それとは反対に、地上のわたしの子どもたちの多くは、冷淡にわたしをあしらい、主に導くわたしの招きに、ますます耳を貸さなくなっているのです!

 ピエリナ、わたしの特別に愛する息子である司祭たちに、“わたしの願いは、かれらがわたしを愛することである” と何度もくり返し話しなさい。かれらに、この主の母のメッセージを遠く広く、至る所に広げるように話しなさい。かれらは、大きな危険の中にいる子どもたちの救いのために、わたしが何世紀にもわたって、してきたことすべてを、そして、今もなおしていることを、決して無駄に終わらせてはなりません。主は、信仰と愛のすべての力をつくして、愛され、賛美され、栄光をたたえられねばなりません。

 ごらんなさい、これが主の愛です。わたしは、それが全世界にあふれ出ることを望んでいます。わたしは、もう一度くり返します、わたしの子どもたちよ、主と主の母を愛しなさい! あなたたちは皆、真の隣人愛で互いに愛し合いなさい! 聖なるミサにあずかりなさい。祈るために、教会に集まりなさい。忠実の恵みをうけるために、そして世界に真のキリスト者の模範を示すために、たびたび秘跡にあずかりなさい。救われることを望んでいるのなら、これらをすべて行ないなさい。祈り! 犠牲! つぐないを」

 11.1976年4月20日 復活の火曜日の出現

 この出現のときに、聖母は、次のことをおっしゃいました。

「ピエリナ、病人や、心配、悲しみに耐えているすべての人々に次のことを話しなさい。すなわちその苦しみは、犠牲の祭壇となるのです。

 しかし、その上には、天から、あふれるほどのおん恵みが注がれるのです。じつにこれらの苦しみを通して、特別の愛が、数えきれないほど多くの家庭、そして、多くの心と霊魂にもたらされるのです。そして、かれらの苦悩は、永遠の栄光ある冠になります。わたしは、かれらと共にいて、特別にかれらを守ります」

 わたしは聖母に、感謝をおささげしました。そのとき、一つの大きな十字架が見えてきました。わたしは驚いて、「いとしい聖母よ、これは何を意味するのでしょうか?」と、聖母にお尋ねしました。聖母は、次のようにお答えになりました。「この大きな十字架を広場の中央、小さいチャペルの近くに立てなさい。この十字架を見上げながら祈るわたしの子どもたちは皆、すばらしいおん恵みを受けるでしょう。この十字架を見ることによって、皆に、信仰、希望と愛の光が与えられるのです! そして、わたしのおん子イエズス・キリストと結ばれているこの場所(フォンタネレ)で、確かに、わたしの心は、これからも開かれ続け、わたしの腕は、すばらしいおん恵みを与えるために広げられるでしょう。それによって、特に罪におぼれたわたしの子どもたちが救われるでしょう」

 12.1976年6月6日 聖霊降臨祭の出現

 この出現のときに、聖母は、次のことをおっしゃいました。

「子どもたちよ、主を愛しなさい。永遠の救いを得るために、祈り、犠牲をささげなさい。仲のよい兄弟や姉妹のように互いに愛し合いなさい……そうすれば、わたしはあなたたちの霊魂に平和を、あなたたちの心に一致を、もたらしに来ます。

 わたしのおん子であり、主であるイエズス・キリストの偉大なみ心は、聖霊の光とともに、ご自身の神の愛を霊魂に注ぎ込む力を、わたしの手にゆだねてくださいました。

 わたしは、あなたたちの心配、困難や、祈りの意向をわたしのおん子におささげするために、おん子のみ前に身をかがめている、あなたたちの母です。そしておん子は、ご自分の母の愛に対するお返しとして、とりなす力と、おん恵みを世界に注ぎ込む力をわたしにお与えくださいました。

 わたしは、おん恵みの仲介者マリアです! ピエリナ、わたしが主から授かったこのたまものをすべての人々に知らせなさい。わたしは愛の母です。そして、わたしは、慰めと救いのために来るのです!」

 13.1976年9月3日 初金曜日の出現

 この出現のときに、聖母は、次のようにおっしゃいました。

「勇気をもつように、自分たちの祈りを信頼するように。しかし、特に主の愛をより深く理解できるように、兄弟たちを助けてあげなさい。

 わたしの子どもたちよ、祈りなさい。そして、こんにちもし大敵の悪魔が、わたしのおん子イエズス・キリストの光をけそうとして戦いをいどんできたとしても、恐れてはなりません。わたしは、大変多くの祈りと嘆願を集めます。そうすれば、それらは、平和、一致と光のおん恵みに変わるのです。

 わたしを愛し、わたしの望みをかなえようとしているわたしの子どもであるあなたたち──、愛のメッセージが失なわれないように、犠牲をささげているわたしの子どもであるあなたたちは、わたしのおん子イエズス・キリストから、特にすばらしいほうびと、特別のおん恵みを受けるでしょう。いつも、このわたしの愛の中にとどまりなさい」

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