3.その後の出現

 ピエリナ・ジリは、司教の命令により、1966年からずっと、フォンタネレに行くことができなくなりました。かの女は、この命令に従順に従いました。しかし、聖母は、人間が出した禁止令に縛られることなく、他の場所でお現われになりました。ピエリナは、その後の出現について、次のように報告しています。

 「わたしは、聖母の祭壇の前でひざまずいて祈っていました。そのとき、強い光に気づきました。わたしには、大きな階段が見えました。その階段は、1947年、モンティキアリの教会で何千人もの人々が集まって催された無原罪のおんやどりの祝日で見た階段に似ていました。その階段の最上段には、光にみちた、黄金の門が開かれていました。階段の上には、オレンジ色がかった赤色の光の大きな文字で、「天地創造のみわざ」と書かれていました。そして、少し奥の方に輝く、血のような赤色で、「あがないのみわざ」ということばが書かれていました。そして、もう少し奥には、輝く空色で、「あがないの協力者」と書かれていました。聖母は、おん腕を広げられ、階段の上に立っておられました。そのおん腕からは、黄色い火の舌のような光線が階段の下にいる人々の群衆に下りていました。聖母はご自身ではお話しにならずに、わたしをごらんになって、ほほえまれました。そして、天使のすばらしい声が、次のように言いました、「マリアはお告げの “おことばのとおりになりますように”(fiat)ということばで、神のおん母と人類のおん母になられました。聖母の承諾は、天地創造のときの “光あれ”(fiat lux)と比較することができます。父である神から、すべての恵みを授かったからです」と(81ページ参照)。

 そのとき、ピエリナは、天使の声が、次のように歌うのを聞きました、「聖マリア、神のおん母、恵みのおん母が、すべての人間から代々に賛美されますように」。

 ロザリオをとなえなさい。

 聖母は、数回の出現でくり返しおおせられました、「ロザリオをとなえなさい」

「わたしの娘よ、聖なるロザリオをごらんなさい。ロザリオをとなえる人は皆、わたしから多くの恵みを受けるでしょう。それは、わたしのみ心と深いつながりがあります。ロザリオは、天と宇宙の王である主を賛美する祈りだからです。わたしを愛するすべての人々に、わたしのおん子イエズス・キリストに向けられた多くのぶじょくのつぐないをするように話しなさい。子どもたちよ、互いに愛し合いなさい。神を愛し、隣人を愛しなさい。愛の犠牲をささげなさい。祈りは天に届く愛なのです」

 1971年1月17日、「ロザリオをたびたびとなえることは、神へのとりなしのきずなです。信仰の神秘の黙想です。主の祈りは、すべての子どもたちを一致させる祈りです。そして、栄唱は、聖三位一体をほめたたえます。わたしの子どもたちに、ロザリオをとなえるように伝えなさい。ロザリオは、信仰の環であり、祈る人に光を与えます。ロザリオは、心の一致をもたらし、永遠の幸福を保証します」

 1971年7月25日、「ピエリナ、わたしはここが祈りの場所になることを望んでいます。あなたは、ロザリオをとなえるために、人々をここに案内しなさい。それは、主が大変お喜びになる祈りです」

 1968年10月12日、聖マリアの新しい、さし迫ったご要求、「つぐないの聖体拝領をすることで、わたしの願いをかなえてくれるすべての子どもたちに、わたしはあふれるほどの恵みを取りついでいます。そして、わたしが祝福したこの井戸に、わたしを敬うために来るすべての人々に、わたしの望みは、人々がここで聖なるロザリオをとなえることであるということを伝えなさい。わたしは、その人々の祈りを主にささげるために、みずから天国の天使と共にここに来ます。こうして、ここで、多くの心が同じ愛のうちに一致するなら、天と地はつながれるでしょう。これらの子どもたちは、どれほど多くの恵みを受けることでしょう! わたしは、すべての人を見て、祝福します」

 1969年10月13日、正午。聖母は、ピエリナにお現われになり、ご自身にゆだねられたすべての人々を、ご自身のマントで守ることを約束してくださいました。そして、人のために犠牲と祈りをささげる人は、誰ひとりとして、永遠に亡びることはないとおおせられました。

 1970年2月14日、「ピエリナ、わたしはふたたびここに来て、祈りとつぐないを求めます。たいへん多くの霊魂が永遠に亡びる危険にさらされています。その霊魂を救うためには、犠牲が必要です。わたしは、モンティキアリで、わたしのすべての愛を与えました。ごらんなさい。わたしの愛は、全世界を包んでいます。わたしは、小さな子どもであるあなたを通して、わたしの愛を与えました。そして、わたしは今、霊魂のためにふたたび愛を与えます。愛をささげること、このこと以上に偉大なものはありません。神への愛、そして隣人愛は、主に届く祈りです。わたしたちは、愛とともに自分自身をもささげます。したがって、すべてをささげることになるのです。愛のために苦しみなさい。隠れたところで愛をささげ、祈りによって語りなさい」

 1970年5月19日の出現は、特に深い意味がありました。聖母は、いつものように、白いマントをお召しになり、そのみ心は、3つのバラ──白、赤と黄金──で飾られていました。そして、右のおん腕に、大きなロザリオをかけておられました。そのロザリオには、十字架ではなく、メダルがついていました。聖母は、おん腕を広げて、手のひらにのっている、丸い黄金のメダルをお見せになりました。それから聖母は、おん右手で、そのメダルの表面の絵をお見せになりました。それは、次のような絵で、聖母は、両手をあわせて階段の上に立っておられました。そのおん頭は、かすかに左に傾いています。そして、みかしらの上には、3つのバラがありました。階段の上のおん足もとにも、バラがあって、メダルの左側に Rosa、右側には Mystica という字がきざまれていました。聖母は、おん左手でメダルの裏面をお見せになりました。丸い屋根で、3ヵ所に大きな門のある丸い教会がありました。その上には、「教会の母マリア」という文字があります。聖母は、「わたしは、あなたに見せているこのメダルに似たものが作られることを望んでいます。そしてその表面には、ローザ・ミスティカ(くすしきバラの花)、裏面には、『教会の母マリア』という字を入れてほしいのです」とおっしゃり、それから、次のようにおことばをお続けになりました。「主は、次のような目的で、わたしをここモンティキアリにお送りになりました。それは、主の愛のたまものをもたらすこと。おん恵みの泉をもたらすこと。そして、わたしの母としての愛のこのメダルのたまものをもたらすことです。ごらんなさい。わたしの子どもたちは、いたる所でこのメダルを身につけるでしょう。わたしは、かれらみんなに、母としての保護と恵みを約束します。いまの世界は、人類が常にわたしに対してもっていた愛と尊敬を滅ぼそうとしています。しかし、わたしの母としての愛のメダルは、わたしの子どもたちが、いつも主と人類の母であるわたしとともにいるというしるしです。ごらんなさい。これは、普遍的愛の勝利です。主の祝福とわたしの愛は、いつもわたしに寄り頼む人たちとともにあるのです」

 1971年1月17日、「人々は、もはや神を求めてはいません。そして、わたしのおん子イエズス・キリストの教会は、今、大変恐ろしい戦いの中にあります。それでわたしは、人類の上に、愛のマントを広げているのです。愛とつぐないの祈りが必要です。大変多くの霊魂が、永遠に滅びるでしょう。おお、わたしのおん子イエズス・キリストの、あわれな教会よ! 子どもたちよ、祈りなさい。苦行をしなさい。これは、主のおん母の切なる呼びかけです」

 そしてまた、次のようにも、おおせられました、「娘よ、この時代には、多くの人々が、祈りと愛のうちに主のまわりに集まることが必要です。大変多くの主の子どもたちは主を捨ててしまって、見向きもしません。わたしのおん子イエズス・キリストは、ご自身のあわれみ深いみ心をお表わしになり、みずから犠牲になられたことをこの世に証しするために、信仰と強い霊魂を必要としています。わたしは、主のこの愛を広めるために、そして、霊魂を神の愛と隣人愛に呼び戻すために、来ました。これは、神の母のメッセージです」

 1972年8月5日、聖母は大変心を痛められているご様子で、お話しになりました、「今、この世は、不信仰のくらやみにおおわれています。しかし、もし人々が祈り、苦行をするなら、この母の心は、全世界のためにもう一度、主であるわたしのおん子イエズス・キリストから、光と愛と平和を得るでしょう。主のおんあわれみは、いつも神の救いのご計画のために準備されているのです。すでに、次のことを話すべき時が来ました。今、人間は、神の救いのご計画を非難し、主がわたしをご自身の母としてお選びになったことを否定しようとする時なのです。わたしは主の母そして全人類の愛の母なのです。子どもたちよ、兄弟愛で互いに愛し合いなさい。そうすれば、主の平和が勝利を得るでしょう」

 1973年7月22日の重要な出現

 ピエリナ・ジリは、次のように報告しています。「わたしは、自分の小さな台所で座って手紙を書きました。外は雷雨で、ひどい天気でした。とつぜん、わたしは、聖母の小聖堂の明かりに気づきました。最初にわたしは、雷鳴のあいだ停電していた明かりが、つくようになったのかと思いました。それでわたしは、電気を消すために、小聖堂に行きました。しかし、驚いたことに、聖母がそこにいらっしゃったのです。なんという喜びでしょう! わたしはすぐ聖母に来てくださったことを感謝しました。聖母はやさしくほほえまれ、「今もいつも」とおっしゃいました。そして、少しのあいだ沈黙され、それから次のようにおおせられました、「主は、人類にご自分のおんあわれみの愛を与えるために、わたしをここにお送りくださいました。わたしの母としての訪問は、わたしの子どもたちが、わたしのみ心の鼓動を聞くためです。わたしは、フォンタネレが祈り、苦行と光の家になるようにというわたしの望みがかなえられるように願っています」と。

 わたしは、「どんな祈りや苦業の行ないをしなければならないでしょうか?」とお尋ねしました。すると、聖母は「信仰、愛、賛美、願いの祈りです」とお答えになりました。そして、ほほえまれながら、「聖なるロザリオをとなえなさい」とおおせられました。

 それから、しばらく沈黙されて、おことばをお続けになり、「わたしはまた、この場所で人間の罪のつぐないのための苦行が行なわれることを強く望んでいます。これまでそれをした人は、ほんの数人しかしませんでした」とおっしゃいました。わたしは聖母に、わたしたちは個人でそこに行くべきかどうかお尋ねしました。聖母は、「はい、そうです。しかし、グループや行列で、苦行の祈りをとなえながら行ってもよいです」とお答えになりました。わたしは、「そのことを人々に伝えます」と申しました。

 それからわたしは、勇気を出してお尋ねしました、「わたしは、あなたから教えていただきたいことがあります。やさしい聖母よ、あなたはなぜ、“くすしきバラの聖母” というお名前でご自身をお表わしになるのでしょうか? そのお名前は、教会にとって、どんな意味があるのでしょうか」と。すると聖母は、ほほえまれながら、「これは、新しい信心業ではありません。それは、わたしのおん子イエズス・キリストが人となられた時と関連していて、その時に始まったのです」とお答えになりました。

 それから、間をおいてから、「救いへの承諾、わたしの協力の承諾は、最も美しい花に象徴されています。わたしは無原罪のやどり、わたしたちの主の母、おん恵みの母、神秘体の母、教会の母です。それで、わたしのおん子イエズス・キリストは、1947年に、わたしをモンティキアリにお送りくださいました。そしてわたしは、大変多くのわたしの子どもたちの前で、その教会の床の真中に、自分の足で触れました。そのことで、わたしが聖マリア、神秘体の母、教会の母であるということがわかったはずです。それは、教会のすべての子どもたちに対する、祈り、つぐないへの招きを意味していました。神を恐れない、無神論のくらやみの時が始まっています。主への愛(聖母は、涙を流されていました)、そして主の母への愛は弱くなってきています。しかし、もし人々がこの招きを受け入れるなら、主のおん恵みと、教会への終わりのないおんあわれみが、くすしきバラをふたたび咲かせるでしょう。モンティキアリは、全世界に、神秘的な光をはなつ山となるでしょう。そうです。そうなるのです」

 注目すべきこと

 ラティスボン市のロドルフ・グラベル司教は、次のように書いています。

 「神秘的」といえば、教会の用語として、“経験によって神を知る” という意味です。それは、“霊魂が神の存在に気づくようになる” ことを意味しています。聖母は、神秘的な生活のいちばんすぐれた教師です。聖母は、モンティキアリで、将来の教会とキリスト教を救う方法を教えてくださいました」。

 ピエリナは、聖母のメッセージを聞いて、お尋ねしました、「いとしい聖母よ、あなたはなぜ、教会の権威者たちがわたしの話を信じてくれるように、奇跡を行なってくださらないのでしょうか?」と。聖母は、次のようにお答えになりました、「わたしはすでに、どれほど多くの恵みをあたえたことでしょう! 今も、そしていつもです。しかし、最も明らかな奇跡は、真の信仰、主の真の愛に立ち返ることなのです。そうすれば、今、離れた兄弟たちがまことの信仰の一致にもどり、全世界に平和が訪れるのです」と。

 それから聖母は、ご自身のおん目とおん手を天の方にお向けになり、次のようにおおせられました、「わたしは主に、次のようにお頼みしています。すなわち、“わたしが、愛され、理解されるために働くすべての子どもたちと、わたしの望みをかなえるために勇気をもって働くすべての子どもたちに、豊かなおん恵みをお注ぎくださいますように” と。わたしはかれらに、わたしの母としての愛と、主のおん恵みを約束します」と。

 そういいおえると、聖母は去ってゆかれました。そして、わたしに、全世界のすべての喜びとも比べられないほどの大きな喜びを残してくださいました。聖母はわたしに、あらゆる屈辱を喜んで受けるための新しい勇気をお与えくださったのです。

ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ