22. バーゼル会議とユダヤ人解放の三大策
明治三十年、即ち1897年8月29日、30日、31日、この三日間スイスのバーゼル(近頃国際決議銀行の所在地となった)と云う所に、ユダヤ人が第一回のシオニスト会議を開催し、ユダヤ民族の問題を色々謀り、各種の決議をしたのであります。この事を本当に御了解を願うためには、前世紀末に於けるユダヤ人解放の三大策という、云わば二十世会の事業計画というようなものを申し上げる必要があるのでありますが、時間の都合上、簡略なところに止めさして頂こうと思います。
先ずその席上、第一論者は申しました、「ユダヤ人は全世界に1350万人居るが、その中1000万人が波瀾を中ばとして、ロシアとオーストリアとドイツの三ヶ国に居住している。残りの300万人が主としてアメリカに居るのであるから、その1000万人の解放さえすればよい。勿論、露、独、墺の三国は有名な軍国主義、帝国主義の堅固な国々だから、その政治組織を破壊するは容易ではないが、成功すればユダヤ民族の目的は大半達成するのである」と主張したのであります。
第二論者は主張して曰く、「第一論者の言う所は壮快だけれども、多分の危険を伴うものである。吾々は何処の国でも善いから、土地を獲得して、そこに国が出来さえすればそれを根拠として、色々の策動となす事が出来るから、先ず国を得る事が第一だ」と云う事を提唱してその結果、今の英国保守党のオースチン・チェンバーレン氏のお父さんが外務大臣をして居った頃、「アフリカのウガンダをやろう」と云う事になった。第二論に属する先生達は、飛びついて行ったが、その他のユダヤ人は「そんな奥山で、ホッテントットの住むような土地では駄目である」と言うので、これを揉み消してしまったのであります。
最後に第三論者は口を開いて、「それよりは、祖国パレスチナを神様がお前達に返してやると云う事が聖書に書いてあるから、これを今度回復して、吾々の国にすれば、神様の預言が全部実現する事になって、民族の精神的復興に大なる効果があるのだから、是非そのパレスチナを回復すべきである」と論じたのであります。
このバーゼル会議と云うのは、その第三論者の尽力によるもので、その結果4ヶ条の決議が出来ましたが、問題はそれではない、彼らユダヤ人は、24ヶ条の重大なる秘密決議をしているのであります。
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