アロイジオ・デルコル神父著
『カトリック信徒に告ぐ ─「解放」とは何か』(抜粋)

〔 〕は管理人による挿入。(…)は省略の印。
(…)
教会の憂うべき荒廃
 澤田論文〔1989年〕への反論がいかに的はずれなものが多いか、を語る前に、世界の教会がいかに乱れているか、を紹介しておこう。
 あるとき、ボーイスカウトの地方大会でミサが行われた。ボーイスカウトには信者のグループもあったが、洗礼をうけていないグループもあった。聖体拝領のときになると、まず信者の子どもたちが拝領した。それから司祭は、ほかの子どもたちにも拝領するように言った。ひとりの先生が、「この子たちは洗礼をうけていません」と言ったが、司祭は、「いいよいいよ、みんな神の子どもじゃないか」と言い、みんなにご聖体を配った。ご聖体の秘跡をうけるためには先ず洗礼の秘跡をうけていなければならないという伝統的な教えと規律は、みごとに無視されたのである。
 また、今年一月一日のカトリック新聞には、ご聖体を強く屈辱するマンガが出ている。お正月に、司祭が、『正月だからホスチア(キリストの体のいけにえと考えられる聖別された聖体のパン)ももちじゃ!』という理由で、聖体拝領のときに「キリストのからだ」というかわりに、「キリストのおもち」といっている場面が描いてあるのだ。このマンガを描いたのは一信者である。わたしはカトリック新聞に批判の手紙を出したが、返事もなく、訂正もされなかった。後で知ったことだが、そのとき五人の読者からも同じような手紙がだされたそうである。
 フランスでは一九七六年、アンドレ・ミニョー〔André Mignot〕氏とミシェル・ド・センピエール〔Michel de Saint-Pierre〕氏によって「悪魔のけむり〔Les Fumées de Satan〕」という書物が書かれた。信仰を破壊し、キリスト教の倫理道徳を葬ろうとくわだてる人々を批判した本である。それはすなわち、フランスの司教団に対する、悩める人々の悲しみの叫びである。
 「悪魔のけむり」という題は、教皇パウロ六世が一九六八年六月二十日にいわれたことば、「悪魔のけむりは教会に入りこんだ」を思いださせるためであった。つまり、だれも疑うことのできない正確な具体的な事実をもって、教皇のこの言葉の真実性を証明するためであった。この本は、二八五ページにわたって、なげかわしい不規律、濫用、涜聖などの例を紹介している。それはフランスにおこったことであるが、外国にも、日本にも最近同じようなことが見られるようになったのは、非常に残念なことである。
 若干の例だけを紹介しよう。
 ある女子修道院ではシスターが「小さい子どもたちに教理を教えるときに、『ホスチアという白いパンの中にイエズスさまは本当にいらっしゃいます』などと言ってはいけません。小さい子どもたちは、本当にイエズスさまがそこにいらっしゃるという、間違ったことを考えますから」と言ったという。もちろん他のシスターたちは反対した。だがおどろいたことに院長は、院長としての権利(?)をもって、これからは、イエズスがホスチアに現存するなんて間違った古い言いかたをしてはなりません」といったというのだ。
 また、フランスのある司祭は、日曜日のミサにあずかる義務は一つもない。あずかるのはかえって、パリサイ主義のしるしで、まことのキリスト信者は共産主義者と囚人だけである、と言っていたという。
新教徒とともに共同ミサ
 多くの司祭は、ミサのときに祭服を着用せず、ミサ典礼書も使わず、典礼文をその場で即興的に作っていた。またある教会では、司祭だけの祈りである奉献文を信者みんなに大きな声でとなえさせていた。それだけでなく、聖変化のことば(ミサの間に聖体のパンを聖別することば)さえも、一般信者が大きな声で司祭とともにとなえさせられたこともあるという。このような例は、フランス、カナダ、米国、そして日本にもあった。
 英国ではもっとひどい例もあった。あるカトリック神学校では、プロテスタントの女性牧師(教授)がイエズス会司祭である校長と、なんと共同ミサをささげたことがあるというのだ。プロテスタントの女性牧師は、聖変化のことばもいっしょにとなえたそうである。
 スイスのルツェルン市でも、カトリック司祭とプロテスタントの牧師が共同ミサをささげた(一九八七年一月二十五日)。ジュネーブでも一九八二年教皇のミサのとき、司祭たちがたくさんいるのに、たくさんの若い女性がご聖体を小さなかごに入れて配り始めた。あずかる人の大部分は聖体拝領を拒んだ。ひとりの信者が、ご聖体をもってくる女性に、「あなたはカトリック者か?」と聞いたところ、「ちがいます。アングリカン(英国国教会系教会の総称)です」と答えたという。
 ご聖体とイエズスの御心の次に攻撃のまととなったのは、聖母マリアと、その信心およびロザリオである。「悪魔のけむり」にはこんな例が出ている。
 ある主任司祭は子どもたちの初聖体の祝日に、ロザリオを渡すように子どもたちに命じ、祭壇の前にロザリオの小さな山を皆の前で燃やしてしまったのである。
 これらがいかにキリストの教えに背いているか、反論するまでもないと思われるが、いくつかの点にだけ触れておこう。
 かれら司祭たちは、典礼のもっとも基本的規定を忘れている。すなわち、「典礼の規制は、教会の権威のみに依存していること。この権威はまず第一に教会のかしらである教皇にあり、また一定の限度において司教にあるということ。また、だれも、司祭であっても、勝手に何も加えたり、ぬかしたり、変えることはできないということ。」(典礼憲章二十二条)。
 そうだ。たしかに信者は「意識的、行動的な、充実した参加をするように」要求されている(典礼憲章十一条と十四条)が、だからといって、信者は典礼上のもっとも基本的な規定を犯してもよいという権利を与えられたのではないのである。
 この点について、教皇パウロ六世の時から今のヨハネ・パウロ二世にいたるまでの聖座(ローマ聖庁のこと)の方針は、何のうたがいも残していない。だが残念なことに、これらの方針は知られていないか、あるいは意識的に無視されている。たとえば、典礼者は一九八八年二月に、聖週間(復活祭に先立つ一週間)の尊敬すべき典礼の規定をきびしく守るように、もう一度要求したのである。
 聖体拝領の特別奉仕者についても、ローマの規定ははっきりしている。すなわち「補足的な役務」であるから、必要なときだけに限る役務である。しかし正式の奉仕者(司祭または助祭)がいるなら、たといミサ聖祭の司式にあずかっていないにしても、特別奉仕者がご聖体をくばることは許されていないのだ。この規定はすでに教会法にふくまれているが、最近、教皇ヨハネ・パウロ二世の正式の命令によっても強くくりかえされている。
 澤田氏が紹介した、京都のNICEによる若者たちのあの「なげかわしいミサ」のときは、共同司式司教のほかに何人かの司祭もいた。かれらは信徒にご聖体をくばることが出来ただけではなく、そうする義務もあった。ところが、逆に、かれら司祭たちは若者たちの手からご聖体をいただいたのだ! このやりかたを許した主式司教と信徒からご聖体を受けるのに反対しなかった司祭たちは、これほど重大な典礼上の反則に気がつかなかったのだろうか? おまけにこの反則が、「開かれた教会」をあれほど叫んでいたNICEによって犯されたとは! 開かれた教会とは、典礼上のもっともおろかな反則に対して「開かれた」教会を意味するのだろうか。
 「カトリック生活」誌一九八八年二月号には、「東京教区カトリック婦人同志会会長、日本カトリック婦人団体連盟副会長、世界カトリック婦人団体連盟理事」なる肩書の、荒井佐余子さんの記事が掲っている。残念ながら彼女はNICEに洗脳された人のようだ。あの「嘆かわしいミサ」についても「感動的だった」「大きな恵み」だったと書いているが、以下彼女の文章を一部引用しつつ、反論してみたい。
 ① 「今までの教会は閉鎖的であり、お互いの横の連絡が乏しい、また社会への訴えが殆どなされていない。」
 それほど閉鎖的だったならば、戦時中でも戦後でも、どうして信徒の数がふえてきたのか? カトリック関係の教会報とか月刊雑誌、カトリック新聞、各種のパンフレット、小冊子、書物が出されたのは、教会のことを一般社会にも教会内にもかくすためだったというのだろうか?
 カトリック経営の各種の教育事業は、キリストの信仰を広めるために閉鎖的だったといえるだろうか? 大分司教がなさった調べによると、各種のミッション・スクール(幼稚園もふくめて)で洗礼を受ける人は少ないが、あとで大人となって洗礼を願う人は少なくない。また、カトリック教会が、戦前から多くの社会福祉事業をもっているのは、「貧しい人々、すてられた人々、弱い人々、身体障害者など」を優先的に、献身的な愛と奉仕の対象としたからではないだろうか?
 ② 「教会は人を裁くためにあるのではなく、ゆるすためにあるはずです。それが何時のまにか形式にこだわる裁きの場になり、冷たい批判が充満する場になってしまっているのです。」
 一九八八年フランスの司教団は、離婚者と再婚者をもっとあわれみ深くとり扱い、再婚のときに司祭が立ち合って祝福を与えるように、そして聖体拝領をするのを禁じないようにと、教皇ヨハネ・パウロ二世にたのんだことがある。教皇は承知しなかった。理由は、次の通りである。神はあわれみ深く、誰にでもその許しを拒まないが、神の掟をどうしても守るということが条件である。この重大な掟を守らないならば、聖体拝領ができない。なぜなら聖体拝領は神の愛のしるしであるが、罪の状態にいる人の場合、罪は神に対する憎しみのしるしだからである。
 ③ 「守りの信仰から生きた信仰へ。」
 これで何をいいたいのか? 「生きた信仰」といって何を意味したいのか? 「守りの信仰」とどんな違いがあるのか? とにかく、使徒聖ヤコボのことばを読もう。「わたしの兄弟たちよ、信仰があると自称していても、おこないがなかったら、何の役に立とうか? 信仰がその人を救えるのであろうか? ある兄弟や姉妹が裸で、今日の食物さえないとき、あなたたちのうちだれかが、『心やすらかに行け。温まって、十分食べよ』といって、そして体に必要なものを何も与えなかったら、それが何の役に立つだろうか? 信仰もそれと同じく、善業がともなわなければ、死んだものである」(ヤコボの手紙二・一四 ─ 一七)。
 ④ 「青年達はみんなで言いました。『青年の力を信じて下さい』と」。
 若者への信頼と愛。といっても、青年たちが「その力で」京都のNICEのようなミサを組織することができるという意味にはならない。ミサは「みんなでつくる」ものではなく、キリストが作られたものであるから、そのささげかたは勝手にできるものではなく、キリストが定められた教会の指導に従わなければならないのだ。
(…)
 だが、このようななげかわしい事実について話したために、つまずく人がいれば? それについては、教皇大聖グレゴリオが答える。「真理を守らないよりも、つまずきがあるのはましである。」
 また、レオン・ブロァーはいった。
 「毒を盛る人をあばいて兄弟たちに警戒するようにといえば、名誉毀損になるからといって、兄弟たちが毒殺されるのをゆるすのは、正しいと思います?」
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