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カトリック教会が決定し得ないような事項は
何人も決定し得ない
神父 
さて、この前の講義はどこで終ったのですかね。
青年 
いわゆる「聖書のみ」の主義と教皇の不謬性のことをお話しになりました。聖ペトロはローマに居たことはないという話はどうですか?
神父 
ばかげたことです。十九世紀までの歴史家は、誰一人としてそういう非難をしようとしたものはいません。教会最大の敵でさえも、しませんでした。今日でも有名な歴史家はみんな、ペトロはローマの司教で、聖パウロといっしょにそこで殉教した、ということを認めています。かりに彼がローマの司教でなかったということが事実だとしましても、それがどういう証明になるのですか? 論争点は、彼はキリストから教会の可見的な頭に任じられたか、というところにあります。エルザレムに居たか、ローマにいたかということは問題ではありません。その死後数年にしてその後継者がローマに移ったのでしたら、それ以後のローマの司教は彼の後継者です。
合衆国政府の所在地はフィラデルフィアからワシントンに移転しましたが、ワシントンに住んでいる大統領はジョージ・ワシントンの後継者です。
青年 
もちろん、居住の場所は要素ではありません。ですが、教皇の中にはよくない人がいた、というのは本当ですか。
神父 
非常に稀なので、却って目にたつのです。殊に、中世時代に悪い王や皇帝達が、自分達の邪魔にならない教皇を選挙させるために、一生懸命だったという事情を考えに入れなければなりません。信仰のために殉教した教皇が四十人もおり、凡そ九十人の教皇が聖人に列せられています。かりに教皇の十二分の一が個人的に悪い人だったとしても、キリスト御自ら選ばれ率いられていた十二使徒の内からも一人悪い人が出たのに比べて、その比率は悪いと云えません。モイゼは旧約時代の主の民の指導者として天主のお選びになった人で、主は親しくこの人と語り給い、この人を通じて主の掟を世にお与えになりましたが、罪を犯したため、「約束の地」に赴くという希望を取り消される罰を受けました。しかし、それでも、モイゼは地上における天主の代理者であることには変りはありませんでした。(出挨及記一八ノ一五)イエズスの処刑に関係したカイファでさえユダヤ人にとり天主の代理者でした(ヨハネ一一ノ四九〜五〇)主は律法学者とファリザイ人の欠点をお責めになりましたが、民衆に向っては、彼等は「モイゼの講座に坐せり」されば彼等の教に聴け、といわれました(マテオ二三ノ二〜三)
教会は天主の御業であり、世の終りまでキリストは共に居るべしと御約束なさいましたし、又、聖霊が教会の超自然の生命の要素でありますので、教会は聖でなければなりませんが、この構成員は人間であり、その意志を強いて天主の掟を守らせることはできません。
青年 
聖霊と教会の関係について今神父さんは何とおっしゃったのですか。
神父 
聖霊はキリストの霊であり、聖父の霊であり、三位一体の第三のペルソナですが、その聖霊が教会に超自然の生命を与えています。これは聖霊降臨の第一回の日曜日以来主のなし給う所で、世の終りまで変ることはない、と申し上げたのです。
青年 
ですが、教会の構成員は自由意志を有する人ですから、その多くの人は、天主の聖寵があるにせよ、罪を犯さずにすむでしょうか。
神父 
罪を犯します。キリストは教会を、刈入れ前の小麦と毒麦が一緒に生えている畠や、良き魚と悪しき魚をいれてある網にたとえられました。全体としての教会は聖であります。全体として見れば教皇は世界で一番聖なる方々であります。なぜ世の人は三人四人の聖でない人を以てキリストの代理者(教皇)を批評し、ニ百六十人の聖なる人を以て判断しないのですか。彼等は十二人の使徒を、その中の二三人のものに罪があるからといって、咎めだてをしません。たとえ最高裁判所の判事の一人の私生活が感心できないものであっても、世人は最高裁判所の判決を拒みはしません。
青年 
その点は私にはよくわかっていますが、ほかにおたずねしたいことがあります。私の考えに間違いがないとしますと、キリストは信条を系統的にお作りにはならなかった、と思います。では、どうして教会の教えは系統的に組立てられているのですか?
神父 
キクストは事実、御自分でそうなさいませんでしたが、確かに明かな真理を使徒にお教えになりまして、我が汝等に命ぜし事を悉く守るべく他に教えよ、と命じられました(マテオ二八ノ二〇)それから、救世主は、自分は十分に未だ教え切っていないが、「かの真理の霊〔聖霊〕来らん時、一切の真理を汝等に教え給わん」(ヨハネ一六ノ一三)といわれました。教会が信条の中に表していることは、初めから教えられて来ているものでありますが、世の誰かが、教会の教えていることと違った教義を説き出した時に、初めてその意義がはっきり定められました。キリストの御時から殆どどの時代におきましても、使徒の後継者である世界の司教達は、エルザレムの公会議に集った使徒と同じように、その時代時代の人々に教会の見解を発表するために、公会譲に召集されて会合しました。いつわりの教師が危険な誤りをひろめると、その説は咎められ、その事項についての正しい真理が述べられました。たとえば、第四世紀の初めに、かなりの信奉者を持っていた或る人が、キリストの真の天主にましますことを否定しました。それで、教皇は、三二五年に、二ケアの公会議を召集して、キリストは聖父と同じ真の天主にまします、と権威を以て宣言しました。同世紀のもう一つの異端を破って、公けに真理を述べるために、コンスタンチノープルの公会議が開かれました。こういうことは各時代に行われています。第十九世紀になってからも、「聖母の無原罪の御孕り」、「教皇の不謬性」というような、ほかの信仰の真理が厳粛に規定されました。この真理は、カトリック信者によって公然に否定されたことはなかったのですから、これまでに敢えてこれを明確に述べる機会が教会にはなかったのです。
青年 
教会の不謬の決定は、いつでもこういう公会譲を通じて与えられているのですか。私は教皇は聖なる御保護をいただいていますので、こういう決定は、司教全部の会議を召集しないでもできると思っていました。
神父 
あなたの御考えは正当です。ですが、全部の司教が教皇といっしょに決定をしますと、教会の命令は一そう外面的な荘厳さを加えます。それからこの手続の方法は、紀元五一年に、同じ仕方でエルザレムの公会譲に集りました使徒の方法とよく一致しています。その上、こういう会議に集ることは、たしかに司教全部の益になります。初代からのこういう会議の成文化した記録は、非常に貴重なものでありまして、これによりますと、今日の教会が、一般に行われている信仰は遠い昔の信仰と一致しているか、ということを決めるのに非常に容易になります。こういう記録は教会録になっていて、これによって信仰に関する教会の権威は重きを加えますから、現代のいかなる教会もこれに疑いをはさむことは、愚しいことになります。近代になってできた教会は、今から千四百年前と千五百年前に開かれた公会議で、キリストの教えであると決定しました所と異った主張を、ただ一つでも主張する権利はありません。教会の不謬性はこれで十分おわかりになりましたか?
青年 
教会に関して教えていただいた事項の中で、不謬性が一番はっきりわかりました。人が或る真理を信じなければならない場合、その真理の何たるかの決定を、天主は各人のなすがままになさるということは、考えるだにばからしいことですからね。聖書以外に天主のお定めになった権威がなければ、疑いや争いをどうして解決することができますか。------ 人は聖書を勝手に解釈してどんなことでも証明できるのですから。もしカトリック教会が誤りに陥ったとしますと、改革した教会のどれが正しいものであるかということは、ただ不謬の権威だけが決めることができまして、しかも、この教派の中には、こういう権威を主張するものは一つもありませんから、私にはとてもこれをきめることはできません。
神父 
あなたの信仰はもう全然微動だにもしませんね。
青年 
もう動きはしませんよ、神父さん。この際にもう一つだけ少し明かにしたいことがあります。カトリック教会はその教えのあるものを聖伝に基礎をおいている、ということを私は聞いたことがあります。教えが口づてに時代から時代へ伝えられて行きますと、その間に誤るという危険がありませんか。
神父 
(一)教会に聖霊の御導きがなく、(二)聖伝が主に口による場合は、おっしゃる通り、そうしたこともありましょう。しかし、教会の聖伝は大部分「書かれ」ています。教会は使徒の時代から各時代を通じて、学識のある聖人の著作を保存して来ました。それから、前にお話したように、殉教時代のすぐ後に始められた公会議の布告を持っています。私達が、天主の御言葉を含むと信じている聖伝は、神の御伝えでありまして、人の伝えではない、ということをおぼえて下さい。聖伝は教会の初代に、聖職者が常に記録したものですが、キリストを使徒が口づから教えられた、聖書にのっていない天主の御示しになった真理です。
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