1976年2月5日
E = エクソシスト
Al = アリーダ。大天使の階級から落ちた天使的悪霊。
善徳と悪徳
E: Tell the truth, Allida, in the name of the Most Holy Trinity!
Al: 我々は警告がまだ来ていないことを天上の者達に感謝する。それは我々に我々が我々自身を鼓舞するための追加的時間を与える。上のあそこの彼らが〔上を指差す〕その手に全てを握っている。全てが彼らの掌中にある。下の(地獄にいる)我々は、その偉大な警告が間もなく来るのではないかと恐れている。
E: Tell the truth, in the name... !
Al: 我々は間もなく我々の協議を終えるだろう。
E: In the name of the Blessed Virgin and in the name of... , tell the truth!
Al: 現在、世界中至る所に──聖職者達の中に、また自然の中に──現われている全ての徴候(しるし)がその道を指し示しているが故に、我々はそれを恐れている。 ... お前達は何を信じているのか? 我々もまたヨハネの黙示録に書かれていることを知っている。それらの徴候とヨハネの黙示録を比較した時、どんな馬鹿者でも、我々が今その地点に到達してしまっているということを認めなければならない。... しかし、ほんの少しの小さな執行猶予が与えられた。何故なら、上のあそこにいる彼らは、今もまだ、絶えず憐れみを感じているからだ。
Al: 我々は言わなければならない。何故なら、上の彼らが我々がそうすることを望んでいるからだ。お前達の頭脳を失うな。岩のように不動であれ。そして鉄とダイヤモンドのように堅固であれ。善き事、伝統的な事に、一段また一段と自分自身を適合させよ。「新しいもの」がお前達をどこに導こうとしているかは明らかである
例えば、多くの子供達は今や極めて進んでいて、彼らはほとんど “おまる” も取れないうちから性についての全てを知るのである。そのような事柄がいわば彼らの頭蓋骨の中にあまりに見事に叩き込まれるので、彼らが四歳か五歳になるまでには彼らの頭の中にはそれしかないほどである。彼らの頭の中に木槌をもって性的な事柄を叩き込むこと以上には何一つ気の利いたことを知らないような幼稚園、学校などの施設すら幾つかある。このようであるから、その子供達が思春期に達した時にはどのようなことになるであろうか? 両親は為す術を知らない。彼らは司祭と話しそれについて訴えるということをほとんど敢えてしようとはしない。彼らは自らに言う。「彼は司祭だ。自分が為すべきことは知っている筈だ」〔うなり声をあげる〕
彼らが彼ら自身の足で立ち上がることができる前にさえ、子供達は堕落する。最近の二世代は、状況の完全な反転でもない限り、キリストの戦士を産み出すことはないだろう。彼らにとっては性を毒のように接種するそれらの教育機関の中にいるよりは、強制収容所にいた方がまだマシだろう。同時にこの傾向は、彼らが現代の教会を少し経験することによって更に補強される。
このような光景はソドムとゴモラでより容易に見られたものである。しかしその当時は、堕落は現代のように一滴また一滴と注入されたわけではなかった。〔うなり声〕ソドムとゴモラの状況が深刻だったというのは本当である。しかし彼らは自分が罪を犯していることを知っていた。彼らはそれを感じ取っていたのである。しかし今日の10歳の子供は、自分が罪を犯しているということをさえ分からない。彼らは、自分達が罪の中に頭から押し込まれたのだということを、あまりに遅くなってから理解する。そしてこのことに責任のある司祭達、教師達、教育理論家達は、しばしば非常に混乱した心でのみ、自分達の行動の仕方に問題があったと思う。時々は彼らも良心の声を聞き、そして時々は、それは聖霊だったかも知れない、と想像する。
E: 至聖三位の聖名によりて、無原罪の御孕りの聖名によりて、カルメル山の聖母の聖名によりて、アルスの主任司祭の聖名によりて、またカタリナ・エンメリックの聖名によりて、続けよ! お前が言わねばならぬ事を言え!
Al: 現在あるような混乱のあった時代はかつてなかったのである。宗教改革の時代には確かに非常に大きな危機があった。しかしそれはより分離的なものであった。善き者は善き側に残り、他の者達は単純にプロテスタントに移行した。しかし(当時の)ルター派の人々は、(今日の)悪いカトリックよりはまだ善かったのである。その当時、それ(宗教改革)は教会にとっては極めて大きな損失であった。しかし現在は、何もかもが、それより遥かに致命的な状況にある。しかしその当時は、人々の大多数は、プロテスタントの者達でさえ、自分達が悪事を為した時には気づいたものである。
当時、彼らは三つのグループに分かれた。ルター派、カルヴァン派、ツヴィングリ派である。彼らは間もなく、これら三者が互いに対立している限りそれは真の教会ではあり得ない、ということを理解するに至った。そして彼らは、これはカトリシズムにとっての危機であることを、明らかに理解した。しかしまた同時に彼らは、少なくとも善人達は一致しているのを見た。彼らはルターがする全てのことにおいて昔に返ることを願った。しかし、時は既に遅過ぎたのである。我々が〔下を指差す〕その時までには彼を強力に取り囲んでいたからである。
E: Say, in the name of... , what you still have to say, Allida!
Al: ルターに働きかけたのは我々である。そしてツヴィングリに働きかけたのはいにしえの者(ルシファー)であった [74] 。いにしえの者にとっては、 ツヴィングリが雑草のように繁茂する温室植物のように背が高くなるまで、彼を掌中に置いておくことが必要だった。雑草というものは多くの雨さえ必要としない。悪というものが常に善よりも遥かに早く繁茂しまた高く成長することは、周知の事実である。いずれにせよ、それは急速に増えるものであり、そしてそれを減らすのは難しいものである。
善の場合はもっと厳しく難しい。それはそれほど早くは成長しない。また、それが繁茂した時でさえ、それに関係する人々が「それはもう良い高さまで達した」と思った時でさえ、山頂に至る道の途中で突然に転落し、また再びゼロからやり直さなければならない、そのようなことが起こり得る。しかし悪は如何なる妨げもなしに雑草のように繁茂し、増殖する。それは茂り、高く成長する。そして誰もそれを止めることはできない。
腐敗は全てのものに影を落とす不吉な山のようなものである。それはあらゆるものを悪臭のするものに変え、あらゆるものの上に暗闇を広げ、あらゆるものを汚染する。ひとたび悪がそこにあれば、それは人々の群れを運び去る流行り病のようなものとなる。しかし善徳はそれとは反対で、盛んになるのが遥かに難しい。それは簡単ではなく、それほど人の心を引き付けず、大して広がらない [75] 。我々はそれを言いたくない! 我々は如何にそれを言うことを強いられてきたことか!〔猛烈なうなり声をあげる〕
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