2019.06.04

「non possumus」の故事

前回のインタビュー記事で小題になっていた言葉、フュレップ氏の口から出た言葉、私が「それはできません」と訳した言葉、「Non possumus」は、知る人ぞ知るカトリックの慣用句らしい。

否 . . .「慣用句」とまで言うとちょっと言い過ぎかも知れない。
が、少なくとも「よくある言い方」ではあるらしい。
Wikipedia にその項目がある程度に。拙訳。

Wikipedia

Non possumus(ノン・ポスムス)

「Non possumus」はラテン語で、「we cannot」と訳される、カトリックの宗教的な言い回しである。ローマ皇帝ディオクレティアヌスがキリスト信者に対し、死のペナルティを課しつつ、聖典を所持すること、日曜日に聖体祭儀のために人々を招集すること、集会のための場所を定めること等を禁じた304年に殺されたアビティナの殉教者たちの物語に由来する。

この言い回しは「incapacity〔無能〕」を表現することを意図したものではなく、反対に、カトリック信仰に従うという絶対的な道徳的決意を表現することを意図したものである。

この言い回しが使われた文の全体は「sine dominico non possumus(我々は日曜日なしには[生きることが]できない)」である。これはキリスト教にとっての日曜日と聖体祭儀の不可欠性を表現したものである。

つまり、フュレップ氏はこの物語をふまえた上で、この殉教物語をふまえた上で「non possumus」という言葉を出したのであり、シュナイダー補佐司教様もそれに同意なさったということだろう。

ベネディクト16世教皇様も「アビティナの殉教者たち」に、そしてその「non possumus!」に言及なさっている。

カトリック中央協議会

教皇ベネディクト十六世の107回目の一般謁見演説 オーストリア司牧訪問を振り返って

2007/09/12

「主なしに、また主の日なしにわたしたちは生きることができない(Sine dominico non possumus!)」。アビティナ(現在のチュニジア)の殉教者は304年にこう叫びました。21世紀のキリスト信者であるわたしたちも、主日なしに生きることはできません。

カトリック中央協議会

教皇ベネディクト十六世の2011年6月26日の「お告げの祈り」のことば キリストの聖体

2011/06/26

(…)主日のミサに集まれることがどれほど意味深かったことでしょうか。古代のアビティナの殉教者が述べたとおりです。「日曜日の感謝の祭儀なしに生きることはできない(Sine Dominico non possumus)」。

しかし、日本の神父様方は、このように「主日」を「殉教」とからめて話すなどということは気乗りのしないことだろう。(一例

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ほんの参考

世界史の窓

ディオクレティアヌス帝

キリスト教の大迫害
 303年、ディオクレティアヌス帝は最後で最大のキリスト教迫害を行った。自らをユピテル神になぞらえ、神としての皇帝崇拝と、伝統的なローマの神々への祭儀への参加をキリスト教徒に強要した。またキリスト教の書物は焼却され、教会の財産は没収された。ディオクレティアヌスのキリスト教迫害は、キリスト教徒を捕らえて円形闘技場に引き出し、ライオンに食わせるといった公開処刑だけでなく、そのころ作り始められていた使徒たちの手紙などを集めた聖書の原型となる書物を没収し焼却したことや、教会の財産を没収するなど、信仰の拠り所を無くすことを主眼としたことであった。

地名が「Albitina」になっていたり「Abitina」になっていたりするけれども。拙訳。

CatholicSaints.Info

アルビティーナの殉教者たち

Martyrs of Albitina

記念日

2月12日

プロフィール

ディオクレティアヌスによる迫害のあった頃、或る日曜日の朝、北アフリカのアビティナ(Abitina)の教会に軍隊が送られた。兵士たちはミサに来た人たち全てを検挙し、地方総督アヌリヌスによる尋問を受けさせるためにカルタゴに連行した。キリスト教信仰を宣言した46人が処刑された。彼らの名前と物語が幾らか知られている。

〔名前の列挙。省略〕

304年、北アフリカのアルビティーナ(Albitina)の刑務所で、拷問の末。

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次は「ほんの参考」とは、「ほんの」とは言えない参考。
「殉教」について調べていて、この写真に目がとまった。
あまりに印象的なのでここに置いておく。

🇺🇸 Kane 🇺🇸(@KANE2028) | Twitter

メキシコ革命の終結に引き続いた反教会のクリステロ戦争で、一人のカトリック司祭が射撃隊によって処刑される。

写真の右下に「1927」の文字が見える。「1927年」のことらしい。

Totus Tuus Family & Catholic Homeschool

射撃隊の前で穏やかさを放つ 〜 フランシスコ・ヴェラ神父

私は今日、この写真を Facebook で見て、この穏やかさに打たれました。この愛すべき神父様はキリストを信頼しています! 私はどうしても彼についてもっと知りたくなりました。私はグーグルでこれを見つけました:「彼は彼の鎧を着て死んだ」(ハンカチ用意)

これが私が聖人を愛する理由です! 彼らの勇気は . . . この世の理解を超えていて . . . キリストに見合う徹底性とは、一体どれほどの徹底性のことを言うのでしょう?

私たちの聖人たちのうち、大部分ではないにしても多くが、キリストの愛のために死にました . . . これと同じくらい恐ろしい状況で。彼らの血が私たちに教えてくれますように。そして私たちが、彼らがそのために喜んで生命を捧げたところの信仰の一箇条をさえ疑いませんように . . . 

この人はフランシスコ・ヴェラ(Francisco Vera)神父様です。彼はメキシコで公然とミサを捧げたために射撃隊によって処刑されました。

この筆者がグーグルで見つけた記事には「フリーメイソン」という語が頻出する。「革命」あるところに「フリーメイソン」あり。

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」 - 共産主義の目標

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」 - フリーメイソンの雑誌

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