2013年11月22日
59:02-
人間はいきり立って、「じゃあ、私たちが何とかしましょうよ」、ジャンジャカジャンジャカ、努力して、計画して、努力して、何かします。でも、達成できないです。私たちは、方舟、大船に乗ったつもりで、マリア様の御心の中に入り、マリア様と一緒に戦います。マリア様と一緒に祈り、償います。それが重大なんです。人間は、時々マリア様を忘れていきます。自分たちが色んな努力をすれば世界は平和になるだろうと思っています。それは人間の思い上がりなんですね。罪を持った人間がそんな簡単に全世界を平和にできないんです。だから、聖母のお役割が必要なんです。だから、イエズス様の生贄が必要なのですね。
2013年12月21日
20:51-
皆さんの気がついた範囲内で、謬説、極められた謬説というのはどういうことでしょうか、なんか心当たりのある人いますか?
信者さんたちの答え
マリア様についての教えがすごく歪んでいると思っています。
御ミサについて、ただみことばを聞いて、そして最後の晩餐を記念していますっていうような言われ方で、罪の償いの捧げっていうところをほとんど話されないようなことが多いなと感じます。
御ミサの中で「食卓を囲む」っていうことばかりが強調されて・・・
告解の中で、昔のように「涜聖」について御注意がありません。
御聖体を、未信者の人も別にもらっても悪いことじゃないっていうようなことが言われています。
「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」