次に、黄色で強調した部分(前回参照)ですが、シスターによれば、この "司祭" は大変なことを言っています。「この "釜" ではそんなの関係ないですよ。だいたいこんなことに縛られる * のがおかしいのとちゃいますか」
* この「縛られる」という言い方で、私はふと、あの "典礼学者" たちのことを思い出します。
人はよく、謂ゆる「犯人探し」を嫌います。しかし、カトリック司祭の口から出たというこの発言は、謂ゆる「看過できない」ものであって、私は、それをしておこうと思います。
シスターの言によれば、その発言をしたのは「旅路の里」のH神父様(イエズス会)ということです。そして、私は少し調べましたが、「旅路の里」(イエズス会社会司牧センター)に派遣される司祭は複数ではなく一人であって(一時期に)、そして2002年や2003年と云った時期に派遣されていたのは英隆一朗神父様です。(2004年からは高山親神父様)
イエズス会自身がこう書いています。
英さんは2001年から約2年半、大阪・釜ヶ崎のイエズス会社会司牧センター・旅路の里で働きました。
小さな注: このリンク先のイエズス会の記事では英神父様のお名前が「隆一郎」となっていますが、正しくは「隆一朗」のようです。
そうして、「英」は何とお読みしますか? 「はなふさ」です。だから彼は「H神父様」と呼ばれ得ます。
彼は、YouTube、 聖トマス大学のサイト、そしてご自分のブログなどで、深遠そうな講話を数々流している人です。
しかし、どうなんです? 神父様。あなたは本当に、上のシスターが言っているようなことを言いましたか? それとも、シスターは何か夢でも見たのでしょうか? それとも、2002年・2003年という時期に「旅路の里」に派遣されていたイニシャルが「H」のイエズス会の司祭がもう一人別に居たとでもいうのでしょうか?
冒頭にも掲げた右の写真は、私が「英神父」と聞いた時に脳裏にパッと思い浮かぶ英神父の御顔貌のイメージが最もよく出た写真です。ネットで見るところ、今はもう少し頭に白いものが混じっておられるようですが。神父様が今、上のご自身の発言(と私は思います)を「若気の至り」と思っておられることを願います。
しかし、それは単に私の「願い」に過ぎませんから、私は信者同朋に注意を呼びかけておこうと思います。現代の司祭というものは、腹に何を隠しているか分からないものであります。