注)内容はほとんど既出、繰り言
神さまの前に出たら、床にこうべをのせて、ひれ伏して礼拝する。 by 池長大司教様 参照
私も賛成です。
そして、「御聖体拝領」のこと。
それは私達にとって何なのか?
一つは、カトリックの伝統的な教えからのもので、こうです。
①「御聖体拝領」は「神さまの前に出る」以上のものである。遙かにそれ以上のものである。何故なら──理由は簡単──「御聖体」は「主イエズスの “まことの御体”」だから。
そして、「御聖体は主イエズスの “まことの御体”」ということを単純に受け入れない司祭たちにとっても、おそらく──
②「御聖体拝領」は「神さまの前に出る」“機会” の中で “最上級” のものである。
──ということではあるのでしょう。(違うのかな?)
ならば、もし私達が池長大司教様の言葉に賛成するなら、いずれにせよ( ① であっても ② であっても)、御聖体拝領の場に「床にこうべをのせて、ひれ伏す」ぐらいのものがあっても “当然” であるか、少なくとも “不自然ではない” ということになります。
では、御聖体拝領の時、「床にこうべをのせて、ひれ伏し」ましょう。
しかし、私は笑い話を作っているつもりはありませんが、これでは御聖体拝領できません。この姿勢のままでは。
そこで、この状態から、御聖体拝領させて頂くために身を起こしましょう。
すると、自然、「ひざまずく」ことになるのです。
それ故、「床にこうべをのせて、ひれ伏す」姿勢と「ひざまずく」姿勢は遠くないと言えるのです。違いますか?
対して、「床にこうべをのせて、ひれ伏す」姿勢と「立つ」姿勢は遠いのです。違いますか?
だから、私は、なぜ池長大司教様が現在の御聖体拝領に於ける「立つ」姿勢に不足をお感じにならないのか分かりません。
さっぱり分かりません。
そして、私のこの文章を「個人攻撃」と言わないで下さい。
このような矛盾は池長大司教様だけではないのです。