「手による聖体拝領」 は毎回カリスを倒すようなものである
今からそんなに遠くない昔、日本の幾つかの教会で、右の写真のような両形態拝領が行なわれていたのではなかったでしょうか。台に置かれたカリスの中の御血に拝領者自身がホスチアを浸すやり方です。そうして時々、拝領者が誤ってカリスを倒し、中の至聖なる御血が台に流れ、果ては床にまで流れてしまうということが起こったのではなかったでしょうか。
幸い、両形態拝領のそのやり方は行なわれなくなりました。しかし、「手による聖体拝領」の真実を知った私達は──それを知らない人達ではなく、知った私達は──そこから目を転じて「手による聖体拝領」の事でこう言わなければならないのではないでしょうか。「手による聖体拝領は毎回カリスを倒すようなものである」と。
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そして、両形態拝領の上のようなやり方を取りやめにするために、私達には何か特別「神学的な理由」が必要だったでしょうか。そのやり方で何度が同じ失敗が出た後、「このやり方自体に問題があるのだ」と悟り、それを取りやめにするという、極めて「実際的」で「常識的」な判断が必要だっただけではないでしょうか。
ならば、「手による聖体拝領」の真実を知った私達は──それを知らない人達ではなく、知った私達は──どうして「手による聖体拝領」に関しても同じように「実際的で常識的な判断」をしないのでしょうか。
神父様方。
物事を難しく考えるのも結構です。しかし、その前に実際的なところをキチンとしてから好きなだけ難しく考えて下さいませんか。 |