「ルルドの奇跡の洞窟」 Charles Mercereau(1822-1864)作
The painting of the 16th Apparition - the miracle of the candle
これらは聖ベルナデッタが聖母の御出現を受けた時の様を再現した絵である。聖ベルナデッタの姿勢は?──「跪いて」いる。
(私達はこれを取り立てて「西洋式」と考える必要があるだろうか)
もし私達の前に何らかの聖なる存在が現われたならば──天使が現われたならば、天主の御母がお現われになったならば、天主様ご自身がお現われになったならば、もし万が一、そんなことでもあったならば──あなたも、私も、おそらくどんな人も、とっさに何かせずにはおれないだろう。
「何か」とは何か。──「身を低くすること」、これである。
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祈る時に「跪く」神父様は居る。岩島忠彦神父様の言葉。
ご聖体の前でひざまずいていると、深い心の平和と喜びを感じます。(…) 私たちの聖堂には常に赤い聖体ランプが灯っており、その前に黙しひざまずく者にキリストは親しさを込めて近づいてくださいます。
また、池長大司教様は「ひれ伏す」と言った。参照
このような神父様方は、もし御自分の前に聖なる存在が現われたならば、決して「立って」いないだろう。
自分の前に聖なるものが現われたと知った時、突っ立っている馬鹿はいないからである。
しかし、私達にとって「御聖体拝領」は「聖母のご出現」以下の何かなのか?
注)私は上のように言って聖母のご出現を貶めているわけではない。しかし、聖母は最も天主様のお傍近くに居られても本質的に「人間」であり、それに対してイエズス様は「天主」であられることは、上の神父様方も認めるところである。そして、「御聖体拝領」とは何か。