注)あまり神経質にならずに、単純に「ユダヤ」と言うことにします。しかしもちろん、ユダヤ人の全てが悪いと言っているわけではありません。
それから、私たちは「偽ユダヤ人」ということも覚えておかなければならないでしょう。黙示録の 2:9 と 3:9 と ケストラー があるからです。
再びベア枢機卿の事
(もちろん彼の事ばかりではないけれど)
〔 〕と[数字](管理人注へのリンク)は管理人による付加。
コンシリアー・チャーチ [1] の中で高まる
ユダヤの影響力
Lyle J. Arnold, Jr.
2011年5月11日
教皇ラッツィンガーの Jesus of Nazareth Part II〔邦訳〕が刊行された後、進歩主義者、保守主義者、伝統主義者たちの間で、ユダヤ人は改宗する必要がないとする彼の断言を歓迎すべきか拒絶すべきかの議論が持ち上がっている。私達は、かつては反進歩主義であった新聞の中に、ベネディクトの見解に対する暗黙の承認を見て驚く(The Remnant , March 15-31, 2011)。
ユダヤ人が改宗する必要がないという誤謬は、第二バチカン公会議以来、今や古いものにさえなっており、公会議後の教皇たちによってここ数十年の間、教えられて来たものである。これは、〔ユダヤ教徒に限らず〕誰に対しても改宗を呼び掛けることはもはや教会の義務ではない、と断言する段階に移った。
A・S・ギマランイスが Animus Delendi(破壊の欲望)II で指摘したように、「異教徒たちは改宗する必要がないという断言以上に、教会の戦う姿勢と宣教的な性質を追い払おうとする進歩主義者たちの意図が顕著に表われているものはない」(1)
五人のコンシリアーの教皇たち、すなわち公会議後の教皇たちは、普遍的救済のような幾つかの異端説を明言し、説いた。しかし人は、中でも特にユダヤ教に対する特別の承認、そしてカトリック教義をユダヤ教の誤謬に適応させようとする試みに気づくことが出来る。
第二バチカン公会議に先立つ協定
ユダヤ人と協力するという教皇の決定は1960年代に本格的に始まった。この事の確証は「ユダヤ人はどのようにカトリックの考え方を変えたか」と題された1966年1月25日のルック誌の記事の中に見ることが出来る。
公会議で [3]〈ラビ〉ヘシェルと相談するベア枢機卿
副編集長のジョセフ・ロディによって書かれたその記事は、1960年代にニューヨークとローマでベア枢機卿と世界的なユダヤ組織(ブナイ・ブリス、アメリカ・ユダヤ人委員会、その他)のリーダーたちとの間で持たれた秘密交渉 [2] について伝えている。(2)
ロディはジュール・イサックをふんだんに引用している。イサックはフランスのユダヤ人で、烈しい反カトリックの歴史家、福音記者たちのことを嘘つきと呼び、聖ヨハネ・クリゾストムのことを妄想的な神学者と呼び、聖アウグスティヌスのことを事実の捏造者と呼び、教皇大聖グレゴリオのことを「これまでの歴史の中にユダヤ人に対する獣の凶暴性を解き放った "肉欲の人々" という恐るべきテーマ」の発明者と呼んだ人である。イサックは聖マタイを特に憎んでいた。彼によれば、ユダヤ人を最も憎むべきもののように描いた聖マタイは、シュロの枝を以て表彰されるべきなのである。(3)
ロディはそのようなイサックに依拠しながら、歴史を通して反セム主義を助長して来たのは教会であると仄めかしている。
イサックは「ノストラ・エターテ」の起草を助けた
実際、ピオ12世に聖金曜日の祈りを修正するようにと介入して来たのはイサックだった(その祈りは、かつては、彼が「ユダヤ人に対する攻撃的な言及」と呼ぶものを含んでいた)[4] 。後にイサックは、公会議文書『ノストラ・エターテ』[5] に於いて重要な役割を演ずることになる。その文書に於ける彼の影響の余りの大きさのために、エクス〔フランス〕の大司教は「それは、俗人〔非聖職者〕が──そしてそこに於いては一人のユダヤ人の俗人が──公会議宣言の考案者となったという "時のしるし" である」と言ったほどである。(4)
第二バチカン公会議に於けるイサックの協働は、1960年の彼とヨハネ23世との個人的対話から生じた。彼はそれまでにカトリックの教え(彼が近代の反セム主義の源泉はそれであると主張するところの)を激しく非難している本を二冊書いていた。彼は世紀を通じて続いて来たカトリックの教義を「浄化」することと「改正」することを要求した。彼の基本的な主張:「我々は反セム主義を終わらさなければならない。第二次世界大戦に於けるアウシュビッツと他の死の収容所によるユダヤ人根絶がその当然の帰結であったところのそれを」(5)
いわゆる反セム主義を除くために、イサックはヨハネ23世による支持を、また来るべき第二バチカン公会議による支持を期待した。 世界的規模のユダヤ人コミュニティは、公会議がユダヤ人及び過去2000年間に亘るユダヤ人の過ち・背信・頑なさに関する教会の正当に厳しい言葉を廃止することを望んだ。
Augustin Cardinal Bea
教皇ロンカリはイサックに、自分は「反セム主義」の燃料となり得るどのようなものも教会の教えから取り除くべくベストを尽すつもりだ、と約束した。また彼は、バチカン・クリアの長たちには、カトリックの反セム主義に対する堅固な非難が彼の召集する公会議から生ずることになるだろう、と明言した。彼は、最良の「その仕事のための立法上の鞭」として、イエズス会士アウグスティン・ベア枢機卿を選んだ。(6)
クリアは、司教会議はその問題には何としても触れるべきではない、と警告した。しかし、ヨハネ23世は固執し、彼らに、彼らはそうしなければならないと告げた。そのようにして、ユダヤ人たちと革新主義者たちは道を得た。「ノストラ・エターテ」の4番は、何世紀も続いて来た全ユダヤ人に対する教会の告発を否定して、ユダヤ人とキリスト教徒によって共有される宗教的絆を夢想して、神とユダヤ人との間の永遠の契約が今も有効であるかのように偽って、ユダヤ人を転向させて洗礼を施そうとする教会の努力をボイコットした。
近年の教皇たちによって促進される目新しさ(novelty)
我々はアシジ(1986年)に到着する。ユダヤ人ばかりでなくどんな異教徒も異端者も改宗する必要はないという目新しさを劇的に表示するために、世界中の異教また異端的宗教の代表者たちが平和を祈ろうというバチカンの招きによってアシジに集められた。それはエキュメニカルなサーカスだった。そこでは、仏教徒、ヒンズー教徒、ジャイナ教徒、イスラム教徒、神道信者、シーク教徒、アメリカ・インディアン、ゾロアスター教徒によって、祈りが詠唱された。アフリカ人たちは「大きな親指」に祈った。
バチカンに於いてラビたちの存在が大きくなっている
異教徒らによる祈りのセッションの間に、一体のブッダ像が祭壇の上の聖櫃の上に置かれた。シルビオ・オッディ枢機卿がその事件を伝えている:「その日、私はアシジを歩きました。そして、幾つかの祈りの場で、私は真の冒涜を見ました。私は仏教徒たちが祭壇の周りで踊っているのを見ました。そこでは、彼らはキリストの場所にブッダを置き、それに向けて香をたき、それに崇敬を捧げていました。一人のベネディクト会修道士が抗議しましたが、彼は警官によって連れ去られました。セレモニーに参加しているカトリック教徒らの顔に、明らかに混乱した表情が浮んでいました」(7)
その著作 Quo Vadis, Petre?(ペトロよ、何処へ?)の中で、ギマランイスはその忌わしい出来事についてこう書いている。
「旧約聖書は、王の一人、マナセが、主の神殿の中に偶像を置くという罪をどのように犯したかを記している(列王の書下 21 : 7、歴代の書下 33 : 7)。主はその行ないをアッシリア人によるエルサレムの破壊をもって罰された(列王の書下 21 : 10-15、ダニエルの書 12 : 11)。様々な聖書解説者たちが、マナセのこの冒涜行為を、「荒廃をもたらす憎むべきものが聖なる場所に立つ」という表現(聖書の中で使われているフレーズ)の起源と見ている。人はどのように、旧約聖書に記されたその出来事と、アシジのカトリック教会で行なわれた聖櫃の上に置かれたブッダ像を崇拝するという行為を比較できない、などということが出来るだろうか」(8)
それから、ユダヤ人と「神とそのユダヤ民族の間の永遠の契約」の想定された優越性についてのこの目新しさを更に押し付けるために、教皇庁聖書委員会はヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿による序文付きの The Jewish People and their Sacred Scriptures in the Christian Bible(ユダヤ人、及びキリスト教聖書の中の彼らの聖句)(Libreria Editrice Vaticana、2001年)を発表した (9) 。その本は聖句の解釈を扱っている。それ自身を歴史主義に基づかせながら (10) 、それは啓示の源泉としての福音書を暗黙のうちに否定している。神殺し(Deicide)の罪に関してユダヤ人を赦免するために。
その余波を受けて、シナゴーグ全国協議会(National Council of Synagogues)と米国カトリック司教委員会によるエキュメニズムと異宗教間問題に関する一文書が公布された(2002年8月12日)。そのテキストはユダヤ人について明確に次のように言っている:「ユダヤ人のキリスト教への改宗を目的としたキャンペーン〔組織的活動〕は、カトリック教会に於いてはもはや神学的に容認可能ではありません」[6] (11)
我々はコンシリアー・チャーチがカトリックの不変の教えの道から遠く離れて旅しているのを見た。彼の最近の本の中での教皇ラッツィンガーによるユダヤ人の神殺しの罪に対する新しい免責は、悲しくも、ユダヤ人についての公会議後の考え方のこのパターンに正確に一致している。
1. A.S. Guimaraes, Animus Delendi II, p. 283.
2. Leon de Poncins, Judaism and the Vatican – An Attempt at Spiritual Subversion (London: Britons: 1967), p. 167.
3. 同上 p. 28.
4. 同上 p. 167.
5. 同上 p. 11.
6. 同上 p. 168.
7. A.S. Guimaraes, Quo Vadis, Petre?, TIA, 1999, pp. 5-6
8. 同上
9. A.S. Guimaraes, Changes in Doctrine and New Anathemas, p. 28.
10. ピオ12世は歴史主義について次のように言っておられる。
「 “歴史主義” という言葉は、霊的な現実の全体に亘る変化と進化を認める哲学システムを意味しています。… それは世界に関するカトリックの概念とは両立しないものです。
(The term “historicism” indicates a philosophical system that acknowledges change and evolution in the whole spiritual reality ... irreconcilable with the Catholic conception of the world.)」
(1955年9月7日に於ける国際歴史学会でのスピーチ)
(Discorsi e radiomessaggi di Sua Santità Pio XII, Editrice Vaticana, vol. 17, p. 212. より)
11. A.S. Guimaraes, "Conversions, From Now On, Prohibited?."
管理人注
コンシリアー・チャーチ(Conciliar Church): 筆者は「公会議で変革された新しい教会」という意味でこの言い方をする。 |
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しかし、次回紹介するユダヤ側が発表している記録によれば、「教皇パウロ六世はその会合を承認した」ということである。 |
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「at the Council」 となっているから 「公会議で」 と訳した。しかし、次回紹介するユダヤ側の記録によれば、それはニューヨークのユダヤの本拠地、AJC(アメリカ・ユダヤ人委員会)の建物の中に於いてだったようである。 |
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以下、かつての聖金曜日のミサの「とりつぎの祈願」から。 教会の一致のため
また、異端者、離教者のためにも祈ろう。わが神なる主が、かれらを謬説より救い、聖なる母である使徒伝承の公教会によび戻し給わんことを。 ユダヤ人の回心のため
また、不忠実なユダヤ人のためにも祈ろう。神なる主が、かれらの心をおおう幕をとりのぞき給い、かれらも、われらの主イエズス・キリストを認めるにいたらんことを。 外教者の回心のため
外教者のために祈ろう。全能の神が、かれらの心よりすべての不義をとりのぞき、かれらが偶像をすてて、生けるまことの神、その御独子、主イエズス・キリストに帰らんことを。
『毎日のミサ典書』(1955年、フェデリコ・ |
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「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」 のこと。 |
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それはアメリカ司教協議会の公式サイトにアップされている。 それはこう言っている。 ローマ・カトリックの考察は、第二バチカン公会議以来明らかになって来たユダヤの伝統に対する益々の尊敬を語っている。神とユダヤ人の間の永遠の契約に関して深まりつつあるカトリックの認識は、神がユダヤ人に与えた神の愛の忠実な証人となるという使命を認めると共に、ユダヤ人のキリスト教への改宗を目的としたキャンペーン〔組織的活動〕はカトリック教会に於いてはもはや神学的に容認可能ではない(no longer theologically acceptable)という結論に導く。 |
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ネットにこんな画像が落ちていたりする。 |