2013.12.18

聖イグナチオ教会  新聖堂

聖イグナチオ教会

新聖堂

(1999年〜)

 以前言った事を繰り返せば、これを単に "建築意匠" と言うことはできない。これは作者達の "コトバ" である、"思想" である。
磔刑のイメージを排すべし」「聖櫃は中央に置くべからず
 「祭壇を高く置くべからず」「聖母像や大天使像も不要なり

作者たち

池長神父
 
ニコラス神父

 これらの御口振りからして、実質的には池長大司教様なのだろう。

「私自身、日本人の感性に合った宣教が必要と考え、東京・聖イグナチオ教会の改築の際、天に向かうゴシック建築でなく、低い円筒形にしました。訪れる人を温かく迎える神を表現したのです」

 西洋と日本のキリスト教観の違いは教会建築にも表れています。西洋の教会は、基本的に天を衝くような尖塔を持つゴシック建築です。これは神が無限の彼方におられることを意味し、その神を拝むという礼拝心を表現している建築構造です。
 しかし日本人建築家が教会を設計すれば、あのような表現にはならないでしょう。お御堂にいるすべての人を包み込むような建築こそ、日本人が親しめる神の空間だと思います。私は自分が設計と建築の責任者を務めた東京・四ツ谷にある聖イグナチオ教会で、そうした空間の実現に努めました。

文藝春秋 2012年12月号 p.328 (前後関係

 あのニコラス神父(外に出る神学)が「建設委員長」であった。

旧聖堂の老朽化と狭隘化により改築が計画され、1992年(平成4年)に聖イグナチオ教会建設委員会が発足。1993年(平成5年)には後のイエズス会総長アドルフォ・ニコラス神父が同会日本管区長に就任し、建設委員長も兼任することとなった。1997年(平成9年)、旧聖堂最後の司祭叙階式。1998年(平成10年)、新聖堂の第1期工事完成し、遷堂式、竣工式、献堂式。1999年(平成11年)、第2期工事完成し、竣工式、献堂式が行なわれる。

 上で「聖母像や大天使像も不要なり」と書いたので、反発した人もあったかも知れない。「いいえ、マリア様の御像はちゃんとあります」と。
 確かに、それらしきものが、御聖堂の一つの入口から入って直ぐの壁際に置かれているようである。
 参照: わたしたちと同じところにあるマリア像

 この参照記事のシスターの文章は、思うに、池長大司教様の考え方をよく代弁している。「わたしたちと同じところにある」ものはより親しく感じられて良い、というのが彼の考え方である。(彼自身はこれにもっと "神学的肉付け" をするだろうが。)

 しかし、なんでこれが「聖母」の完全な形象であるだろう。参照

 旧聖堂時代の御聖像

旧聖堂の聖母子像
旧聖堂のイエズス像

 ちゃんと御聖堂正面に置かれていた。
 ちゃんと立派な台座に置かれていた。
 ちゃんと私達より一段高いところに置かれていた。
 そして、ちゃんと美しい。
 この「ちゃんと」ということ、つまり「然るべく」ということが、信仰にとっては大切だ。

 しかし、これらの御聖像は今、旧祭壇と共に、地下聖堂に追放状態のようだ。
 そして、主聖堂は貧しくなった。
(勿論、現代的で機能的なホールが持つ一種の清々しさみたいなものはあるのだろうが、そういうのは「聖堂の豊かさ」とは別の物なのである。)

 然るに、池長大司教様はご自分の作品に自信を持っているようなのだ。

山折 ああ、上智大学の横にある教会ですね。楕円形で、たしかに教会としては変わった外観です。

池長 ええ、そうです。もともとは伝統的な様式だった教会が老朽化したために改築し、九九年に完成したのですが、当初は、不格好だと言われたこともありました(笑)。設計を依頼した建築事務所の方には、神学的に高度な内容の講義をしました。その結果、丸みをおびた外観になったのです。内部は祭壇を取り囲むように円形に信徒席が設けられ、あれこそ日本人がなじめる聖堂だと思っています。

文藝春秋 2012年12月号 p.328 (前後関係

 「当初は」?

 変な言い方に聞こえるかも知れないが、私にはほとんど「子供の満足」のようにしか思えない。

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