2013.11.18

池長大司教様には
「常識」の名によって人を責める資格がおありか 4/4

資 料

 既に言ったように、私は、愛国心の強い人々からは怒られるかも知れないけれど、「正定事件は日本軍によるものか否か」の問題には、さして関心がありません。しかしそれでも、池長大司教様の御態度だけを問題にして、その事件については何も知らない、何も調べない、ということも不可能でした。私も少しは調べました。

 事件当時の海外記事から現代の文書まで、私が目にしたものを一応、参考のために挙げておきます。

1937/10/26

Kidnapped in China : Dutch bishop and others

1937/11/12

Banditry in China : A bishop and many priests kidnappedCache 1, Cache 2

1937/11/24

Bandit Murders

1937/11/26

A bishop murdered by chinese banditsCache 1, Cache 2

1937/11/27

Priests Murdered

1937/12/03

Murder of nine priests killers : Forever unknownCache

2012/06/??

ドイツの聖ビンセンシオの宣教会
会報 2012年・第56号
 (PDF)

2012/10/09

池長大司教様がオランダの教会に送った書簡

2013/??/??

ドイツの聖ビンセンシオの宣教会
写真とレポート 2012・2013年号
 (PDF)

2013/02/21

読売新聞大阪版・夕刊 (PDF)

2013/04/11

カトリック新聞オンライン

201?/??/??

シュラーヴェン協会
The drama of Zhending, 9 October 1937.
 (PDF)

欧 州

 現代の文書を少し見てみます。

欧州に残る資料によると、9人は1937年10月9日、中国・河北(ホーペイ)省の正定(チョンティン)に入った日本軍が…

 次の二つはドイツ聖ビンセンシオの宣教会の発行物から。

記録から殉教の正確な状況を再構築するのは困難である。しかし近年の諸調査が──特にオランダの「シュラーヴェン協会」による調査が──暗闇に光を投げかけた。

Die genauen Umstände des Martyriums lassen sich aus den Quellen nur schwer rekonstruieren. Die Nachforschungen der letzten Jahre, vor allem durch die niederländische „Mgr. Schraven-Stiftung“, haben aber inzwischen Licht ins Dunkel gebracht.

昨年(2011年)の9月、私達は、ローマの教皇秘密文書庫の中に、横山大佐(日本人)が駐北京教皇大使に宛てた一通の書簡を発見した。横山は「…彼らは宣教師の理念に基づいて殉教した」と書いている。横山自身カトリック信者なので、「殉教」という言葉の意味を知っていたに違いない。

Im September letztes Jahr (2011) haben wir im Geheim Archiv des Papstes in Rom einen Brief von diesem japanischen Kolonel Yokoyama gefunden, adressiert an den Apostolischen Delegat des Papstes in Peking. Yokoyama schreibt: ‘… sie sind gefallen als Märtyrer ihres missionarischen Ideals’. Dieser Yokoyama war selber katholisch und muss die Bedeutung des Wortes ‘Märtyrer’ gekannt haben.

 「『殉教』という語が使われている。しかしこの事件では『棄教の強要に抵抗した末の殉教』とかは考えられない。従って、『誰かを助けるために犠牲となる殉教』であったに違いない」ということのようです。
 また、その他の多少の詳細もあるようです。しかし、私には調査し切れませんし、その関心もありません。

 最初の関心に戻れば──
 私は、カトリック新聞の言う「欧州」とは、オランダ、ドイツ辺りのことを言うのではないかと思います。
 上のこれらの文面からも、オランダの「シュラーヴェン協会」に、そしてドイツの聖ビンセンシオの宣教会にも、調査者、研究者が居ることが窺われます。
 因みに、大阪大司教区には聖ビンセンシオの宣教会があるようです。

類 似

 池長大司教様がオランダの教会に送った書簡の第一段落

 今から37年前[ママ]の1937年10月9日、日本軍の一部隊が Chengtingfu (現「正定(チョンティン)」。北京の南260km)の町に侵攻した時、一つの恐ろしい殉教が起こりました。中国人の多数の婦人たちと少女たちが、修道院〔複数〕に避難し、その部隊による虐待から逃れました。この通知を受けた日本軍は、5000人を超える中国人の婦人たちと少女たちの中から200人を性奴隷として引き渡すことを要求しました。シュラーヴェン司教、彼は避難して来た市民を保護する立場にありましたが、その日本軍部隊に断固として言いました、「あなた方は私を殺すことならできる。しかし私はあなた方の望んでいるものを決してあなた方に渡さない!」

 次回、全訳します。

 ドイツの聖ビンセンシオの宣教会の或る記事の第一段落

 日本軍が中国を侵攻していた時期の1937年10月9日に、ビンセンシオ会士であるフランツ・シュラーヴェン司教、他の7人のビンセンシオ会士、及び一人のトラピスト会士が、中国の Chengtingfu(現「正定」。北京の南およそ300km)に於いて、殉教の死を遂げた。その宗教者らは──そこにはオーストリアのラザリスト(=ビンセンシオ会士)である Thomas Ceska も含まれるが──日本軍の兵士らに対し、200人の中国の婦人と少女をいわゆる「慰安婦」として差し出すことを拒否した。それらの女性たちは、シュラーヴェン司教の保護の下、愛徳修道女会のミッション・ステーションに身を寄せていた5000人を超える避難民の中から選ばれようとしていた。フランツ・シュラーヴェン司教は、女性たちの差し迫った性的虐待を断固として阻止することを望み、こう言った。「あなた方は私を殺すことならできる。しかし、あなた方の要求には・・・私は決して応じない!」

 Während des Einfalls japanischer Truppen in China fanden am 9. Oktober 1937 der Vinzentiner-Bischof Franz Schraven, sieben weitere Vinzentiner und ein Trappist in der chinesischen Stadt Chengtingfu (heute: Zhending, ca. 300 km südwestlich von Peking) den Tod als Märtyrer. Die Ordensleute – darunter der österreichische Lazarist (= Vinzentiner) Thomas Ceska - weigerten sich, den japanischen Soldaten 200 chinesische Frauen und Mädchen als sog. „Trostfrauen“ auszuliefern. Diese Frauen gehörten zu mehr als 5000 Flüchtlingen, die in der Missionsstation bei den Vinzentinerinnen und dem Bischof Schutz gesucht hatten. Franz Schraven wollte auf jeden Fall den drohenden sexuellen Missbrauch der Frauen verhindern und soll gesagt haben: „Ihr könnt mich töten, aber auf das eingehen, was ihr verlangt…nie!“.

これは上の PDF の中の「75年前の殺害: 中国に於けるビンセンシオ会の殉教者たち(Vor 75 Jahren ermordet: Die vinzentinischen Märtyrer in China)」と題された記事の第一段落です。ドイツ語なので翻訳の正確さは保証できませんが、「当たらずとも遠からず」程度ではあると思います。

 「事件の概要は誰が書いても似たようなものになる」と言われればそれまですですが、それにしても似ていると思いました。
 何処が(或いは誰が)最も深い情報元なのかは分からないけれど、とにかく、ドイツ、オランダ、そして池長大司教様は、事件に関する基本的な情報を共有しているのでしょう。

大司教様の「迷惑」

 池長大司教様の「迷惑」の連発をもう一度玩味しておきましょう。

「資料を出せないのは常識でしょう。」
「何故ですか。」
「私に資料を提供した人に迷惑がかかるでしょう。あなた方にはそれが分かりませんか。その常識もありませんか。」
「どんな迷惑がかかるんですか。」
「資料というものは、色んな見方があるでしょう。問い合わせたり、迷惑を掛けるでしょう。そんなことも分かりませんか。」

 私は初め、大司教様のこれらのお言葉(記憶に基づき再構成されたところの、しかしおそらくはほぼ確かであるだろうところの)を読んで、次のような疑問を持ちました。

「その "情報提供者" なるものはどの種の人なのか? 犠牲者の遺族とかの、ごく普通の一般市民、問い合わせが少しでもあると生活と神経が大いに乱されてしまうような、そのようなか弱い一般市民なのか?」

 そして、もしそれがその通りの、か弱い一般市民であれば──大司教様、お聞き下さい──「う〜ん、確かに "迷惑" なのかな.. 」と考える心が、私にも無いわけではないのでした。

 しかし、真実のところは、池長大司教様への「情報提供者」なるものは、上の「シュラーヴェン協会」や「聖ビンセンシオの宣教会」に属する人であるのかも知れません。

 もしそうであって(すなわち仮定ですが)、大司教様が上のように言っておられるのであれば、私は、かなり激しく呆れます。

 もう一度言います。私はその時、ホントにひどく呆れます。
 そのような場合に、ここに「迷惑」という言葉を持って来るのは、あまりにも「安直」であるからです。

 その「情報提供者」がそのようなものに属する人であった場合、その「協会」や「宣教会」が「学術界」や「報道界」に属するものではないとしても、彼には寄せられた問い合わせに一定程度「誠実」に応える「道義的な責任」があります。
 ──私はそう考えます。この考え方は間違っていますか?

 そのような場合、彼には直ちに「迷惑だ」と言ったり思ったりする権利はありません。
 ──私はそう考えます。この考え方は間違っていますか?

 もちろん、何事にも「例外」はあります。問い合わせが余りにも、それこそ常識を外れてしつこい場合、彼には「もう、これ以上はやめてくれ」と拒絶する権利があります。

 しかし、そこに至らない前に、問い合わせと見るや直ちに「迷惑だ」と言ったり思ったりする権利は、彼にはありません。例外的な場合を除いて、彼には基本的に、問い合わせに一定程度(決して過度にではなく)「誠実」に応える道義的な責任があります。
 ──私はそう考えます。この考え方は間違っていますか?

 全ては「道義」の世界の話です。
 別に「法律」に縛られる話でもありません。
 しかし「道義」は大事です。

 それで、

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 カトリックの聖職者ほど、目に見えない精神的価値、「理念」とか「道義」とか云ったものに明るい人達が居るでしょうか。
 また、カトリックの聖職者ほど、「誠実」という言葉が何を意味しているかを弁えている人達は居るでしょうか。

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 そこで、私は池長大司教様にお訊きします。
 私が上に書いたようなことは間違っていますか?

 もし間違っていたなら、どうぞ教えて下さい。しかし、もし間違ってないなら、どうか、このような考えを、大司教様ご自身のお心にも反映させて下さい。このようなモノの見方を、大司教様ご自身のお心の内にも住まわせて下さい。

 もしその「情報提供者」がそのような「協会」や「宣教会」に属しているならば、あなたが高く揚げて見せた「迷惑」と大書された旗は──「ごまかしの旗」です。

100円ショップの安い旗

 そして「安い旗」です。
 その行為──言語行為──はあまりに「安直」です。

 次からは、大司教様の御書簡、そしてその中の「基本的人権」「人間の尊厳」について。

その後の情報
 2014年6月21日(土)、日本共産党大阪府委員会が主催した「日本軍『慰安婦』問題の真実」と題された集会で、池長大司教様は「2012年8月の終わり頃、私あてにオランダのシュラーベン財団の秘書から手紙が届きました」云々とお話になったようです。参照
 シュラーベン財団の秘書とは、Vincent Hermans という人なのかも知れません。参照
 憂慮する会の記事の中にもその名が出てきます。参照

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