2012.10.16

マリア・ディバイン・マーシーの預言は偽預言である 2

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上から順に見てゆきます。
1.
イエズス・キリストの言葉?
「時が始まって以来、
 
預言者達は神の真意を歪めてきた」
全ての諸教会と諸宗派へ
悪に対抗して団結することの呼びかけ
2010年11月21日(日)午後3時
世界中の私の教会に〔告ぐ〕。私の呼びかけを聞いて欲しい。あなた方子供達と支持者達の全ては、私に属している。あなた方の内の非常に多くが、あなた方の教会と神、人類の創造主に従っている。それは良い。〔しかし〕あなた方の内の多くが、わが永遠の御父の教えを、それぞれ違ったふうに解釈している。それは時が始まって以来の預言者達解釈に起因したことだ。
多くの預言者達は神の教えを、そのメッセージに対する彼らの受け取り方に従って解釈したのである。私の預言者達の言葉の幾つかは手を加えられた。私の預言者達の全てが真理を与えられた。〔しかし〕私の預言者達の全てが、彼らの支持者達が永遠の生命への一つの道の上に留まることを確実にしたわけではない。
私は上の箇所を「濃い灰色」としたいと思います。(これでも遠慮しています)
彼が言っているのは..
過去の預言者達は、その「全て」ではないにしろ、その「多く」が、実際、天主の御旨を正しく伝達しなかった。彼らは、彼ら自身の頭脳の中で、天主のメッセージに彼ら自身の “解釈” を加えることによって、天主の御旨をまっすぐ伝えることに失敗した。
..ということです。
これは「爆弾発言」の名に十分に値します。
何故なら、彼の言う「預言者達」という言葉は、現代のモダニスティックな神学者達に限定して言われたものではないからです。そうではなく、彼は言ったのです、「時が始まって以来の預言者達」と。*
* もう少し原文に忠実に訳せば、「この事は、時が始まって以来、預言者達の解釈から起こってきたことだ(This has come about through the interpretations of the prophets since time began)」ということになりますが、同じことです。
これを聞いた信者達の胸に、「その “要らぬ解釈を交えて伝達した預言者達” の中には聖書中の預言者達のことも含まれるのか?」という重大な疑問が湧き起こります。平信徒にとってばかりでなく教会教導権にとっても、これは重大なことです。聖書の信頼性を揺るがしかねない発言だからです。
つまり、この発言が非常に問題である理由の一つは、この発言が全く「具体性」を欠いていることです。これほど重大且つ衝撃的なことを言うならば、是非とも具体的に、それはどの預言者のどの言葉かを言わねばなりませんでした。もしこれが記者会見場に立った政治家の場合なら、直ぐに記者団から質問されたことでしょう、「それはどの預言者のことですか? どの言葉のことですか? 具体的に言って下さい」と。
ところがこの「イエズス」は、ただ漠然と「時が始まって以来の預言者達」と言って済ますのです。そう言って、もう次の、別の文脈に移るのです。
もしあなたが、ここで、「だって、彼は訊かれなかったじゃないか」と言うならば、私は笑います。そういう問題ではありません。
このような発言のかたちは、本質的に(訊かれたか否かに関わらず)、それが「政治家」のものであれ、「神」のものであれ、「無責任」なものと言わねばなりません。「いたずらに不安の種を蒔いて去る」形式です。
つまり、これは本当のイエズス様ではないに違いありません。
2.
イエズス・キリストの言葉?
「全ての道が天主に通ず」
次に、例の言葉が登場します。
(続き)
全ての道が神に、人類の創造主に通じている。神に従う者達は、混乱に導く様々に違った方法で教えを解釈している。ひとたび混乱が生ずれば、あなたは「唯一の道は自分の信仰を単純化することだ」と確信し得る。単純に信じ、単純にあなたの造り主を讃えなさい。
私は世界の全ての諸教会に、全ての諸宗教に、全ての諸信仰に、人類のために、また信仰を持たぬ者達のために、今、祈るようにと呼びかける。神の愛は生命の破壊に何らくみしない。誰一人、私の名のもとに、あるいは私の御父、彼の名のもとに生命を奪うという、そのような権利を持っていない。そうではなく、あなた方の周りのあらゆる所でそれが素早く高まるように、悪に面と向かい、あなた方の造り主への愛において、共に集い、団結せよ。
私は上の箇所を「黒」としたいと思います。
「全ての道が神に通じている(All paths lead to God)」という言葉については、前回既に言いました。これは「異常」な言葉です。到底、イエズス様のお口から出るものではあり得ません。むしろハッキリと masonic な言葉です。これは黒、真っ黒です。
3.
イエズス・キリストの言葉?
「あなたの信仰を単純化せよ」
しかし、上の箇所には、それとは別の(しかしそれと密接に関連した)もう一つの言い方が出て来ます。
曰く、「あなたの信仰を単純化せよ(Simplify your beliefs)
私は英語に詳しくありませんが、beliefs という言葉を「信仰」と訳しては駄目だったでしょうか。しかし「信念」としてみたところで、殆ど同じでしょう。
そこで、私は今度はこの絵を思い出します。
この婦人は何と言ったでしょうか。
こう言ったのです。
「単純な信仰に戻りなさい」
「愛が第一の掟ではありませんか」
「ほかの小さな事柄は問題ではありません」参照
これらの言い回しは互いに密接に関連していて、互いの間を行ったり来たりします(上の の意味)。
つまり、こういうのが、悪魔の一つのパターン、つまり「常套手段」の一つであると考えなければならないと、私は思います。
もちろん、Maria Divine Mercy の預言と「すべての民の御母」の間には多少の違いはあります。しかし本質的には同じものです。いわば「基本線」が同じです。
本当のイエズス様も、本当のマリア様も、人々に先ず求めるのは「回心」でしょう。すなわち、道徳的なそれ(改心)ばかりなく、特に、極めて特に、宗教的なそれです。一番大事なのは「信仰」だからです。
そのような回心を求めることなく、それに優先して「全ての諸教会に、全ての諸宗教に、全ての諸信仰に呼びかける」こと、また、それに似たことは、「天主の第一戒」を危うくさせます。
(「危うくさせる」ばかりでなく、本当は「違反」でしょう)
さて、メッセージに戻ります。
Maria Divine Mercy の「イエズス」は「十戒」について語り始めます。
(続き)
私の子らよ、神の法を思い出しなさい。十戒、わが永遠の御父から、彼の最も聖なる、また最も敬虔なる預言者、モーゼを通じてあなた方にもたらされたものである。それらの規則は、神の子らに、彼らを真理に導こうとなさる御父に敬意を払うべきその方法について教えるためにデザインされたものである。今日、非常に多くの人々がそれを忘れている。それを忘れている人々は、それらが真実何を意味しているかについて滅多に考えない。十戒を理解しない人々は、真理から遙かに懸け離れた仕方でそれらを解釈することを選んだ。私はそれらの人々に言う。どうか十戒を読み、それに耳傾けて欲しい。さもなくば、神の怒りに触れるだろう。それらの意味は、見せかけの愛、見せかけの同情で薄められてはならないし、あるいはまた、あなた方が言われてきたことを無視し、罪を正当化することによって薄められてもならない。
まあ、ここは「白」と言っていいでしょう。(あくまで字面のことですが)
次に、彼は「第一戒」について語り始めます。
(続き)
第一戒はあなた方に、一なる創造主だけを、わが永遠の御父だけを崇拝するようにと言っている。そして偶像崇拝を避けるようにと。しかしこの第一戒は、偽りの神々への嗜好のためにバラバラにされ、投げ捨てられてしまっている。「偽りの神々」という言葉によって私は、必ずしも高い地位にある人々のことだけを、つまり、私の子らよ、あなた方を自分の足元に忘我の状態でひれ伏させようと、自分を最も高い場所に置こうとしている人々のことだけを意味しているのではない。そうである、それは神の目にとっての違反のことであり、ひどい侮辱のことである。私が今言及している偶像崇拝とは、私の子らを虚しい絶望へと追いやる、人間の権力と富に対する愛のことである。その絶望はその他の規則をも破ることへとつながる。自己執着の罪。自分の霊魂を代価にしてまで自分の人生の道を上首尾に整えたいという欲望は、あなたの転落となるだろう。自己愛、それは愛ではない、それは自惚れである。しかし、それは今日、人気の教義である。あなたは見せかけの同情を装いながら、自分自身を高く上げ、神を否定している。あなたの謙虚さの欠如は、あなたに破滅をもたらす。あなたが他者のことより自分のことを優先すれば、彼らは、つまり他の人々は、それによって苦しむのである。この戒めは決して壊されてはならない。罪を正当化するために人間が用いる論法は愚かである。
一見立派な演説です。しかし、どうでしょう、これは果して本当に「天主の第一戒」に関する話になっているでしょうか。私は、もしこれが「天主の第一戒」に関する話ならば、かなり「焦点のずれた」話しっぷりだと思います。
「天主の第一戒」は天主への礼拝に関する戒めです。なるほど、彼も「創造主」と口にはします。しかし、如何なる特定化も避けます。彼は「一なる創造主」と言います。が、その「一」は実のところ殆ど何も意味しません。ただ「神様は一人」と言ったばかりです。「では、どの神?」の議論には決して進もうとしません。つまり彼は「第一戒」についての話を、決して宗教的な礼拝対象の話にしません。「ヒューマニズム」に似た話にします。
「偶像崇拝」については、彼はそれを人間の心理面だけに限っています。(あるいは「生き方」の問題だけに。)
拝金主義はもちろん偶像崇拝の一つでしょう。しかし彼は偶像崇拝と関連して他宗教のことには一切触れません。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通ってでなければ、だれも父のもとに行くことはできない」と言いません。
つまり、彼の話は一見厳しいことを言っているようでありながら、その実、モダニスティックな司祭の話に非常に似ています。それもその筈、彼は「全ての道が神に通じている」と言ったのであり、「私は全ての諸教会に、全ての諸宗教に、全ての諸信仰に呼びかける」と言ったのです。
(続き)
有名であることへの強迫観念
あまりにも長い間導きを得なかった若者達のために言えば、彼らは今、誰の目にも明らかな仕方で偶像崇拝の深い穴の中に落ち込んでいるのである。〔しかし〕私の年若い子らが崇拝している、そのまさしくアイドル(偶像)であるところの者達は、その大部分が、光の側の者達ではない。その多くは、自らの霊魂を悪魔に売った者達である。彼らはその事を自慢げに誇っている。
彼らの音楽と言葉を通じての催眠術的な訴求力は、私の子らをして、それが辿るべき本当の道であると錯覚させている。彼らの人の心を惹き付ける不道徳性は、彼らの支持者らに、自分達に倣うようにと働きかける。もし支持者らがそれに乗れば、私の子らよ、彼ら自身もまた、光をブロックし、結果、永遠の暗闇の中に落ち込むのである。今日の世界における有名であることへの強迫観念は、私の子らが、「詐欺師」に従っている者らが楽しむ権利を断固主張しているその同じ高みへと、自分も何とか到達しようと始終切望しているということなのである。
さあ、私の全ての子らよ、全ての教会と全ての宗派(creeds)の子らよ、共に団結し、全能の父なる神への信仰を持ち続ける権利のために戦え。互いに愛し合う権利のために。純粋な愛の権利のために。神の、永遠の御父の、天と地の造り主の愛〔のために〕。
あなたの優しき救い主にして正しき裁判官、イエズス・キリスト
私は上の箇所を、最後の「全て」への呼びかけを除いて、「白」としたいと思います。ポップ・カルチャーの悪魔的作用について真実を言っているからです。
しかし、「真実を言っている」ということがその話者の善性を保証するわけでないのはもちろんのことです。例えば悪魔だって「どなたが真の神であるか」についての「真実」を知っています。
そしてもちろん彼は「ポップ・カルチャーの悪魔的作用」についての「真実」も知っています。
普通に知っているのではありません。極めてよく知っています。
──自分がその最も奥の仕掛人なので。
以上、一応、「白」と「灰色」と「黒」を振り分けてみました。
しかし私としての原則は変わりません。
もし一点でも確実な黒があれば偽物です。
結 論
全ての教会(churches)
全ての宗教(religions)
全ての信仰(faiths)
全ての宗派(creeds)に呼びかけながら
「全ての道は天主に通ず」 と言ったこの「イエズス」は
ただただもう偽物である。
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