2012.08.13

クリスマスの中に紛れ込んでいるもの 8

第二バチカン公会議において、あるいはそれ以降のその教えの適用において、確かに、「愛」は一つの罠であった。
「サンタクロース」においても、そうだったように思われる。
強力な一般論として、否、強力であるべき一般論として、こう言える。 「彼ら(人と悪霊とを問わず)は “無害めかしたもの” によって人々を騙す。」
「サンタクロース」においても、そうだったように思われる。
つまり、それは「謀計〔はかりごと〕」だったことだろう。
Catholic Culture.org
頭の回る或る人達が、18世紀に、この代用品を発明した。
(これは必ずしも「はかりごと」の存在を匂わせていないけれども。)
プリニオ教授
教会の敵達は、子供達の間で人気のある聖ニコラオの名声を支持することが出来ず、子供達の注意力を逸らすために別の人物像を発明した。フランスで、秘密の勢力が、ペール・ノエルのイメージを拵えた。
(これは「はかりごと」の存在を言っている。)
私の仮説
その流れはアメリカにおいて強化され、一つ決定的なものになった。
(アメリカはフリーメイソンの国である。十分にあり得ることだと思う。)
或るブロガーの記事
● ジンタ・クラースの登場
オランダのプロテスタントは、ニュー・アムステルダム(後のニュー・ヨーク)に定住し、故郷で「ジンタ・クラース(Sinter Klaas)」と呼ばれていたセント・ニコラスをこの新しい世界へもたらしました。アメリカ版のサンタ・クロースの姿は、このジンタ・クラースにヒントを得たと言われています。
1773年、すでにその名前は「St. A Claus」としてアメリカの新聞に掲載されましたが、ジョン・ピンタードJohn Pintard:1759-1844)やその義理の兄弟である著名な歴史家ワシントン・アーヴィングWashington Irving:1783-1859)、有名な詩「A Visit From St. Nicholas」を書いたクレメント・ムーア(Clement Moore:1779-1863)、そして、「Kriss Kringle's Book」 を書いた匿名の作家、上でもお話した挿絵画家トマス・ナストThomas Nast)などが、サンタ・クロースを復活させ、そのイメージを形作った功労者でした。
この概略は最も基本的なところであって、間違っていないだろう。
下線を引いたところのものらが、アメリカ版サンタクロースの誕生の周りに居たのである。次から、それらについて若干見てゆく。
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