2012.05.24

不確実な記事 2

Antonin Raymond (1888 - 1976)
目黒教会を作ったこの人は、カーチス・ルメイの「対日焦土化作戦」に協力した人である。(この事は、彼自身、自伝で述べているらしい。)
第2次世界大戦の際、アメリカ軍少将カーチス・ルメイは焼夷弾の効果を検証する実験のため、ユタ州の砂漠に東京下町の木造家屋の続く街並みを再現した(Japanese village)。この際、日本家屋の設計をしたのはレーモンドであった。この実験は東京大空襲などで生かされた。
焼夷弾は「民間人殺害」を意味する。
ルメイが考案した4点についてと専用焼夷弾を開発したことについては当初「民間人攻撃は国際法に反する」と陸軍内からも反対の声があがっていた。しかし「日本では民間人の居住地区でも軍需物資を作っている。それを考えれば民間人攻撃は戦略上重要なことだ。」と押し切ったという。米国内では前駐日大使で国務次官を務めていたジョセフ・グルーなどが戦後の反米感情惹起を懸念してトルーマン大統領に無差別焼夷弾爆撃の停止を進言していた。
アメリカの軍部や政治家の中にもそれに反対する人達が居た。しかし、アントニン・レーモンドはそれに「協力」した。だから、彼は何万もの日本人民間人を「焼き殺す」ことに「同意」したであろう。
私達は人を裁くことはできない。しかし一応、次のような言い方をしたい。
そのような人が、戦後、目黒教会を作ったのである。(落成1954年)
(これを知ったからといって、目黒教会の人達にはどうすることもできないわけで、なにか申し訳ない気もするが。)
彼は自伝で、その「協力」の動機を「戦争を早期に終結させるため」と書いているそうである。しかし、それは原爆投下に関して彼らが言う理由(付け)と同じである。
戦後、日本は上の事実を知ってか知らずか彼を国内に受け入れ、仕事をさせ、彼は彼で「のうのうと」(という言い方をしたい)仕事を続けたわけである。
(日本人は、いい悪いは別にして、「お人好し民族」である。)
民族差別をするつもりはないが、一応言えば、彼はユダヤ人である。(邦訳はされていないが、イレナ・ヴェヴェルコヴァー著『アントニン・レーモンドとレイマン家: 20世紀におけるユダヤ人家族の運命』という本があるらしい。)
しかし、既に言ったが、彼がフリーメイソンだったかどうかは分からない。
彼自身の宗教も、私は見つけることができなかった。しかし彼は、宗教施設で言えば、カトリック、聖公会、プロテスタント諸派の建物を作っている。
彼自身、戦争被害者である。彼の母国チェコに居た彼の家族はナチス・ドイツによって全て殺されたそうである。
そして、彼は日本家屋を愛していたようである。
しかし、人間の心は複雑である。
彼は日本家屋を愛する反面、日本人とはあまり付き合わなかったという。
私の心には次のような疑いが起こります。
彼は、日本人を尊敬していましたか?
心のどこかで「猿」と思っていませんでしたか?
そして、自分の名声のために何処においても建物は立派に作るが、しかし目黒教会に関しては、一つ、こんな「イタズラ」をしたのではありませんか?
彼には実のところ「ツノ」が生えていたのではありませんか?
目黒教会の人達には申し訳ありませんでしたが、私にはどうしても、十字架より遙かに目立っているこの巨大な「金色のもの」が合点がいかぬのです。──取り払っては如何ですか?
参考図版
George Washington Masonic National Memorial にある玉座(検索
これは或る西洋人がベネディクト教皇様を揶揄して作った絵です。作者の動機や主張はここでは問題ではありません。ここで問題なのはただ、この形はとにかく西洋人にとって一目で不吉なものを連想させるものだということです。
神戸中央教会
大阪大司教区の教会であり、「社会活動神戸センター」であり、「PUNEUMA」という名の教会報を発行しているカトリック神戸中央教会も、主の御受難を強調せずにこんなふうに「光」を強調して、あまり良くありませんね。
「フリーメイソン」とまでは言いませんがね。
それとも、その可能性はあるでしょうか?
大阪梅田教会を持つ大阪大司教区ですからね。
ちなみに建築設計は、聖イグナチオ教会をも設計した村上晶子アトリエによるようです。(神戸中央教会)(聖イグナチオ教会)(Architecture
さて、「おしゃべりは実を結ばない」ですね。
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